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| 帯広百年記念館ロビー展 ひな人形展 2010年3月3日まで好評開催中! 写真をクリックすると拡大します |
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昭和47年1月、帯広市内のアサヒ屋さん(アサヒ玩具店)で、私の母(明治37年生まれ)が昭和47年1月2日生まれの娘のために買ってくれた物です。当時、緑ヶ丘に住んでいた母は、歩いて中心街の玩具店まで行き、その足で雛人形を唐草模様の風呂敷に包んで背負って、東のほうに住んでいた私の所まで届けてくれました。本当に思いがけないことでビックリしましたが、なにより母の思いがありがたかったことを覚えています。 以来、毎年娘たちと一緒に飾り、お赤飯を炊いたり、雛あられを買ったりしてお祝いをしていました。その日は何のことはなく終わってしまう一日でしたが、お人形への気持ちは幾つになっても薄れることはないものです。 娘たちは大きくなって一緒に飾らなくなりましたが、お内裏様だけは一年中飾ってあげました。(帯広市内在住女性) |
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百年記念館に寄贈させていただいたひな人形は、私が満1歳になる昭和17年に、藤丸デパートか市内の玩具店かで1セットしかなかったものを父が買ってくれたものです。後にこの話を母から聞かされたときは、両親は私を本当にかわいがってくれたんだと実感しました。 結婚して長男が生まれてもこのひな人形を飾り続け、昭和49年に長女が生まれて新しいひな人形を買いましたが、それから3年間は新旧並べて飾りました。こけしスタイルの小さなお内裏様はいつから並べ始めたのかは記憶にないのです。(中嶋純子さん 帯広市大空町3丁目) |
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百年記念館に寄贈させていただいたひな人形は、昭和13年生まれの長女キミ子が生まれて、その年の2月に帯広市内の玩具店で主人が購入したものです。昭和35年ころに花と内裏様がネズミにかじられたものか傷んだので、長女が新しく買いました。 子供は4人姉妹でしたのでずっと飾っていましたが、主人が出征して戻ってくるまでは飾っていなかったように思います。そして、子供たちのために3月3日のその日には必ずしまっていました。(田中キヨさん 帯広市西3条南3丁目) |
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この雛人形は、昭和7年、旭川市で生まれた7歳年上の姉の初節句におじい様が旭川で買いもとめて贈って下さいました。 私にとってこのひな人形は、両親の愛情であり、姉とのたくさんの思い出であり、嫁いだ私の娘の幼い日々の思い出です。毎年欠かさず飾ったのは、母がいつも、飾らないと人形が怒って騒ぎだすのだと言っていたからです。 十勝沖地震は昭和27年の3月4日ですね。私が小学校6年生のときです。私がこの日をいつまでも覚えているのは、飾ってあった人形が心配で2階から降りようとして階段のところで動けなくなったからです。(水谷美代子さん 音更町緑陽台仲区) |
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緑ヶ丘保育所より百年記念館へ寄贈されたこのひな人形は、昭和7年、私の初節句に父と叔父に買っていただきました。以来、父は私が昭和30年に結婚するまで、必ず桃の節句には自分一人でひな人形を飾ってくれました。 昭和31年に私に娘ができたときに、私は自分で新しいひな人形を娘に買いました。今思えば両親は孫にこの古いひな人形を渡したかったのかもしれません。孫に渡すことができなかったので、保育所に贈ったのでしょう。でも、どこの保育所なのか聞いていなかったため、行方が分からなくなり、平成8年にこの百年記念館に飾られて、出会うことができました。きっと両親の気持ちが通じて、また会えたのだと思います。(佐藤博子さん 帯広市東9条南10丁目) |
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百年記念館に寄贈させていただいたひな人形は、私たち家族が小樽で生活していた大正14年に、長姉の誕生に合わせて両親が買いそろえ始めたものです。昭和19年、家族で帯広へ移りました。終戦後の食料難のときに、農家の方が食料との交換品にこのひな人形を欲しがったそうですが、両親は譲らずに残してくれました。 また、このひな人形と一緒に飾ってきた土で作られたミニチュアのひな壇飾りは、やはり小樽時代の昭和15年に次姉が小学校に入学するのを記念して、叔父が札幌の三越デパートで買ったものです。 (間杉亮子さん 帯広市東4条7丁目) |
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このおひなさまは、明治22年生まれの帯広在住の女性(石川県出身)の方がお持ちだったものです。残念ながら昭和62年に亡くなられましたが、このおひなさまを譲り受けた市内の知人の方が毎年必ず飾っておられたものです。(帯広市内在住女性) | |