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十勝平野のおいたち  
 約2,250万年前、まだ日高山脈が姿を現す前から、現在の十勝平野ができあがるまでの過程を、岩石、化石などの実物資料や、当時のようすを再現したパネルなどで紹介しています。 
  
 
  中生代の北海道 / 日高山脈の誕生 / デスモスチルスとホタテの海 / クジラの海 
  ミツガシワの湿原 / 氷河期のできごと
  
 中生代の北海道  
 中生代は、およそ2億5千万年前に始まる、大小さまざまな恐竜たちが「恐竜王国」を築いた時代です。
 この時代の北海道は、えりも岬から稚内にかけてが海でした。北海道内では、海に住んでいたモササウルス、クビナガリュウ、アンモナイト、イノセラムス、トリゴニアや、陸に住んでいたカモノハシリュウ、空を飛んだプテラノドンなどの化石が見つかっています。
 ステージには道内各地で見つかったアンモナイトやイノセラムスの化石を展示しています。
 
空にはプテラノドンが飛び、海面にクビナガリュウが首を出してあたりをうかがっています。海中ではモササウルスが泳ぎ、アンモナイトを食べているものもいます。海底にはイノセラムスやトリゴニアなどの二枚貝がいます。
■アンモナイト
 
アンモナイトは、巻貝のような殻をもっているので、貝の仲間とまちがわれますが、分類上は頭足類といって、タコやイカの仲間です。大きさや形はさまざまで、殻の直径は1㎝のものから2mに及ぶものまであります。
 アンモナイトは約4億年前に現われ、中生代に入ってから大繁栄し、世界中の海に分布を広げました。しかし、恐竜が絶滅した6千5百万年前に、アンモナイトはすべての海から姿を消してしまいました。
■恐竜絶滅とK-T境界層
 
浦幌町の茂川流布
(もかわるっぷ)で日本では唯一のK-T境界層が発見されました。この層は、約6千5百万年前に巨大隕石が地球に衝突した時の粉塵の堆積によってできた黒い地層で、イリジウムという隕石に含まれる成分が多いことがわかりました。この事件で恐竜が絶滅したとされています。この地層を境に中生代白亜紀(K)が終わり、新生代第三紀(T)が始まります。
 2012年、K-T境界層の下部から十勝で初めてアンモナイトが発見されました。
 
アンモナイト化石 
 日高山脈の誕生  
■日高山脈の誕生
 
えりも岬から狩勝峠までの南北140㎞におよぶ日高山脈には、深いV字谷と、けわしく切り立った山々が連なり、この山脈がまだ若い壮年期の山地であることを示しています。
 日高山脈が誕生したのは約1千万年前、地質時代の第三紀中新世のことで、西側のユーラシアプレートに東側の北アメリカプレートの一部が衝突して生じた大きな力によってつくられた、と説明されています。日高山脈の上昇速度はもっとも速かった中新世の後半で年間2.8㎜と見積もられています。
 日高山脈は、十勝平野が陸地になった数十万年前以降も断続的に隆起して、多量の砂や石を平野部へ供給しています。
プレート 地球の表面をおおう厚さ約100㎞の岩盤で、地球の表面は十数枚のプレートでおおわれています。
 日高山脈が誕生した約1千万年前、東西プレートの境界は北海道の中央部を南北に走っていました。現在の北海道は、北アメリカプレートの西のはしにのっており、奥尻島の近くでユーラシアプレートに接しているようです。多くの場合、地震や火山活動はプレートの境目で起こっています。
 
伏美岳から撮影した日高山脈
■十勝の石
 
岩石は、マグマが固まった火成岩、泥や砂が固まった堆積岩、強い圧力や高い温度を受けて、もとの岩石とは違った性質になった変成岩の三つに分類されます。
 このうち火成岩は、マグマが地下の深いところでゆっくりと冷え固まった深成岩と、地表付近で急に冷え固まった火山岩に分類されます。
大雪山系の石 十勝北部の大雪山一帯には、火山岩の安山岩が多く、過去に活発な火山活動があったことを物語っています。黒曜岩はガラス質の火山岩で、音更川で採集できるものは、十勝三股付近が供給源と考えられています。
日高山系の石 日高山脈には変成岩や深成岩が分布しています。これらの岩石は、日高山脈が誕生する以前にできており、この年代の違いからも、日高山脈は東西のプレートが衝突してできたことが分かります。
 
 
日高山系の石・大雪山系の石
 
 デスモスチルスとホタテの海   
 日高山脈が誕生したころの十勝は、本別や浦幌の内陸部が太平洋に面した海岸でした。当時のこの海岸にはデスモスチルスという、ほ乳動物が住んでいました(右写真)。
 足寄町からは、デスモスチルスの祖先にあたるアショロアやベヘモトプスの化石も発見されています。
 
5百万年前の鮮新世になると、タカハシホタテ(二枚貝)をはじめ、多くのホタテ貝が繁栄しました。

■デスモスチルス
 
中新世の中期から後期(1千5百万年前~1千万年前)にかけて、北アメリカ西海岸からカムチャッカ、日本列島にかけての北太平洋沿岸地域に限って生息していた水生のほ乳動物です。デスモスチルスの名前は、束ねた(デスモス)柱(スチルス)のような状態(右下写真)から命名されました。
 全長は約3m、体形は尾を切り落とした大きなワニに似ており、あしはトカゲなどのは虫類のように横に張りだしていたようです。
 デスモスチルスの束状になった臼歯は、ヒトの歯にも見られる、咬みあわせ面のコブが高さを増して柱状になり、となりどうしが結合したためにできたものです。1本の大臼歯をつくるこの柱の数は上あごで8本、下あごで6本が基本になっています。なお、このコーナーの展示ステージにある頭骨標本(複製)は、1933(昭和7)年に、当時の樺太で発見されたものです。 
もっとくわしく⇒足寄動物化石博物館
■ベヘモトプス
 
足寄町上螺湾
(かみらわん)の漸新世後期(2千8百万年前~2千5百万年前)の地層から、全身の骨格がほぼそろった化石が発見されています。臼歯の形はデスモスチルスのような柱状ではなく、低いコブ状で原始的です。体形はデスモスチルスと同じように、は虫類型ですが、やや胴が長く、細身のようです。
■タカハシホタテ
 
サハリンから本州東北地方にかけての5百万年前~3百万年前の地層に含まれる、大型ホタテガイの絶滅種です。右殻が大型で丸く、厚いのが特徴です。
 

デスモスチルス(想像復元図)
 
デスモスチルス
臼歯(複製)
 
タカハシホタテ
 クジラの海  
■クジラの化石
 
約160万年前の更新世前期になると、海は全体として狭まり、現在の新得-上士幌-池田―古舞(幕別町)を結び、豊頃丘陵の西側を通って大樹付近を入口とする湾(古十勝湾)になりました。ちょうど青森県の陸奥湾ほどの大きさです。
 この海には、ザトウクジラ、イワシクジラ、イルカ、アシカ、セイウチやサメが泳いでいました(右、想像復元図)。また、いろいろな種類の二枚貝や、有孔虫(アメーバの仲間)もたくさん住んでいたようです。これらの化石を含んだ海の地層は、長流枝内
(おさるしない)層と呼ばれています。
 十勝平野はこの海の規模や形がもとになってつくられました。
 
■十勝の貝化石
 
十勝は長いあいだ海の時代が続いたので、貝や海に住んでいた動物の化石がたくさん見つかっています。
 貝類の歴史は古く、恐竜のはるか以前、約6億年前の古生代カンブリア紀に出現しました。貝類は、石灰質のかたい殻をもっているので、化石として残りやすく、しかも、ほとんどの化石が示準化石(地層の年代を示す化石)や示相化石(古環境を示す化石)として利用されています。
 展示室のステージ上には、十勝地域で産出する貝化石のほとんどの種類が展示されています(右写真)。
 貝化石の年代は、約1千5百万年前(中新世中期)から80万年前(更新世前期)に及んでおり、十勝では古い化石は東部地域から、新しい化石は中央部から産出する傾向があります。これは、かつての十勝の海が、時代とともに東から西へ移動したことを物語っています。
 ミツガシワの湿原  
■湿原の時代
 
約100万年前になると、十勝三股で大規模な火山活動が始まり、十勝平野北部一帯は火砕流におおわれました。新得町屈足から芽室町美生川、足寄町芽登にかけてみられる厚い凝灰岩はこの時代のもので、南は幕別町古舞まで達しています。屈足付近では噴出源に近いため、厚さは150mにもおよび、堆積後の熱で再結晶して柱状節理が発達しています。
 約80万年前になると、それまでの古十勝湾は外洋と閉ざされ、平野中央部には、現在の釧路湿原の6倍にも匹敵する、ミツガシワやヨシが繁る広大な湿原が広がりました(右の想像復元図)。この広がりは、北は新得町屈足―然別火山南麓、東は士幌川-途別川、南は中札内村―芽室町嵐山を結ぶ範囲で、当時、湿原の中央に位置していた芽室町国見山では、湿原の地層(渋山
(しぶさん)層)が28mも堆積し、ミツガシワの種子化石を含む亜炭層や泥炭層が何枚も含まれています。
 
 
 
約80万年前になると、十勝平野の中央部にはミツガシワやヨシが繁る湿原が広がりました。 
■十勝平野の段丘地形
 
十勝平野には、河川の流路に沿って高低何段もの河岸段丘が分布しています。段丘は平坦な段丘面と急傾斜の段丘崖でできていますが、このうち、段丘面はかつての氾濫原であり、段丘崖はかつての川岸(河食崖)です。
 十勝平野の段丘地形(右図)は、日高山脈の急激な上昇運動や、氷期の寒冷気候を背景に形成されたようです。まず、数十万年前、日高山脈の南部が上昇して多量の砂礫(光地園礫層)が流出し、古期扇状地が形成されました。その後、河川がこの扇状地を侵食して4段の古期段丘群が形成されました。そして、約4万年前までに再び日高山脈から砂礫(上札内Ⅰ礫層)が多量に流出して、新しい4段の新期段丘群が形成されました。
 段丘地形は、古い時代のものほど標高が高く、古い火山灰が堆積し、起伏も発達しています。
 
 
十勝平野の段丘地形の模式断面図
 氷河期のできごと    
 今から164万年前に始まる第四紀更新世は「氷河の時代」と呼ばれ、寒冷な氷期と、温暖な間氷期がくり返し訪れました。忠類にナウマンゾウがいたのは、12万年前の間氷期のことです。その後、約8万年前からは、もっとも寒い氷期(最終氷期)となり、約1万年前まで続きました。
■氷河期の動物
忠類のナウマンゾウ
 1969~70(昭和44~45)年、忠類村晩成(現 幕別町)で世界で初めて、ほぼ一頭分のナウマンゾウ化石が発掘されました。復元の結果、体長3.6m、背丈2.4mで、1.8mの牙をもった老年期のオスであることがわかりました。このゾウは比較的温暖な環境で生息していました。
マンモス ユーラシア北部や北米の寒冷地帯に生息していた有毛のゾウで、大きなものは肩の高さが3mを超えます。忠類の晩成からは約4万3千年前のマンモスの歯の化石が発見されています。
 

 ナウマンゾウ臼歯
(幕別町忠類)

マンモス臼歯
(えりも)
     山は氷河におおわれ、平野部の草原にはマンモスやオオツノジカ、バイソンが集まっています
■氷河周辺のできごと
 氷期には、日高山脈の山頂付近に氷河が発達し、この氷河が山肌をけずって「カール」というくぼんだ地形をつくりました。
 また、約4万年前に支笏湖が爆発したときに飛んできた火山灰や、約2万年前に恵庭岳が大噴火したときの火山灰が大量に降り積もり、氷期の寒冷で乾燥した気候のもとで、十勝平野は二度、砂漠の状態になりました。
 この時に形成された砂丘の名残り(古砂丘)が、現在でも、美生川から途別川にかけて、たくさん残っています。
 氷河周辺では、寒さのために土に中の水分が深くまで凍ります。凍った地面は、抵抗の少ない地表に向かって膨張したり、割れ目を作ったり、盛り上がったりします。
 十勝平野では右の写真のように地層が波状になったり、凍結割れ目、石や土の盛り上がりなど、かつて氷河周辺の環境にあった証拠が観察できます。
   
 
氷河周辺にあったことを語る地層