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八千代A遺跡 『8千年前の集落遺跡』

■所在地:帯広市八千代町基線194ほか
■遺跡の概要:
 
198588年に農地造成のための発掘調査が行なわれ、縄文時代早期前半(約8,500年前〜7,500年前)のものとしては全国的に見ても稀有な大規模集落遺跡であることが判明しました。
 調査ではこの時期の竪穴住居跡103棟をはじめ貯蔵用の穴(土坑)などと、土器・石器などの遺物約8万9千点が出土し、出土品は「帯広市指定文化財」に指定されています。

【集落・住居跡】100棟を超す竪穴式住居跡が調査されましたが、これらは同時に存在したものではなく、1〜数軒程度の集落が数百年にわたって反復的に営まれたものと考えられます。住居跡は直径4〜5mくらいが基本サイズで、中央に炉あと(火を焚いた跡)が残されたものが多く見つかりました。屋根を支える柱の跡が見つからないことも特徴の一つです。炉あとからは当時の住人の食料だったオニグルミの殻、キハダの実、ミズナラのドングリ、ヤマブドウの種子などが見つかり、約8千年前には十勝地域の山麓部にも落葉広葉樹が進出していたことが明らかとなり、当時の植生や環境を知る上で大きな手がかりになっています。

【遺物】この遺跡で見つかった土器は、底が平らで、底面にホタテ貝のあとが付けられたことに特徴がある「暁式土器」と呼ばれるものです。土器の特徴の違いから、八千代A遺跡の集落は数百年にわたって営まれていたことがわかります。石器は黒曜石で作られた石鏃や削器、彫器などの剥片石器、泥岩などで作られた石斧、扁平な石を使った擦石などがあり、擦石が多く出土していることから植物質の食料加工が盛んに行なわれていたことが推測できます。また、出土品には熊の頭部をモチーフとしたと思われる土製品、コハクやカンラン石などで作られた装身具類などもあります。 


遺跡の全景

住居跡のようす

土 器

土製品・装身具類

 発掘のようすを紹介したパネル、遺物などは百年記念館常設展示室で展示・公開しています。
  

暁遺跡 『旧石器時代の石器作り工房
■所在地:帯広市西8・9条南12・13丁目周辺
■遺跡の概要:
1961年から1989年の間に6次にわたる発掘調査が実施されています。初期の調査では、この地域で最古と考えられた底にホタテ貝のあとが付くことが特徴の土器(約8千年前)が出土し「暁式土器」と命名され、この土器と細石刃が一緒に出土したと報じられたこともあり、全国的に注目されました。
 近年の調査では、土器が出土した地層よりも下の地層から旧石器時代後半期(約1万6千〜1万5千年前)の遺物が大量に出土し、土器と細石刃は時期を異にすることがわかりました。
 出土品は帯広市指定文化財に指定され、主要な資料は百年記念館で展示・公開しています。


【旧石器時代の調査】後期旧石器時代後半期に特徴的な細石刃(さいせきじん)と呼ばれる石器が8千点以上も出土しています。当時、この遺跡では石器製作が集中的に行われていたものと考えられます。出土した石器類は、質・量とも全国的に見ても豊富で、当時の石器製作技術や広域での石材獲得活動のようすなどを知る上で貴重な遺跡として評価されています。

【縄文時代の調査】約8千年前の「暁式土器」期を主体に、約2千500年前の縄文時代晩期までの遺物が出土しています。「暁式土器」期では、第4地点と呼ばれる遺跡西側の調査地点から竪穴式住居2棟、墓と思われる土坑1基などの遺構が出土し、集落が営まれていたことがうかがわれます。    

細石刃石器群

「暁式土器」
川西C遺跡 『2万年前のベースキャンプ』

石刃石器群

礫 器

顔料の素

■所在地:帯広市西14条南40丁目周辺
■遺跡の概要
帯広市街地の南部、帯広市立稲田小学校周辺にある遺跡で、
1996年〜2000年に、宅地造成や市道改良工事のための発掘調査を実施しました。調査では約2万年前の旧石器時代から3,500年前の縄文時代後期にかけての遺物が出土しました。

【旧石器時代の調査】 この中で注目されるのは、約18千年前に降下した恵庭岳の火山灰の下層から見つかった石器群です。石器は8ヵ所の遺物集中域から出土し、この範囲には当時のヒトが焚き火をしたあとと思われる焼土も残されていました。焼土中の炭化物の年代測定では約21,500年前という年代が示されています。当時は氷河期の中でももっとも寒かった時期で、北海道東部ではこの頃にはマンモスゾウとヒトが共存していたものと推測されます。
 出土した石器は「石刃(せきじん)」と呼ばれる縦長の剥片を加工して作った削器、掻器、彫器などを主体とした組合せで、1本の石刃を折って複数の石器を作る特徴があります。この石器の多くは黒曜石を素材としていますが、十勝産のほかに置戸産の黒曜石が含まれていることが明らかとなり、当時の人たちが広域的に良質の石材を求めて活動していたようすがうかがわれます。このほかに、川原石の一端をうち欠いて刃を作った「礫器(れっき)」や、赤や黒の顔料の素となった褐鉄鉱・磁鉄鉱などの石も多く出土しました。
  この遺跡は遺物の分布状況や量などから、当時のベースキャンプ的な性格をもったものと推測されます。
 出土した遺物は埋蔵文化財センターで収蔵・公開しています。  
 

空港南A遺跡 『旧石器時代の大規模遺跡』
■所在地:帯広市泉町
■遺跡の概要
帯広空港周辺には支笏火山の火山灰(約4万年前降下)や恵庭岳の火山灰(約1万8千年前降下)によって形成された「古砂丘」地形が残されており、この上に空港南A〜C・上似平・泉町A遺跡など旧石器時代の遺跡が数多く分布しています。
 空港南A遺跡は古砂丘の南向き斜面に残された遺跡で、昭和57年に行われた帯広空港整備に伴う試掘調査で存在が明らかとなりました。この調査では恵庭火山灰の下層からは石刃石器群など、上層からは細石刃石器群や有舌尖頭器石器群など時期の違う石器群が層位的に出土し、旧石器時代の調査・研究上たいへん貴重な遺跡と考えられます。この遺跡は幸いにも主体部が手付かずの状態で保存されています。主要な資料は百年記念館で展示・公開しています。
若葉の森遺跡 『北海道最古の石器』

■所在地:帯広市西16条南6丁目周辺
■遺跡の概要
200102年に道々改良工事に伴う発掘調査が行なわれ、恵庭火山灰の下層から放射性炭素年代で約2万5千年前とされた石器群、上位の黒色土からは縄文時代前期〜中期(約5千年〜4千年前)の遺物が出土しました。
【旧石器時代の調査】恵庭火山灰の下層から9,700点ほどの黒曜石製の石器やこれを作ったときの剥片(カケラ)などが出土しました。石器と同じ地層から見つかった焼土の年代が2万4千〜2万7千年前と測定され、見つかった石器が焼けていたことから、この遺跡は2万5千年ほど前のものと考えられます。この年代値は、今のところ北海道では最古のものです。石器は音更川の下流で採集したと思われる黒曜石の転礫を材料に、これを打ち割って作られた剥片にほとんど加工が施されないことが特徴となっています(写真3)。剥片が接合して元の状態まで復元できたものもあり、当時の石器製作技術も明らかとなりました(写真4)。


1)旧石器時代の調査

2)出土状況

3)石器

4)接合した状態

【縄文時代の調査】縄文時代前期〜中期(5千〜4千年前)の土器や石器などの遺物56,379点、小型の住居跡1基(写真5)、落し穴1基、土坑(穴)、礫の集中9ヵ所などの遺構が出土しました。土器は「若葉の森土器群」と呼んでいる前期後半〜中期前半の平底土器群です(写真6)。この遺跡からは植物質の食料加工に使われた石器類(写真8)が多く出土し、この材料とするために持ち込まれたと考えられる礫が多量に出土したことから、当時の温暖な気候を背景に、植物質食料を集中的に加工していたものと推測されます。   


5)竪穴式住居あと

6)若葉の森土器群

7)石鏃・石槍

8)植物加工の石器

 出土した遺物は埋蔵文化財センターで収蔵・公開しています。

大正遺跡群 『北海道最古の土器が出土』

■所在地:帯広市大正町
■遺跡の概要
帯広市街地の南約15q、途別川の左岸に点在する大正1〜8遺跡を総称して「大正遺跡群」と呼び、20022004年に高規格道路建設のための発掘調査が行なわれました。遺跡群全体では、縄文時代草創期〜前期前半期を中心に、50万点を超える土器や石器などの遺物、住居跡や墓跡などの遺構が出土しました。

【最古の土器】 大正遺跡群の一連の調査で特筆されるのは、2003年に行なわれた大正3遺跡から出土した「北海道最古の土器」です。従来は北海道で土器作りが始まったのは1万年前より後のことと考えられていましたが、大正3遺跡で見つかった土器は、土器に付着していた炭化物の年代測定で約1万2千〜1万2千500年前ということが明らかとなり、北海道・日本の土器作りの広がりを考える上でも極めて重要な発見として評価されます。
 出土した土器の形は丸底で、先端におっぱいのような突起が付いています。模様は「爪形文」と呼ばれる爪で付けたものに特徴があり、本州の縄文時代草創期の土器と共通します。この土器に伴って出土した石器には小型の尖頭器が含まれ、この時期には弓矢を使った猟が行なわれていた可能性が示唆されます。
 この土器や一緒に出土した石器は百年記念館常設展示室「最古の土器」コーナーで、出土状況のパネルとともに展示・公開しています。



【暁式土器群】 
約9千年前〜7千800年前ころ、十勝を含む東北海道地域では「暁式」と呼ばれる平底の土器が盛行していました。大正6遺跡ではこの土器のもっとも古いタイプ(約9千年前)と思われる無文で薄手の土器が多くの石器を伴って発見されました。また、大正8遺跡では「暁式土器」の最も新しいグループとみられる絡条体による文様がつけられた土器が樽前d火山灰(約8千年前降下)の上層から出土しました。(遺物は百年記念館埋蔵文化財センターで公開しています)


【石刃鏃文化】 
約7千500年前、道東地域にはロシア極東地域に起源を持つと考えられる「石刃鏃(せきじんぞく)文化」が広がりました。大正3・7遺跡からは当時の竪穴住居跡や石器作り工房の跡などが出土し、当時の内陸部の拠点的な集落とみられます。(遺物は百年記念館埋蔵文化財センターで収蔵しています)

【縄文時代前期前半】 
石刃鏃文化の集団が集落での生活を止めて以降、土器の表面には縄文が多用されるようになり、約7千年前にはこの地域も「縄文土器文化圏」に含まれました。この頃の住居跡や多くの土器が大正8遺跡の発掘調査で出土しました。
 縄文時代前期(約6千年前)の人たちは大正7・8遺跡に竪穴住居を作り、たくさんの土器や石器を使った生活を営んでいたようです。大正8遺跡から出土した当時の墓には「漆製品」が副葬されたものもありました。同遺跡から出土した土偶は、このステージもしくは少し前くらいのものと思われ、全体に赤い顔料が塗られていたようです。(遺物は百年記念館埋蔵文化財センターで公開しています)

※大正遺跡群の発掘調査で出土した資料は、一部を除き埋蔵文化財センターで収蔵・公開しています。


最古の土器

草創期の石器

暁式土器(大正8)

石刃鏃文化の石器

大正8遺跡の土偶
宮 本 遺 跡
■所在地:帯広市西20条南6丁目
■遺跡の概要
市街地の西部、西20条南6丁目の高台にある宮本遺跡は、1983〜85年に自由が丘団地造成に伴う発掘調査(第一次調査)と、1992・93年に国際研修センター建設に伴う発掘調査(第二次調査)が行なわれ、縄文時代前期後半〜中期(約5〜4千年前)を主体とした土器や石器などの遺物8万5千点あまり、住居跡や落し穴などの遺構が出土しました。
 二次にわたる調査では、植物質の食料加工に使われた「すり石」が900点以上も出土しており、宮本遺跡の5〜4千年前の性格を示唆しています。
【落し穴】
一次・二次調査合わせて19基の落し穴が出土しました。いずれも形は溝状で、長さ3m前後、深さ1.2〜1.5mのものです。このタイプの落し穴は、シカを捕獲するために、シカの通り道などに作られたものと考えられ、道内では前期〜中期に多く作られてたことがわかっています。
【土器】
宮本遺跡の第一次調査出土した土器は、それまで不確実であった前期前半と中期の間を埋める資料として注目され、「宮本式土器」と名付けられ、これ以後、各地の調査で出土する前期後半(約5千年前)に位置する土器の指標とされています。

落し穴

宮本式土器
チョマトー遺跡
■所在地:帯広市西15・16条北1丁目
■遺跡の概要
チョマトー遺跡は、帯広川の流路移動に伴って形成された三日月湖(通称:チョマトー沼)の南岸に立地する縄文時代の遺跡で、平成17年度に市道改良工事に伴う発掘調査が実施されました。
 遺物はTa-c火山灰直上から晩期(約2千500年前、幣舞式相当)の土器、この下位の黒色土からは縄文時代後期(約3千500年前、北筒式相当)、中期(4千年前、モコト式相当)、早期終末(約6千500年前、東釧路W式相当)の土器やこれに伴う石器などの遺物2万点余と、土坑・焼土などの遺構が出土しました。


調査のようす
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