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『ふるさとの語り部』 第1号〜22号総目次
★「ふるさとの語り部」事業は、十勝開拓の第一世代である明治期の開拓移住者の体験談を音声で記録・保存することを目的として昭和47年から始まりました(当初は帯広市図書館の事業)。そして昭和61年からは収録作業と並行して、それまでに収録してきた音声を順次文字化し、シリーズ『ふるさとの語り部』として発刊し、今日に至っています。また、近年は開拓第一世代の方が少なくなっていることから、各号ごとにテーマを設けてその変遷・経過が俯瞰できるような試みを続けています。
 第1号から22号までに延べ283名の方から聞き取りが収録されており、いずれも、帯広・十勝の歩みを語る貴重な証言となっています。
※『ふるさとの語り部』は、帯広百年記念館ミュージアムショップで販売しております。くわしくは、百年記念館までお問合せください。 (第17号は品切れ、第2・5号は1200円、ほかは1,000円)
第22号 「特集〜チエオタ・蝶多・千代田」(平成22年1月29日発行)

◆巻頭フォト ふるさとの肖像−池田町千代田
◆語り部
 陶久 富吉 (収録:平成18年9月27日/聞き手:作間勝彦)
 陶久万作・膳吉の兄弟が四国徳島から蝶多村(現・池田町千代田)へ移住したのは明治39年。兄・万作家から独立分家した膳吉家だが、子どものいない万作家に長男、次男を次々と養子に出し、三男尾富吉氏が分家の二代目を継いだ。その本家を継いだ次兄の跡を受け、兄弟で農協組合長(利別農協と合併後の池田農協)として地域農業を牽引。小規模複合が千代田農業の伝統。

 野尻 勢津子 (収録:平成18年11月22日/聞き手:作間勝彦)
 陸別町斗満の開拓農家に生まれる。満7歳の昭和10年、一家は池田町千代田へ移住して営農。下に弟三人、妹五人の長女は、子どもの頃から梶に育児に農作業にの働き者。見込まれて近所の農家に嫁いで見せた、かつての家に嫁ぐ「嫁」の決意の生きざま。

 野尻 庄市 (収録:平成17年10月11日/聞き手:作間勝彦・阿部玲子)
 「そこに行けば広い土地が自分のものになる」と利別太を目指してやってきた父親は淡路島、母親は徳島の出身。その自分のものにした利別太に隣接する蝶多(千代田)の河川の氾濫で拓かれた樹木のないアシ原は、開拓の容易さ、肥沃さと引き替えの水害常襲地帯。水害を避けた移転先は熊牛の十勝開墾合資会社農場だった。

 鈴木 政博 (収録:平成17年9月28日/聞き手:作間勝彦・小野寺敞子)
 馬産が盛んだった大津村(現・豊頃町大津)で子どもの頃から馬に親しみ、十勝農業学校、高等獣医専門学校から新制なった帯広畜産大学を卒業し獣医師となる。共済組合獣医さらに定年後もばんえい競馬組合獣医と、終生馬とかかわる歩みをもとに語る十勝馬産の歴史。
第21号 「特集〜ふるさとの肖像−豊頃・大津」 (平成20年1月31日発行)

◆巻頭フォト ふるさとの肖像−豊頃・大津
◆語り部
 阿部 富喜男 (収録:平成16年11月10日/聞き手:作間勝彦)
 大正14年、大津村厚内生まれ。厚内高等小学校を卒業。昭和17年、父母とともに帯広へ移住、帯広刑務所に事務員として勤務。昭和20年4月、陸軍航空隊へ現役入隊。地上通信兵となり南朝鮮で勤務。終戦の20年10月に除隊。21年3月、帯広刑務所看守を拝命し、以後道内各刑務所に勤務。昭和59年4月、帯広刑務所用度課長で退職。退職後、釧路刑務所時代に十勝監獄の文書資料に出会ったことをきっかけとした同監獄中心とする北海道の監獄史を研究。

 鈴木 政博 (収録:平成17年7月22日/聞き手:作間勝彦・小野寺敞子)
 昭和3年、福島県生まれ。8年、家族で大津村(現・豊頃町)へ移住。大津尋常高等小学校を卒業して十勝農業学校へ進学。さらに帯広高等獣医専門学校へ進み、25年、新制の帯広畜産大学を卒業して獣医師の免状をもらう。昭和27年、北海道農業改良普及員となり、大津村各地域4Hクラブで農業青年を指導。29年から浦幌共済組合へ移る。52年に定年退職し「有限会社阪南ファーム」の農場長として食肉畜産業にたずさわる。61年から十数年間、ばんえい競馬組合の獣医を勤めた。昭和の町村合併で消えたふるさと大津村の姿。

 依田 静江
(通称・衣世) (収録:平成16年10月6日/聞き手:作間勝彦)
 大正6年、帯広町大通り4丁目生まれ。父母の小畑利左衛門、ひさ夫妻は明治40年の鉄道の狩勝開通直前頃に宮城県から移住した。柏小学校、同高等科、帯広大谷家政学院を卒業。藤丸デパートに勤務後、上京して美容師修行をしたが病を得て帰郷。昭和15年、依田勉三の分家で、帯広の晩成社ゆかりの地で市乳牧場を経営していた依田善助、トシ夫妻の次男、依田朔二と結婚。19年に家族で札幌へ移住。今日、依田勉三ゆかりの数少ない一人。依田家へ嫁いだいきさつ、夫を支えた細腕繁盛記。

 早川 美津子 (収録:平成16年9月29日/聞き手:作間勝彦)
 昭和10年、士幌村佐倉生まれ。農家の三男六女の末っ子で、子どもの頃から母親の炊事を手伝い、自給自足が中心だった戦前の十勝農村の食の生活技術を受け継ぐ。昭和34年、結婚して帯広へ移る。57年、帯広の郷土デザイン開発の「十勝の食卓」活動に参加、その郷土色豊な食の技術が注目される。64年、帯広市八千代畜産研修センターの料理長となり、地元農業、地元の食材に密着した家庭料理が好評を呼ぶ。開拓農家の食文化を下敷きとした郷土料理の開発。

◆語り部〜移民のふるさと美濃・坂内村
 山口 忠次 (収録:平成17年1月14日/聞き手:作間勝彦)
 祖父は明治30年4月、岐阜県揖斐郡坂内村字坂本から売買村(現・帯広市稲田)へ移住、父親も坂内生まれの小学生だった。その祖父の山口源次は、米作りを目指して明治34年、現・幕別町途別へ移転、同地での稲作先駆者、現・札内農協の前身となる途別産業組合の創立者となった。忠次さんは、昭和6年3月7日、途別で二代目の彦四郎氏の次男として生まれる。祖父・源次、父・彦四郎や二人の出身地で山口家のふるさとである岐阜県坂内村を語る。

 高橋 花子(収録:平成16年8月11日/聞き手:作間勝彦)
 昭和8年、幕別町弘和生まれ。父親の山口吉蔵は、岐阜県揖斐郡坂内村の出身。上に男三人の長女に生まれ、下に弟と妹の六人きょうだい。小学校3年生になる時に弘和から駒畠へ家族で移転、その年に母親を亡くした。小学校を卒業して、希望した高等科進学だったが許されず、農家へ奉公に出る。昭和23年、16歳の5月から翌年1月まで坂内村の父の実家へ働き手として手伝いに行く。帰ってからも農家への奉公生活を続け、昭和32年、25歳で幕別町古舞の農家へ嫁ぎ、昭和48年に離農した。農家奉公に明け暮れた少女時代。

◆特別寄稿「横徴水九四九四一、私の太平洋戦争従軍記」梅澤 重利
 日本海軍横須賀基地鎮守府の94,941番目水平となった筆者が、記憶の風化への抵抗をこめて綴った終戦までわずか1年の太平洋戦争従軍記。
第20号 「特集〜移民のふるさと−美濃・坂内村」 (平成16年3月31日発行)

◆巻頭フォト ふるさとの肖像−美濃・坂内村
◆特集〜移民のふるさとー美濃・坂内村
 堀田セツ子・むめよ・正雄 (収録:平成15年7月2日/聞き手:山中玲子・作間勝彦)
 
昭和4年、音更町生まれ。同26年、同じ岐阜県坂内村出身という縁で、親が決めた幕別町古舞の堀田正雄と結婚、一男一女をもうけた。堀田家は、大正7年、正雄の祖父母にあたる喜代八、はすの夫婦が岐阜県揖斐郡坂内村から移住、開墾の鍬をおろした。現在は畑作専業で、正雄の母むめよ、長男夫婦と孫とともに、四世代6人家族で生活。

 西部 宗市 (収録:平成15年12月19日/聞き手:作間勝彦・阿部玲子)
 
昭和4年、音更町字東音更西3線6番地生まれ。西部家は初代の西部喜代吉が、明治30年5月、岐阜県武儀郡中有知村(現美濃市)から団体移住した武儀団体の副団長として現地に入植、宗市さんが三代目。初代、二代目で父親の丈太郎ともに若くして他界、祖母、母親と女性が頑張って家を支えてきた。現在は、長男の隆志が四代目として67ヘクタールの畑作専業を経営。地域では、開拓移住以来の地域の伝統行事である「お日待ち」をいまも続けている。

 奥谷 君枝 (収録:平成14年1月26日/聞き手:阿部玲子・作間勝彦)
 大正11年、岐阜県可児郡上ノ郷村字中切(現岐阜県可児郡御嵩町中切)生まれ。昭和12年、尋常高等小学校卒業後、滋賀県大津町(現大津市)の紡績工場へ集団就職。昭和14年、満17歳で親が決めた相手と結婚。夫は明治40年、岐阜県より川西村(現帯広市)に入植した奥山喜一の長男で、従兄弟の一丙。「親にだまされて、北海道へ遊びにきたつもりが嫁入りだった」という。結婚までの岐阜での生活、結婚のいきさつ、など

◆紀行 「移民のふるさと−美濃・坂内村」作間勝彦
◆語り部
 志田 ゆり (収録:平成14年10月8日/聞き手:小野寺敞子・作間勝彦)
 明治43年、苫小牧生まれ。父親の勤務する日本皮革会社の転勤で、2歳から12歳まで十勝の河合村(現池田町)に住む。その後東京、大阪で青春時代を過ごす。昭和3年、19歳で志田政雄と結婚。教員の夫と東居辺を振り出しに十勝管内8カ所を移り住む。家庭科の先生、下校の女子青年に裁縫指導などを経験。昭和40年、夫の退職後、帯広市の次女夫婦と同居。幼なじみだった吉村帯広市長の少年時代のことなど。
第19号 「特集〜移民のふるさと−越中・富山」 (平成15年3月30日発行)

◆巻頭フォト 
◆特集〜移民のふるさとー越中・富山
 池上 葉子 (収録:平成14年7月26日/聞き手:山中玲子・作間勝彦)
 大正15年、富山県婦負郡杉原村井田(現富山市八尾町井田)生まれ。昭和8年、父母、兄、妹ら一家8人で上士幌町上音更に入植、開墾に従事した。昭和23年、同町萩ヶ丘地区に台湾から移住、入植していた池上家の四男励(はげむ)と結婚。昭和40年代に入り、ようやく電気・水道が整備されたのを機に、畑作から酪農に転換。無水地帯の開拓の苦労。


 田村 恵美子 (収録:平成14年10月4日/聞き手:山中玲子・作間勝彦)
 昭和7年、音更町字音更西4線46番地生まれ。田守家は初代の田守太吉が明治30年、富山県から集団移住した通称矢部団体の責任者としてこの地に入植。恵美子さんが4代目。現在恵美子さんの長男の信夫が5代目として営農。夭折した兄に代わって子どもの頃から家を継ぐ者として育てられた経緯など。
◆紀行 「移民のふるさと−越中・富山」作間勝彦
◆語り部

 外山 聖子 (収録:平成14年5月31日/聞き手:小野寺敞子・作間勝彦)
 昭和34年、宮城県栗原郡若柳町生まれ。高校卒業後、北海道の酪農に憧れて来道、一年間の酪農実習後、酪農学園酪農短期大学へ進み、卒業して生活改良普及員として十勝東部地区農業改良普及所豊頃駐在所に勤務。昭和59年、外山勝則と結婚、帯広市美栄町に来る。夫と畑作農業を営みながら都会の子どもたちのファームステイの受け入れ、産地直送などにより、消費者と生産者の顔の見える関係作りを目指す。
◆特別寄稿「父・三原武彦の生涯と依田勉三」島田ユリ
 病床の勉三から「十勝野は・・・」の言葉を聞いた勉三遠縁の三原武彦。彼の次女が綴った父と勉三の数奇な繋がり。
第18号 「特集〜移民のふるさと−越前・福井」 (平成14年3月30日発行)

◆巻頭フォト ふるさとの肖像−越前・福井
◆紀行 「移民のふるさとー越前・福井」作間勝彦
◆語り部

 石井 幸子(収録:平成11年8月31日/聞き手:作間勝彦・池添久美子)
 昭和23年、富山県富山市生まれ。生地の富山市で23歳の時に結婚。夫の転勤で福岡県小倉市で9年、長野県松本市で6年を過ごし、昭和62年に帯広へ来て13年目。帯広で初めて知った会費制結婚式など、今日の府県からの移住者の見た十勝の生活文化。

 松本 ふみ  (収録:平成12年9月18日/聞き手:山中玲子)
 明治35年、神奈川県都筑郡中里村(現横浜市)生まれ。大正6年、尋常高等小学校卒業後、検定で小学校教員免許取得。6年間の教員生活を経て、昭和2年、同郷の松本萬次郎と結婚、東京都杉並区荻窪で酒店を開業。空襲の拡大にともない、昭和20年8月、「拓北農兵隊」として夫婦と子ども10人の一家で上士幌町に入植して開墾に従事。昭和35年に夫が病死、同44年に離農した。「拓北農兵」の経緯と戦後の開拓生活。

 湯浅 優子 (収録:平成13年7月6日/聞き手:山中玲子・作間勝彦)
 昭和25年、長崎県平戸島生まれ、東京育ち。高校卒業後、職業訓練校に入学、洋裁を習う。家でデザイナーの下請けや、フリーの仕事をしていた23歳の時、たまたま目にしたアルバイト情報誌で「農業実習生募集、十勝新得町」の記事を見て来道。酪農家二代目の湯浅健と結婚。農業のあり方について考えるようになり、自宅の一部を改築してファームイン「つっつちゃんと優子の牧場の部屋」を開業した。都会の女性が拓いた新時代への農業の試み。

 横山 むめ (収録:平成11年10月9日/聞き手:作間勝彦・小野寺敞子)
 明治38年、福井県三方村字猿和田(現福井県丹生郡清水町)生まれ。生後30日で、父母、姉とともに釧路の鳥取村へ移住。明治42、3年頃、一家は鳥取村から凋寒村(現池田町)信取へ移り、同地の高島農場の小作となる。同農場の小作で同姓の横山宗治と結婚。小作農の子ども時代から農地解放で自作農となった終戦期までの生活。一世紀に及ぶ一生を開拓入植地で過ごした明治生まれの女性の歩み。

 渡辺 宣子(収録:平成13年4月6日/聞き手:小野寺敞子・山中玲子・作間勝彦)
 大正9年、山口県岩国市生まれ。父親の姉の渡辺登美(渡辺裁縫女学校の創立者)の養女として大正12年、満2歳で帯広に来る。実践女子専門学校、文化服装女学院で学ぶ。昭和18年、樋口真と結婚。夫婦で養母の学校を引き継ぐ。昭和39年養母が亡くなり夫の真が渡辺女子高校の校長、宣子さんは渡辺裁縫女学校の校長となる。渡辺女子高校は共学にし、現帯広北高等学校となる。母子二代にわたる女子教育の足跡。
第17号  (平成13年3月30日発行)

「特集〜十勝の音楽文化」
 稲富 鎮恵 (収録:平成12年8月12日/聞き手:末広 襄)
 昭和10年、九州福岡県生まれ。昭和32年帯広市内の小学校で音楽教師として教鞭を執る。昭和46年より帯広旭楽器商会が開設した音楽教室の専属講師となる。同音楽教室から独立してエレクトーン教室を開設。十勝・帯広音楽作家協会代表、全国カラオケ指導者協会教授、全国エレクトーン指導者協会々員などを務める。学校音楽から大衆音楽の指導者へ転身。

 井村 悦夫 (収録:平成12年11月4日/聞き手:末広 襄)
 昭和20年、上湧別町生まれ。悦夫さんは上湧別小学校4年生の時からバイオリンを習い始め、中学校、高等学校でオーケストラ活動を経験する。上湧別高校を卒業後、昭和40年に北海道大学へ進み、北大交響楽団に入団してビオラパートの主席をつとめる。昭和44年、日本甜菜製糖株式会社入社。かたわら帯広十勝の音楽活動に力を入れ、ビオラの普及に努める。小学校の時、父親の死がきっかけとなって始めたのがバイオリン。

 九本 栄一 (収録:平成12年7月8日/聞き手:末広 襄)
 昭和7年、幕別町生まれ。父親の伊佐美は依田勉三の水田開拓の小作人として途別に入植する。栄一さんは実家の水稲栽培に携わるが、小さい時から民謡や浪曲をうたい、才能を発揮しながら民謡家としての道を歩みはじめ、新たな民謡も作曲。十勝民謡友の会連合会師匠本部長、道連大会審査委員長、十勝馬唄保存振興会宗家などをつとめる。拓聖・依田勉三をしのぶ頌徳祭で唄い、評判となって進んだ民謡の道。

 西東 健一 (収録:平成12年8月2日/聞き手:末広 襄)
 昭和17年、足寄町生まれ。帯広音楽鑑賞協会は昭和37年に帯広勤労者音楽協会として発足する。西東さんは、昭和44年より同協会の事務局長を務めて今日に至る。クラシックからポピュラー音楽まで幅広いジャンルのコンサートを企画し、会員減の苦境を乗り越えてきた。また、十勝の演奏家の育成にも力を入れ、町村各地でのコンサートにも取り組む。勤労者音楽協会から音楽鑑賞会への歩み。

 鈴木 洋子 (収録:平成12年7月22日/聞き手:末広 襄)
 昭和8年、白糠町生まれ。昭和26、庁立帯広高等女学校(現帯広三条高等学校)を卒業し、池田中学校に体育教師として赴任する。同校在勤中音楽教育に心惹かれて武蔵野音楽大学に学ぶ。幕別中学校に音楽教師として赴任後、中学生の合唱指導に没頭。NHK合唱コンクールには連続31回出場の実績を持つ。特に最終勤務校である帯広第一中学校では全国大会に選ばれた。小学生だった時、ニューギニアで玉砕した父親の英霊が帰還した際に迎えて歌った合唱が音楽への始まり。

 寺本 喜久夫 (収録:平成12年9月2日/聞き手:末広 襄)
 昭和2年、札幌市生まれ。昭和20年、旧制帯広中学校(現帯広柏葉高等学校)を卒業後、帯広市立西小学校を振り出しに同市内小学校八校に勤務する。帯広小学校勤務時から、管内ではじめての小学校鼓笛バンドを編成して指導。昭和47年から13年間帯広市教育研究会音楽部部長として音楽教育に尽力。昭和36年、帯広小学校に十勝最初の鼓笛バンドを創設したことなど。

第16号  (平成12年3月30日発行)

「特集〜十勝の音楽文化」
 泉  啓二  (収録:平成11年9月29日/聞き手:末広 襄)
 昭和11年、芽室町生まれ。昭和29年帯広柏葉高等学校を卒業後、大津中学校の教員を振出しに、十勝管内の士幌中央中学校、池田中学校など五校の中学校に音楽教師として勤務。昭和63年より7年間、十勝音楽教委育研究会会長。平成7年、全道音楽研究大会池田大会開催に尽力。柏葉高校時代のハーモニカバンドのメンバーで演奏グループを編成して活動を続ける。池田町コーラス「いずみ」の指揮者。学校音楽教育の足跡と、おじさんハーモニカバンド発足の経緯。

 岩井 照清 (収録:平成12年1月15日/聞き手:末広 襄)
 昭和7年、朝鮮清津生まれ。昭和26年、帯広柏葉高等学校を卒業し、帯広市立柏小学校、同光南小学校、明星小学校教員を歴任して、音楽教育の向上に力を入れる。昭和36年、アドニス少年少女合唱団を結成して指導。帯広市姉妹都市への派遣公演並びにブルガリア公演などを実現。昭和49年、帯広市文化奨励賞受賞。アドニス少年少女合唱団発足のいきさつなど。

 景山  斉  (収録:平成11年7月14日/聞き手:末広 襄)
 大正6年、徳島県名西郡神山村生まれ。父親の与平は医師で大正9年徳島県から西帯広(現帯広市)に移住し、景山医院の開業と共に警察医も勤める。斉さんは、旭川師範学校卒業して十勝管内の中学校で音楽教師として勤務し、数多くの校歌・音頭の作曲。十勝教育局指導主事等を経て帯広市内の中学校長を歴任。小学校時代に軍隊ラッパとの出会いから始まる音楽への道。

 田中 正子(収録:平成11年12月15日/聞き手:末広 襄)
 昭和6年、帯広市生まれ。父・藤田梁次郎は青森県からの移住者で、帯広市東12条南13丁目で藤田建具・家具商を営んでいた。正子さんは、昭和29年、田中俊秀と結婚。昭和32年、大通り南9丁目に旭楽器商会を創業、夫と共に経営に当たる。俊秀はアコーディオンの名手で、仲間と音楽活動を行っていた。昭和40年代の終りから50年代にかけての、ピアノが飛ぶように売れた頃など。

 辻  省吾 (収録:平成11年8月11日/聞き手:末広 襄)
 大正6年、池田町利別生まれ。昭和13年幕別町の新田ベニヤ株式会社に勤務し、昭和47年同社を退職する。戦後同社内に作られた軽音楽団のメンバーとして活躍する。昭和54年からチェロをはじめ、昭和63年、帯広交響楽団の誕生とともに最高年齢者として入団し、平成元年の帯広市民文化ホールこけらおとしの演奏会に出席。新田ベニヤの工場勤めで出会った楽器演奏の楽しさ。

 浜中 芳吉 (収録:平成11年7月28日/聞き手:末広 襄)
 明治44年、根室町市生まれ。昭和5年、北海道札幌師範学校を卒業して花咲尋常高等小学校に赴任。昭和9年、帯広尋常高等小学校へ転任し、同年行われた帯広音楽協会研究演奏会でピアノを独奏する。昭和28年、帯広市小・中学校教育研究会の発足と同時に音楽部会の委員長を務め、音楽研究組織の基盤を築く。音楽との出会いは師範学校で始めた合唱。

 森行 明子 (収録:平成11年8月26日/聞き手:末広 襄)
 昭和7年、帯広市東1条南4丁目生まれ。昭和26年道立帯広柏葉高等学校を卒業して帯広市立柏小学校へ勤務する。昭和29年武蔵野音楽大学へ入学し、昭和32年森行ピアノ塾を開設する。平成7年度帯広市文化賞受賞。ピアノ教育につくした半生。

 山川 三郎 (収録:平成11年8月17日/聞き手:末広 襄)
 大正10年、帯広町石狩通り3丁目生まれ。父親芳太郎は雑貨商を営む。昭和15年北海道旭川師範を卒業して帯広啓北高等小学校の教員となる。戦後再び帯広市内小・中学校で教鞭を執り、音楽教育に力を入れる。帯広地区吹奏楽連盟初代理事長並びに全国吹奏楽連盟常任理事などを務める。平成5年、帯広市文化賞受賞。祖父母、両親一家は、大正2年に徳島から移住。三郎さんの音楽の原点は、子どもの頃に親しんだ阿波郷土芸能の人形浄瑠璃。

 渡部 裕隆 (収録:平成11年9月25日/聞き手:末広 襄)
 昭和10年、音更町生まれ。父の国雄さんは音更町で醸造業を営む。裕隆さんは、昭和35年、北海道学芸大学札幌分校特設音楽科を卒業して帯広柏葉高校に音楽教師として勤務。退職後は父の醸造業を引き継ぐ。現在は、合唱団クールビヨン、同音更ボイス・ブーケ指揮者として音楽活動の向上に貢献している。平成9年、十勝文化特別賞受賞。音楽の授業で出会った中島みゆき、ドリカムの吉田美和。
第15号 (平成11年3月30日発行)

「特集〜女性が語る私の歩みとふるさとの歴史」
 岩井 かつ子 (収録:平成10年9月29日/聞き手:草野尋匡)
 大正3年、釧路市生まれ。父親の佐藤直太郎は考古学、アイヌ文化、郷土史の研究家。初代釧路図書館長。アイヌの人達との交流と文化の保存につとめ、特に山本多助とのつき合いは深い。18歳で帯広の岩井正太郎と結婚。正太郎は西2条南10丁目にあった旧依田勉三邸を借り受け(後に購入)、岩井時計店を開業した。父親の足跡、依田勉三邸の始末など。

 久保 とみ (収録:平成10年5月23日/聞き手:草野尋匡)
 大正8年、幕別村上途別生まれ。両親の古村勝治郎、きよ夫婦は、明治33年、長野県より当時の幕別村上途別原野に入地し開拓、地域の神社、学校、農協の前身の産業組合等を創設する。勝治郎は、入地当時のようすを日記に書きとめている。とみさんは、上途別の入地場所で生まれ、同地で育ち現在まで同地域で暮らす。父親の足跡と少女時代の思い出。

  高薄 ウメ (収録:平成10年11月26日/聞き手:草野尋匡)
 明治43年、札幌市生まれ。札幌家政女学校を卒業後、札幌商工会議所に二年間勤務。後、和裁の技術を見込まれ、丸井デパートに移り、和裁担当主任として八年間勤務。昭和11年、高薄一男と結婚。一男はフォード車を扱う代理店と修理工場を経営。後年、東北海道いすず自動車を創業。明治生まれの大正育ち、明治の気骨と大正モダンの女性の生きざま。

 深澤 須美子 (収録:平成10年12月11日/聞き手:草野尋匡)
 昭和2年、十勝清水町生まれ。五歳の時、両親と帯広市大通南3丁目に転居。父親は新聞販売店、京染店、菓子屋などを営む。帯広小、小林雅陽師について本格的にお琴の道に入る。生田流正派邦楽会大師範。芸名・深澤雅楽須美。賑やかだった大通6丁目の大北市場、庁立女学校(現帯広三条高等学校)時代の援農など、少女時代の思い出。

 福井 静子 (収録:平成10年11月13日/聞き手:草野尋匡)
 大正14年、池田町生まれ。両親の栗原太一、コキク夫妻は、昭和2年、帯広で旅館「仙竜館」を開業。昭和7年、西2条11丁目に「千龍館」を新築開業する。柏小学校卒業後、庁立女学校(現帯広三条高等学校)に学び、卒業後昭和20年、福井幸三と結婚。夫と共に「ふく井ホテル」を経営。少女時代の駅前旅館街のようす、「福井旅館」から「ふく井ホテル」への歩み。

 松井 はる (収録:平成9年11月26日/聞き手:草野尋匡)
 明治34年、福井県武生市生まれ。明治33年、父親の徳橋徳松は新得町佐幌に越前団体の開拓団副団長として入地。はるさんは翌年、母親の実家福井県武生で生まれ、小学校入学前に佐幌に移住。明治35年、団体の児童10人ほどを集めて、徳松の住居の半分(約9坪)で寺子屋式の教育をはじめ、現在の佐幌小学校の前身となる。佐幌原野開拓のきっかけは、福井藩藩校数学教授だった祖父と、教え子の時の北海道長官の師弟関係、困難だった開拓のようすなど。

◆語り部
 有田  宏 (収録:平成10年10月29日/聞き手:草野尋匡)
 大正15年、帯広市生まれ。昭和19年、旧制帯広中学校(現・帯広柏葉高等学校)卒業。同年国学院大学国文科入学。帯広中学校在学中に俳句をはじめ今日まで続く。現在「冬々句会」を主宰。昭和20年、文学誌「凍原」創刊に参画。巻頭言を書く。後に刊行された「帯広市民文芸」創刊号の巻頭言も書く。帯広青年会議所六代目理事長。平成7年、市民文芸賞受賞。終戦の年に新時代に向かって早くも起こった文芸誌「凍原」発刊のいきさつ。

 佐々木 繁 (収録:平成10年9月11日/聞き手:草野尋匡)
 大正14年、岩手県遠野市生まれ。昭和17年、岩手県立遠野中学校を卒業。昭和18年、帯広に来る。同年、帯広国民学校(現・帯広小学校)に助教諭として勤める。昭和19年、召集。昭和21年、復員し、父親の営んでいた畜産業と「馬宿・東奥館」の仕事を手伝う。後、仕事をすべて引き継ぐ。昭和23年、佐々木畜産を設立。馬宿が賑わっていた頃のようす、馬から牛への転換の頃など。

 佐藤 元作 (収録:平成10年12月19日/聞き手:草野尋匡)
 大正8年、上川郡清水町羽帯生まれ。昭和8年3月、御影尋常高等小学校卒業後農業を手伝う。昭和15年1月、東部第三部隊近衛歩兵第二聯隊に入隊。昭和20年、終戦で復員、農業に従事し今日に至る。御影農業協同組合長、清水町農業委員会委員、清水町議会議員などを勤める。羽帯地区開拓の軌跡。

 西島 富安 (収録:平成10年4月23日/聞き手:草野尋匡)
 昭和2年、帯広市生まれ。帯広市大通南4丁目8番地に生まれ、少年時代を過ごす。昭和18年3月札幌逓信講習所、昭和21年3月逓信青年訓練所を卒業し、同年帯広郵便局に勤務する。昭和23年帯広郵便局電話課に移動、以後電話事業に従事。電話事業草創期のようすなど。
第14号 (平成10年3月30日発行)

「特集〜商い・店づくりに創意と誠実を求めた語り部」
 飯島 美代子 (収録:平成9年6月15日/聞き手:草野尋匡)
 大正14年、芽室町北伏古生まれ。六年生の時に、東別府に移り、その後、川西村基松(現・帯広市)に移住。結婚後、帯広市内の山崎クリーニング店に務め、専務取締役として活躍。昭和53年に退職し、帯広ミスタードーナツを設立。昭和54年、アサヒクリーナーを設立、代表取締役社長となる。女性起業家の歩み。

 井 重丸 (収録:平成9年5月12日/聞き手:草野尋匡)
 大正4年、音更町下士幌生まれ。父親の吉五郎は岐阜県本巣郡北方町出身で、明治38年、音更の木野村農場に来る。昭和2年、重丸さんは下音更尋常高等小学校を卒業。帯広の伊谷呉服店に三年奉公した後、本別支店に移り、店を任される。昭和21年2月に結婚。昭和25年広小路に臼井呉服店を開業。現在同社会長。丁稚奉公から始まる呉服商の歩み。

 小田 豊四郎 (収録:平成9年5月1日/聞き手:草野尋匡)
 大正5年、函館市生まれ。後、北見に移り北海道庁立野付牛中学校(現・北見北斗高等学校)卒業。卒業後、札幌千秋庵に入り、菓子職人としての腕を磨く。昭和8年、帯広市制施行の年、千秋庵の岡部勇吉氏が帯広千秋庵を開店し、昭和12年に小田さんが店を引き継ぎ、昭和54年に社名を「六花亭」と改めた。北見の少年時代、戦前戦後の帯広の菓子屋のようす。

 長野 一雄 (収録:平成9年3月12日/聞き手:草野尋匡)
 昭和8年、帯広市生まれ。父親が昭和3年に開店したラーメン店を引き継ぎ今年で69年目となる老舗「宝来」の二代目当主。帯広のラーメン業界の草分け。現在、北海道麺類飲食業環境衛生同業組合十勝支部長を務めるなど業界の発展に尽力。佐々木市太郎の「来々軒」から始まる帯広のラーメン店の歴史。

 日向 金太郎 (収録:平成9年11月12日/聞き手:草野尋匡)
 明治40年、羽幌町焼尻島生まれ。父は焼尻島で商店経営。金太郎さんは商店を継いだが、昭和10年頃からニシンが不漁となり、上士幌へ移住してさまざまな商売を行った。戦後、大津のさけの塩びき業で儲け、納豆製造に着手。苦労の末、機械化に成功し、現在は日向醗酵食品株式会社長。機械による納豆の大量生産成功への取り組み。

 渡辺 武俊 (収録:平成8年6月12日/聞き手:草野尋匡)
 大正5年、川西村八千代(現・帯広市)生まれ。父親の正市は、明治38年開拓者として岐阜県より八千代に移住。農業に従事しながら雑貨商と旅館業を営む。後、運送業も行う。昭和34年、十勝鉄道の廃止と共に旅館、雑貨店、運送業のいずれもやめる。昭和43年、農業もやめて、市内南町に移り、「八千代そば」を開店。十勝鉄道の開通で賑わった八千代地区のようす、そば店開業のいきさつなど。

◆語り部
 秋吉 小萩 (収録:平成9年4月19日/聞き手:草野尋匡)
 明治43年、和歌山市生まれ。昭和12年、東京大学付属助産婦学校を卒業。昭和18年、大阪市保健婦学校を卒業。同年、田辺製薬に勤める。昭和20年、大阪で戦災に遭う。同年、兄を頼って中士幌に疎開。終戦後、大阪に戻り、画家の秋吉季鎮(すげしげ)と結婚。本人も日本画をはじめる。現在、サロン・デ・ボザール会員、同帯広支部長。終戦中、中士幌に疎開したいきさつなど。

 北村 国義 (収録:平成9年11月5日/聞き手:草野尋匡)
 大正4年、福島県いわき市生まれ。昭和5年4月、一家八人で陸別町斗満に入地。昭和5年は関農場の土地が開放された年で、北村さん一家は、福島団体20戸の一員として解放地に移住した。以後67年間、入地した現在地で農業に従事し、現在は酪農を営む。関寛斎翁顕彰会の第三代目会長を務める。移住当時の開拓のようすなど。

 上徳 善司 (収録:平成8年10月30日/聞き手:草野尋匡)
 大正5年、河合村大字大森(現・池田町)生まれ。父親の善七は明治26年、18歳の時、徳島県より高島に移住。明治37年、信取郵便局の初代局長となる。大正10年、一家は帯広へ転居。西3条南8丁目に住む。帯広小学校、帯広中学校、早稲田大学、立教大学に学ぶ。テニスの選手として活躍する。戦後、石油販売や駐車場を経営。父親の足跡、旧制中学でテニスを始めた動機など。

 白木  勉 (収録:平成9年1月14日/聞き手:草野尋匡)
 昭和3年、音更村下士幌生まれ。父・白木得三は明治34年3月、岐阜県より四家族16名の一員として現在の下士幌の十勝川近くに入植して水田稲作に取り組む。勉さんは音更青年学校卒業後、家の農家を手伝う。昭和23年、西3条7丁目の警察署内にあった竹腰理髪店に勤める。昭和26年、理容師資格をとり、8月、西2条南6丁目20番地に独立開業。少年時代に利用した越中渡舟、戦時中の青年学校の援農、終戦後間もない頃の理髪店のようす。

 中村  勲 (収録:平成9年4月12日/聞き手:草野尋匡)
 大正8年、幕別町生まれ。長い間、少年野球・社会人野球にうちこむ。19歳で札幌の写真館に弟子入り。24歳の時、誘われて新田ベニヤに勤める。昭和30年、第一熱原に勤め、最近まで熱原球場の管理にあたる。十勝の少年野球、社会人野球全盛の頃のようすなど。

 堀口  栄 (収録:平成8年6月20日/聞き手:草野尋匡)
 大正3年、大正村幸福生まれ。父親の清五郎は祖父・長十郎と共に明治38年、岐阜県から幸震村(現・帯広市大正町)に移住。高等小学校を卒業して家の農業を継ぐ。幸福地域における開拓期からの農業変遷。

 堀口 けさの (収録:平成9年3月19日/聞き手:草野尋匡)
 大正4年、宮城県亘理郡吉田村生まれ。小学校6年生の時に父親を病気で亡くし、昭和2年4月、叔父、叔母と共に東更別東5線に開拓地十町歩を得て移住。春から秋まで畑仕事、冬は木炭を焼いて帯広まで売りに出る。昭和10年3月、大正村幸福(現・帯広市)の堀口良と結婚、農業に従事。少女時代の樹林地を拓く苦労など。

 水野 正光 (収録:平成7年7月17日/聞き手:草野尋匡)
 大正11年、帯広市生まれ。父親の吟平は20歳の時、岐阜県土岐郡笠原町より帯広に移住して瀬戸物店を開く。正光さんは昭和17年、自治講習所に学んだ後、翌年帯広市役所に奉職。戦後25歳で帯広市議会事務局長となる。昭和55年、市役所を退職。昭和58年、帯広市議会議員に当選。開拓者・依田勉三の評価、市議会事務局として取り組んだ帯広市と大正、川西村の合併。

 溝口 ふさゑ (収録:平成8年7月20日/聞き手:草野尋匡)
 明治43年、音更村下士幌旭生まれ。下士幌小学校を卒業。家の畑、水田の農作業を手伝う。昭和6年、従兄弟の溝口勝と結婚し、帯広で洋服仕立て業を始める。昭和13年、西1条5丁目20番地の現在地に移転。「テーラー溝口」として後進の職人を育てる。開業の頃の仕事のようすなど。
第13号  (平成9年3月30日発行)

「特集〜商店・会社経営に関する語り部」
 及川  盛 (収録:平成7年5月2日/聞き手:明石博志)
 明治41年、清水町生まれ。親は岩手県から札幌に来て製材工場に勤め、その後落合を経て、明治40年頃に清水へ移住し製材業を営む。盛さんは札幌第一中学校(現・札幌南高等学校)を卒業。帯広小学校で教師を務め、その後、親の木工所を手伝う。また、雑穀・雑貨商などを営んだ。戦後、町議会議員を務めるとともに、町および十勝の文化振興に力を尽くす。

 川瀬 はる子 (収録:平成7年5月22日/聞き手:明石博志)
 大正5年、芽室町毛根中島の農家に生まれる。昭和12年、帯広の川瀬自転車店経営の一夫に嫁ぐ。川瀬自転車店は、大正5年、祖父が創業、現在も続いている老舗。少女時代の畑仕事の手伝い、繁盛した自転車店のようす。

 佐藤 温彦 (収録:平成7年8月3日/聞き手:明石博志)
 大正7年、帯広市生まれ。七歳の時に父親を亡くし、昭和5年3月帯広小学校を卒業して、当時帯広町西2条南8丁目にあった鈴木洋家具店に奉公に入った。以来、昭和42年まで家具建具業界で仕事を続けた。昭和42年から帯広市議会議員を五期務め、この間、昭和61年から一期議長を務める。。家具職人となる奉公生活、独立後の苦労など。

 島倉 悦子 (収録:平成7年12月19日/聞き手:明石博志)
 昭和5年、幕別町糠内生まれ。昭和29年、帯広市西1条南10丁目に屋台「平原」を開く。帯広市における屋台は条例により昭和31年に廃止されたが、その直後、悦子さんは栄マーケット(東1条南9丁目)内で居酒屋「平原」を開業する。後、栄マーケットは「チロリン村」と愛称され、多くの人たちに親しまれた。平成7年11月、栄マーケットの取り壊しを期に閉店した。40年を超える一居酒屋の歩み。

 谷  猛 (収録:平成7年6月13日/聞き手:明石博志)
 大正9年、、帯広市生まれ。父親は明治40年、富山県より現在地近くに移住。宮崎濁卑の農場で働き、昭和5年、宮崎事務所跡の土地と建物を買い、雑貨屋と農業を営んだ。猛さんは父親のあとを継いで商店と農業を経営。現在は三代目の子息が店を継いでいる。大正時代から昭和の中ころまで、旧帯広市街と伏古間の石狩通り(国道38号線)沿いに一軒だけの店として地域に欠かせない存在であった。

 土屋  茂 (収録:平成7年6月23日/聞き手:明石博志)
 大正4年、広尾町音調津生まれ。父親は明治35年、音調津に移住して、商店や回漕店などを営む。茂さんは、広尾の尋常高等小学校を卒業後、家業(商店)を手伝い、後、その家業を引き継ぐ。「アイヌ語の地名からみた広尾町の歴史と風景」などの著書がある。こどもの頃の音調津のようす、アイヌ語地名への興味など。

 新妻  靖 (収録:平成7年5月17日/聞き手:明石博志)
 大正4年、福島県生まれ。父親(養父)の新は、明治19年福島県生まれ。東京攻玉社土木科を卒業し、道庁の河西土木派出所に勤務。後、青山土建工業の技術長となる。昭和24年、新妻組を創業。靖さんは帯広中学校を卒業後、早稲田大学付属高等工学校建築科卒業。東京の建設会社勤務の後、昭和26年帯広に戻り、親の土建業を継いだ。現在、新妻組相談役。富士新舗道会長。戦前戦後の十勝の土建業界。

 新田 宏行 (収録:平成7年7月28日/聞き手:明石博志)
 昭和7年、東京都生まれ。父・愛祐は東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業後、大正3年2月新田帯革製造所十勝製渋工場(現・幕別町)に工場長として着任。大正8年合資会社新田ベニヤ製造所を設立。宏行さんは、慶応大学大学院工学部工学専攻科を卒業後、日新ボード株式会社十勝工場長に就任。昭和41年新田ベニャ十勝工場生産部長を経て、平成5年、第6代社長となって現在に至る。現在の社名は株式会社ニッタクスで、日本最古の合板メーカー。

 福原 治平 (収録:平成7年7月13日/聞き手:明石博志)
 大正7年、鹿追町生まれ。親は大正初期、鹿追町で雑貨店を営み、その後、新得町に移り、旅館と雑貨店を経営した。治平さんは、新得の尋常小学校を卒業後、上京して時計店に勤めるかたわら夜学に通った。昭和19年、鹿追にもどり、22年から魚屋を開く。その後、スパー福原、ホテル福原(然別湖畔)を創業して経営。現在は会長。然別湖畔に温泉ホテル建設が許可されたいきさつなど。

◆語り部
 伊藤 福正 (収録:平成7年10月4日/聞き手:明石博志)
 大正8年、鹿追町北鹿追生まれ。福正さんの父親・福太郎は、山形県の出身で大正5年に天理教移住団員の一員として、クテクウシ原野(現・北鹿追)に入植して開拓に当たる。福正さんは親の後を継いで農業を営む。教団による開拓のようす。

 伊藤 善規 (収録:平成7年11月29日/聞き手:明石博志)
 明治41年、富良野町生まれ。親の一家は大正13年、富良野町より音更町に移住して農業を営む。善規さんも数年間親と共に農業を行うがその後上京。苦学しながら東京大学哲学科を卒業。後、満州でアヘン患者の研究などに従事する。戦後シベリアに抑留されるが帰国して昭和29年に札内神社の神官となる。昭和36年に幕別町金刀比羅神社の宮司となって約30年間勤めた。

 木呂子 敏彦 (収録:平成8年2月6日/聞き手:明石博志)
 大正3年、河合村(現・池田町)生まれ。父親は明治43年、早来から河合村に移住し、主として日本皮革株式会社の荷物を扱う運送業を営む。敏彦さんは庁立帯広中学校、十勝農業学校研究科を卒業。小学校の代用教員、道庁勤務、雑誌の編集者などを経て応召。シベリアでの抑留生活を経て昭和22年、上士幌町にもどる。北海道教育委員、帯広市の助役を務めた。少年時代の池田、代用教員時代の十勝の農村のようすなど。

 日下  博 (収録:平成7年11月10日/聞き手:明石博志)
 大正7年、広尾郡札楽古生まれ。親は明治33年に福島県相馬より豊頃町の二宮に入植する。後、広尾郡札楽古に移住して開拓に励み、さらに大正11年に帯広に移住して農業を営む。博さんは十勝農業学校を卒業した後、製酪販売連合会(酪連)に就職。職後、兵役に服し、戦後は雪印乳業株式会社に勤務。現在は帯広シルバー人材センター理事長。戦前の酪連から戦後の雪印を通じて乳業メーカー一筋の歩み。

 桑谷 禮子(収録:平成7年11月15日/聞き手:明石博志)
 大正元年、徳島県藍畑村生まれ。父親は大正7年、徳島県より西帯広に移住して景山医院を開業し、地域医療に尽くす。禮子さんは、大谷高等女学校の補修科を卒業して、下音更小学校に教員として勤める。その後、音更小学校に転勤し、昭和10年まで勤め、当時、下音更小学校に勤めていた桑谷秀義と結婚。子どもの頃の西帯広での生活など。

 堺  和男(収録:平成7年10月2日/聞き手:明石博志)
 昭和2年、豊頃町大津生まれ。1863年(文久3年)に杉浦嘉七の雇人となった初代堺千代吉は、大津に来て漁業を営む一方、明治8年に十勝漁業組合を結成するなどして活躍した。和男さんは、その四代目に当り、大津で漁業を営んでいる。現在は、堺漁業有限会社代表取締役、北海道サケマス増殖事業協会会長。初代、二代目と32年間にわたって大津漁業組合長を務めた三代目の父親の足跡。

 浜中 千枝(収録:平成7年10月31日/聞き手:明石博志)
 大正9年、音更町然別生まれ。祖父母(渡辺勝・カネ)は、明治16年に晩成社の幹部として帯広に入植。祖父亡きあとは、子息の武平(千枝さんの父親)が本家を継いだ。千枝さんは、庁立帯広高等女学校(現・帯広三条高等学校)を卒業後、さらにそこの補習科を修了。教員になり、同じく教員の浜中芳吉と結婚。然別にあった祖父母の家や祖父母についての幼少時代の思い出。
第12号  (平成8年3月30日発行)

 特別企画「戦後五十年、そのときのとかち」昭和二十年の語り部たち
「特集〜開拓・農業に関する語り部」
 飯島 和吉 (収録:平成6年9月24日/聞き手:明石博志)
 大正5年、士幌町字下居辺生まれ。父親は、明治39年に埼玉県より士幌町下居辺に入植して農業を営み、かたわら駅逓と郵便局を開業。和吉さんは、農業を継ぎ、士幌農業共済組合長、士幌町議会議員、士幌町長を務めた。太田寛一と士幌農協振興公社のことなど。

 池田 幸雄 (収録:平成9年9月13日/聞き手:明石博志)
 大正14年、豊頃町旅来生まれ。祖父は、明治28年に新潟県より旅来に入植して農漁業を営む。幸雄さんは、親のあとを継ぎ農業をおこない、豊頃町議会議員も務めた。水害と行政への堤防築堤運動、民有牧場開放による地域農家の耕地拡大など。

 大島 キミ (収録:平成7年3月1日/聞き手:明石博志)
 大正5年、上川郡東川村生まれ。親の一家は、大正15年に東川村から音更町の中士幌に移住して水田づくりをおこなう。キミさんは、中士幌の小学校を卒業後、親の稲作を手伝う。昭和11年に結婚。西帯広で稲作農業を昭和47年まで続けた。種籾の直まきから苗植えへの変化など。

 木野村六十夫 (収録:平成6年11月25日/聞き手:明石博志)
 昭和2年、音更町木野生まれ。祖父は、明治29年に岐阜県より帯広に移住し、下音更原野で木野村農場を開設。父親は、木野村農場を継いで二代目となる。六十夫さんは、北海道大学を卒業してから営林局に勤め、のち家業の木野村商事を継いだ。農場と木野市街の移り変わり。

 庄司 久五郎 (収録:平成6年7月21日/聞き手:明石博志)
 大正7年、山形県堀田村大字成沢生まれ。祖父は、大正7年に山形県から帯広の岩内に入植して開墾。両親は、昭和3年に家族(久五郎さんが小学校5年生の時)を率いて山形県から祖父のところに入植して農業を営む。久五郎さんは、親の後を継ぎ農業を続けた。山形団体による岩内地区の開拓のようす。

 末松 重郎 (収録:平成6年7月1日/聞き手:明石博志)
 明治41年、岐阜県本巣郡真正町生まれ。大正7年に岐阜県から音更村下士幌の姉の所に移住して農業を手伝い、23歳の時に農業で独立した。昭和22年には、米を千百十六俵も収穫した。姉の家の奉公生活と独立の苦労。

 角田 隆一 (収録:平成6年11月5日/聞き手:明石博志)
 明治44年、凋寒(しぼさむ)村(現・池田町)生まれ。父親は、明治の後期に青森県より利別太に移住して雑穀業などを営む。隆一さんは、十勝農業学校獣医科を卒業後、北海道大学の研究室を経て帯広で獣医になる。十勝酪農協同組合長や帯広市議会議員、帯広市教育委員長なども務めた。少年時代の池田町の町のようす、酪農振興への取り組みなど。

 野沢 政一 (収録:平成7年2月1日/聞き手:明石博志)
 明治45年、芽室町北伏古生まれ。祖父(野沢次郎)の一家は、明治25年に富山県から来て伏古(現帯広市)に入植。のち北伏古に移り、農業のほか牧場も経営し、伏古村村議会議員なども務めた。政一さんは、父親のあとを継ぎ農業を営む。西帯広開拓の先駆者である祖父の足跡。

 藤森 芳夫 (収録:平成6年10月14日/聞き手:明石博志)
 明治44年、芽室町渋山生まれ。父親は、明治38年ころに富山県より芽室の渋山に入植。その後、広野(現帯広市)に移住して農業を営む。芳夫さんは親の農業に従事してから昭和13年に分家。そして、営農規模を拡大してきた。広野地区開拓の変遷。

 山田  栄 (収録:平成6年7月20日/聞き手:明石博志)
 明治40年、幕別町糠内生まれ。祖父母と親は、明治31年に富山県より五位団体員として糠内に入植して開墾。栄さんは、十勝農業学校の獣医科を卒業、糠内で家畜医院を開業した。後、幕別町の農業共済組合の獣医師として昭和54年まで勤務した。五位団体による糠内地区の開拓、獣医師としての歩み。

 吉岡  弘 (収録:平成6年8月10日/聞き手:明石博志)
 明治43年、愛知県宇摩郡生まれ。親は、大正3年に弘さん4歳の時に愛知県より大正村愛国(現・帯広市)に入植。その2年後に現在地(帯広市川西町)に移って農業を営む。弘さんは、親の後を継いで農業を経営した。また、川西村村議会議員と収入役も務めた。川西移転当時の開拓の苦労、川西市街造成など。

◆語り部
 市川 男也 (収録:平成6年10月26日/聞き手:明石博志
 明治43年、上川郡西神楽生まれ。庁立旭川中学校2年修了後上京したが、のち旭川にもどり馬具の問屋に勤める。昭和6年に大樹町に移住して馬具の製造、販売業を営む。現在はスポーツ用品等を扱う商店を経営。鉄道開通がきっかけの大樹進出、盛況だった馬の時代の商いなど。

 内山 スミ (収録:平成6年11月23日/聞き手:明石博志)
 大正8年、中札内生まれ。母親は、明治の終りころに帯広の大正山法華寺の基を開いた内山幸太郎の養女。父親は雑穀の検査員。スミさんは、帯広の大谷高等女学校を卒業後母親の実家の内山家の養女になり、夫に大正山法華寺の住職を迎えて結婚。少女時代の中札内のようすなど。

 高橋 博信 (収録:平成6年9月1日/聞き手:明石博志)
 大正15年、帯広市生まれ。父親は、大正7年に岩手県より帯広に移住して建設業に従事し、のち高橋組を創業。博信さんは、北海道大学を卒業後、家業を継ぎ建設業(高橋建設)を営む。帯広市議会議員も務めた。旧制中学生だった戦時中の援農、昭和26年、満25歳で当時全国最年少の市議会議員となったことなど。

 長谷川 克巳 (収録:平成6年10月13日/聞き手:明石博志)
 明治43年、豊頃町茂岩生まれ。父親は、明治32、3年ころに富山県より茂岩に移住。土木関係の仕事の後、雑貨店を経営した。克巳さんは、札幌二中(現・札幌西高等学校)を卒業してから専修大学に進み、その後家業に従事。昭和14年には帯広で長谷川呉服店を開業した。戦後、帯広専門店会の理事長を24年間務めた。少年時代の茂岩のようす、専門店会発足の経緯。

 宝崎 ヒサ (収録:平成6年7月2日/聞き手:明石博志)
 明治40年、鷹栖町生まれ。父親は、大正の中ころに澱粉工場を経営するため白糠から新得に移住。その後、大正9年に新得の亜麻会社に入社した。ヒサさんも新得小学校を卒業後、新得の亜麻会社に入り昭和31年までに勤めた。亜麻工場の作業のようす。

 吉川  昇 (収録:平成6年12月7日/聞き手:明石博志)
 大正2年、帯広市大正町幸福生まれ。父親は、明治40年に幸震駅逓取扱人となり、その駅逓が昭和3年に廃止になるまで、その仕事を続けられた。昇さんは、大正の尋常高等小学校卒業後、農業を営む。大正の駅逓の移り変わりとそのようすなど。
第11号  (平成7年3月20日発行)

「特集〜開拓についての語り部」
 伊藤 豊蔵 (収録:平成5年6月1日/聞き手:明石博志)
 明治40年、富山県氷見郡窪村生まれ。大正6年、11歳の時に父母らと共に富山県から音更の東士狩に移住。大正9年に士幌の上音更に移り開墾。家の開墾作業の業者委託と引き替えに行った5年間の奉公の苦労。

 奥谷 一丙 (収録:平成6年5月21日/聞き手:明石博志)
 大正元年、帯広市川西町別府生まれ。父親は、明治40年に岐阜県より川西町の南8線に入植して開拓。一丙さんは、親のあとを継いで農業を営む。土地改良組合別府地区委員長、帯広市土地改良組合理事長を務めた。別府地区の水田の盛衰。

 川本 竹雄 (収録:平成5年11月17日/聞き手:明石博志)
 明治41年、清水町熊牛生まれ。父親は、明治31年に福井県より清水町熊牛の十勝開墾合資会社の農場に小作人として入植し、後に自作として独立。竹雄さんは、父親のあとを継ぐ。合資会社農場のようすなど。

 小出 忠農夫 (収録:平成6年5月26日/聞き手:明石博志)
 大正6年、幕別町上途別生まれ。祖父は、明治31年に途別の晩成社農場に入植。その後、上途別、さらに泉町に移り、開墾。忠農夫さんは、上以平小学校、幸震尋常高等小学校高等科を卒業。祖父から三代にわたる開墾記。

 
鈴木 正雄 (収録:平成5年8月11日/聞き手:明石博志)
 明治39年、東京都生まれ。父親の鈴木定次郎は、鈴木銃太郎の弟で、大正3年に家族で芽室の上伏古に入植した。正雄さんは、定次郎の次男。芽室の尋常高等小学校を卒業。東京で就職。その後、芽室にもどり農業を営んだが昭和29年に離農。父と自分の開拓記。

 原尾 昌代 (収録:平成5年7月31日/聞き手:明石博志)
 明治40年、音更町下士幌生まれ。父親は、明治30年に音更町下士幌の大川字八郎宅の近くに入植の後、一時、音更の街で食堂を経営する。昌代さんは音更や士幌で書店などを経営した。

 福田 関次 (収録:平成5年6月22日/聞き手:明石博志)
 明治29年、香川県香川町大野村生まれ。大正6年、川西村豊西(現・帯広市)に入植、開墾して農業を営む。川西村村議会議員、別府小学校PTA会長も務めた。大豆への害虫被害、戦時中の生活物資の配給作業など。

 細野 清作(収録:平成5年12月10日/聞き手:明石博志)
 明治42年、芽室町美生生まれ。父親は、明治27年に岐阜県より帯広市西6条北1丁目に入植。その数年後に芽室町美生に移住して開墾。清作さんは、親元で農業に従事してから分家して昭和35年まで農業を続けた。開墾と周辺の農場のようす、農村電化など。

 山本 直吉・フサ子 (収録:平成5年9月17日/聞き手:明石博志)
 直吉さんは明治44年、フサ子さんは大正12年に、ともに足寄町生まれ。直吉さんは、開拓農家の子として生まれ、親のあとを継いで農業を営む。フサ子さんは、足寄町中足寄に明治12年に入植したといわれる細川繁太郎・エン夫妻の孫。祖母のエンの葬儀にたくさんのアイヌが訪れたことなど、祖父母を語る。

 小野関 淳一郎 (収録:平成6年2月16日/聞き手:明石博志)
 明治40年、茨城県茨城町生まれ。父親は、大正8年に家族とともに茨城県より上売買(現・帯広市)に入植。のち父は清川の郵便局に勤めた。淳一郎さんは、清川郵便局に46年間勤務し定年退職。郵便配達の苦労、「清川」の地名について。

 加藤 国幸 (収録:平成5年9月28日/聞き手:明石博志)
 明治45年、広尾町本通生まれ。父親は、明治42年に十勝神社に赴任し昭和19年まで神官を務めた。国幸さんは、新宮皇学館を卒業し、京都の八坂神社に奉職。その後、親元に帰り、十勝神社の神官となる。広尾町の教育委員長も務めた。北海道文化財「東蝦新道坂碑」の保存など。

 酒井 タツエ (収録:平成5年10月20日/聞き手:明石博志)
 明治43年、芽室町美生生まれ。祖父は士幌町開拓の祖とされる小椋忠左、夫の靖夫は渡辺勝の甥(妹の子)。靖夫は大学を卒業して教員となり、タツエさんは、帯広姉妹高等女学校(現・帯広三条高等学校)を卒業して結婚。その後、夫婦で幕別町の奥糠内の小学校で教職を25年間務めた。士幌の小椋家や渡辺勝、かね夫妻のことなど。

 千葉 登美 (収録:平成5年8月25日/聞き手:明石博志)
 明治44年、枝幸郡歌登町生まれ。昭和5年に帯広姉妹高等女学校(現・帯広三条高等学校)を卒業、同年帯広柏小学校の教員となる。昭和7年、千葉小太郎と結婚、亡兄の子を含めて9人の子供を育てる。帯広市婦人保護職親会の会長も務めた。姉妹女学校のようす。婦人保護職親会の活動。

 南葉 国英 (収録:平成5年6月19日/聞き手:明石博志)
 明治33年、旭川市生まれ。日本大学卒業後、昭和4年、帯広町の役場に就職、町から市制時代にかけて勤務。戦後、釧路地方裁判所民事調停委員を務める。帯広が町から市へ移行する際の準備作業など。

 西田 千平 (収録:平成5年11月4日/聞き手:明石博志)
 明治40年、大樹町西本通生まれ。父親は、明治28年に淡路島より大樹町開進に入植。千平さんは、大樹町明道尋常高等小学校を卒業後、帯広の高倉安次郎商店に勤務、昭和5年に大樹町で農業資材の店を持ち独立。農業資材、雑穀商から木材業へ切り替える時代の趨勢。

 福本 定一 (収録:平成5年6月2日/聞き手:明石博志)
 明治42年、帯広市大通7丁目生まれ。父親は、明治36年に帯広に移住して、鋸の目立て、販売業と鍛冶屋を営んできた。定一さんは、一時大阪で勤めた後、帯広にもどり家業を手伝う。その後、中札内で鋸の目立て業等を営み、戦時中からうどんの製造に転身。開拓促進に一役買った父親の技術、食糧難がきっかけのうどん製造について。
第10号  (平成6年3月20日発行)

◆語り部
 朝日 秀二 (収録:昭和63年11月10日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、石狩郡新篠津村生まれ。僧侶の子供として生まれ、西真寺の朝日家を継いで住職となる。戦後、帯広市社会福祉協議会会長を務めるなど福祉事業に尽くす。

 飯沼 與之 (収録:平成5年12月22日/聞き手:明石博志)
 明治40年、岐阜市生まれ。帯広小学校卒業。昭和2年産婆の検定試験合格。昭和6年養蜂業の夫と結婚、同時に音更町木野大通東5丁目に助産所を開設。その後の助産婦活動など。

 加藤 元茂 (収録:平成元年6月12日/聞き手:菅原慶喜)
 明治38年、福井県今立郡中川村生まれ。大正5年、10歳で福井県から移住。伏古村(現・帯広市)で家の農業、炭焼きを手伝う。戦後、商店経営を始め、昭和30年、帯広で「スーパーいちまる」を創設、十勝でスーパー形式商店の先駆けとなった。

 加納 幸一 (収録:昭和63年8月1日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、別奴(現・幕別町札内)生まれ。父、佐兵衛は、明治33年、岐阜から単身移住、札内の晩成社農場の小作から独立し、帯広に移り木工場を創業。幸一さんは、旧制帯広中学、東京の武蔵高等工科学校で建築を学ぶ。木工場を引き継ぐかたわら姉妹女学校(現・三条高校)、明星小学校校舎を建築。父親の足跡、若くして取り組んだ学校建築など。

 小出 達衛 (収録:平成元年5月25日/聞き手:菅原慶喜)
 明治36年、現・幕別町札内生まれ。教員養成所を修了し、幕別の上途別小学校を振り出しに長く辺地校教育にあたる。妻のハルノさんも校下の季節保育所保母、農村婦人活動に活躍。

 小藤田 清 (収録:昭和63年6月29日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、帯広生まれ。潮田左近(荘田清一)さんとともに浪曲学校を創立、二代目校長となり多くのアマチュア浪曲家を育てた。

 桜井 寿男 (収録:平成3年4月24日/聞き手:菅原慶喜)
 明治36年、豊頃村二宮生まれ。明治34年、祖父の宇八が福島県から家族を率いて興復社牛首別農場に移住。寿男さんは同農場で生まれ、父親が教師になったため祖父の後を継いで農場に従事。祖父の日記などをふまえて「開拓90年誌」をまとめて発刊、開拓期の農場のようすを伝えている。

 佐藤  直 (収録:昭和63年11月25日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、宮城県川崎町生まれ。大正7年、小学校一年生の時に家族で宮城県から移住。川西特産の長イモ栽培の先駆者となるほど地域農業の振興につくした。

 菅原 義蔵 (収録:平成2年11月15日/聞き手:菅原慶喜)
 明治40年、宮城県亘理郡亘理町生まれ。大正2年、父母とともに宮城県から音更の音幌農場に入る。大正14年から昭和24年まで町村役場に、その後の音更農業共済組合勤務を経て、退職後の印刷会社勤務をきっかけに国字研究に取り組み、平成2年、「国字辞典」を出版、音更文化賞を受賞。

 杉山 重夫 (収録:平成2年11月24日/聞き手:菅原慶喜)
 明治41年、茨城県筑波郡下妻市生まれ。父、藤之助は、大正8年、豊頃に移住して家畜病院を開業。重夫さんも昭和5年、獣医学校を卒業し、徴兵検査後本別の軍馬補充部に研修生として勤務。志願して軍隊に入り、獣医将校として終戦までの10年間を満州、中支那で過ごす。復員して豊頃で開拓入植。長く豊頃開拓農協組合長を務める。

 棚瀬 善一 (収録:平成2年8月31日/聞き手:菅原慶喜)
 明治39年、岐阜県岐阜市生まれ。大正8年、14歳で岐阜市から帯広へ移住、旭川師範学校を卒業し、教員生活のかたわら郷土史研究に取り組み「帯広市史稿」、「帯広市史」、「大樹町史」、「西帯広郷土史」の編さんなど十勝の歴史研究の先達としての足跡。

 寺西 鉱一 (収録:昭和63年2月10日/聞き手:田代広和)
 明治43年、上川郡当麻町生まれ。大正13年、長兄が帯広で薬局を開業し、これを手伝う。昭和8年、西2条9丁目に支店を開業、次兄を手伝って経営。18年大丸薬局社長に就任。戦後、平原通商店街振興組合理事長、帯広市商店街振興組合連合会理事長として商業活動の振興に尽くす。

 内木 大吉(収録:平成元年5月26日/聞き手:菅原慶喜)
 明治33年、岐阜県中津川市生まれ。明治45年、13歳の時に帯広で印章業、雑貨商を営んでいた叔母にもらわれて岐阜県中津川郡から来る。大正14年に独立し印章業一筋に歩む。

 中山 清文(収録:平成元年5月29日/聞き手:菅原慶喜)
 明治40年、山梨県北巨摩郡小淵沢生まれ。大正9年、小学校高等科を中退して帯広の三井金物店に入る。昭和9年、結婚と同時に独立し中山金物店を開業。

 林  克己 (収録:昭和63年3月30日/聞き手:田代広和)
 明治44年、帯広市生まれ。父の後を継ぎ若くして十勝毎日新聞社社長となる。父・豊洲の思い出など。

 古田 一郎 (収録:平成2年8月10日/聞き手:菅原慶喜)
 明治39年、別奴(べっちゃろ)村(現・幕別町札内)生まれ。明治29年、父母らが札内に入地。祖父、鶴次郎は札内神社を創建。大正12年創立間もない北海道製糖(現・日本甜菜製糖)に入社した。

 松永 義一 (収録:平成3年4月23日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、富山県西砺波市生まれ。小学校卒業と同時に富山県から姉の嫁ぎ先である芽室町渋山の開拓農家に入る。昭和16年から現在地で営農。町の花いっぱい運動の中心として活躍。

 松原 文二 (収録:平成3年年1月20日/聞き手:菅原慶喜)
 明治37年、富山県生まれ。幼年期に父母とともに富山県から旭川の永山に移住。尋常小学校卒業とともに美幌の雑貨店へ丁稚奉公し働きながら高等科を卒業。昭和6年、音更で精米所を開業。戦前から戦後にかけて音更商業界の中心として活躍。

 水野 平八郎 (収録:平成元年11月18日/聞き手:菅原慶喜)
 明治41年、留萌管内遠別町生まれ。昭和13年に羽幌町役場から池田町役場へ移る。池田町と本別町の両町で教育長を勤めた。学校統合など。

 室田 一光 (収録:平成2年7月31日/聞き手:菅原慶喜)
 明治39年、留萌市生まれ。札幌商業学校時代から本格的に剣道を始め剣道教師として網走刑務所看守となる。戦前の帯広畜産大学で講師として学生に剣道、馬術を指導。戦後は全十勝剣道連盟会長を務めるなど剣道人生を歩んだ。

 米田 勝治郎(収録:平成2年5月2日/聞き手:菅原慶喜)
 明治36年、空知郡栗沢村生まれ。大正6年、二度目の北海道移住で家族とともに清水町羽帯へ入る。御影酪農向上会長を35年にわたって務め、清水の酪農振興に尽くす。昭和50年、羽帯の開拓初期のころを「ホネオップ開墾記」にまとめ発刊。

 渡辺 利春 (収録:昭和63年6月30日/聞き手:菅原慶喜)
 明治38年、豊頃町生まれ。豊頃の二宮農場で生まれる。戦前の教員時代、戦後の十勝支庁勤務、本別町助役時代の思い出、二宮尊親を中心とする十勝の開拓者研究について。
第9号  (平成5年3月20日発行)

◆語り部
 阿部 作治 (収録:平成元年1月27日/聞き手:菅原慶喜)
 明治39年、新潟県南魚沼郡塩沢生まれ。大正2年、父母と川西村基線(現帯広市)附近へ移住、間もなく芽室の北伏古へ移動。戦時中、青年学校の指導員として教え子を戦場に送り、自らも北千島の守備に出征した。

 荒井 庄松 (収録:昭和61年5月28日/聞き手:田代広和)
 明治34年、岐阜県損斐郡損斐川生まれ。明治40年、6歳の時に父母と川西村基松(現帯広市)に入る。小学校三年まで文字通りの寺子屋教育など少・青年期の開拓生活。

 有沢 孝作 (収録:昭和62年12月3日/聞き手:田代広和)
 明治32年、富山県礪波郡立野生まれ。3歳で家族とともに富山県から移住。父親の日露戦争への出征、農業、工業団地造成など市内北西部の都市開発。

 安斎 源七 (収録:昭和62年6月26日/聞き手:小野善也)
 明治40年、宮城県柴田町生まれ。東京で車体大工を修行。昭和4年、帯広でボディー工場を開業。車体製作一筋の歩み。

 飯居 勝丸 (収録:平成元年3月2日/聞き手:菅原慶喜)
 明治40年、浦幌生まれ。本別町専光寺の二代目住職。空襲被災で沈んだ町民の士気高揚のために企画、実施した町民運動会、戦後の幅広い福祉活動など。

 池田  勇 (収録:昭和62年9月30日/聞き手:田代広和)
 明治43年、帯広市生まれ。昭和2年、帯広で製本所に勤務して以来、印刷業一筋に歩む。新得での独立開業、戦時中の企業合同、「東洋印刷」設立など。

 内山 筏杖 (収録:昭和61年3月13日/聞き手:田代広和)
 明治39年、豊頃町生まれ。十勝の俳句会で中心的な活動を続け、俳句同人「樺の芽」を主宰。長い俳句活動の思い出。

 大川 みきえ (収録:昭和62年10月21日/聞き手:田代広和)
 明治43年、大津村(現・豊頃町大津)に生まれ、大津に定住する。漁家の娘、主婦としての生活、ジュンサイ生産の思い出など。

 加藤 嘉三郎 (収録:平成61年7月30日/聞き手:田代広和)
 明治41年、福井県朝日町生まれ。父・嘉三郎が大正8年、「加藤家具店」を創業。大正14年に同店に入店し、昭和36年、二代目・嘉三郎を襲名して社長に就任、家具商一筋の歩み。

 柄沢  弘 (収録:昭和61年9月30日/聞き手:田代広和)
 明治40年、北海道上川郡東鷹栖村生まれ。昭和8年、帯広で雑貨商を始める。靴卸の郷清吉商店に入り、戦後、独立して靴店を開業。兵役、終戦直後の闇ルートでの仕入れなど。

 河瀬 まさの (収録:昭和51年3月26日/聞き手:小野善也)
 明治27年、岐阜県損斐郡北方村生まれ。15歳の時に一家で上帯広(現・帯広市)に入植。十七歳で結婚し、10人の子供を育てる。開拓生活、子育てなど。

 菊地 フサ・山本 スミ (収録:昭和49年12月2日/聞き手:小野善也)
 明治40年、菊地さんは帯広で、山本さんは幕別の札内で生まれる。ともにアイヌ文化伝承者として帯広かカムイトウウポポ保存会で活躍。子供の頃の生活や薬草での病気治療、昔話などアイヌの生活文化。

 草森 義経 (収録:平成元年3月29日/聞き手:菅原慶喜)
 明治43年、幸震村(現・帯広市大正)生まれ。小学校の六年間を皆勤。大正12年に開校した旧制帯広中学の一期生として入学。戦前の教員生活の思い出など。

 久富 政雄 (収録:昭和61年6月26日/聞き手:田代広和)
 明治42年、帯広町生まれ。明治39年、父・留吉氏が久富時計店を創業、これを継ぐ。時計の移り変わりや大衆娯楽として蓄音機の普及にともなうレコード販売。

 鈴木 武夫 (収録:昭和61年4月23日/聞き手:田代広和)
 明治39年、紋別生まれ。昭和2年に帯広小学校を振り出しとした39年間の教員生活と、学校体育、社会体育を通じての体育振興活動について。

 筒井 五三郎 (収録:平成元年3月14日/聞き手:菅原慶喜)
 明治41年、福島県猪苗代町生まれ。大正5年、福島県から白滝村へ移住。白滝での大火、樺太時代のタクシー業、雑貨商活動、樺太から引き揚げ後の帯広での足跡、温泉開発、市議会活動など。

 野尻 健治 (収録:昭和60年11月28日/聞き手:田代広和)
 明治43年、富良野市生まれ。札幌の今井デパート写真部で写真技術を学ぶ。昭和5年、藤丸デパートの開業に合わせて同デパート四階に写真館を開業。写真業一筋。

 藤田 鉄二 (収録:平成元年9月30日/聞き手:菅原慶喜)
 明治37年、止若村(現・幕別町)生まれ。昭和10年に鹿追へ移住。鹿追町議会議員、鹿追農協専務、同組合長を歴任。鹿追の農業と農協運営など。

 古田 梅夫 (収録:昭和62年12月18日/聞き手:田代広和)
 明治43年、岐阜県美濃市生まれ。3歳で家族とともに芽室に入り開拓農家で育つ。役場職員、町議会議員などの立場で一貫して取り組んだ農業振興。

 松本 ニキヲ (収録:昭和62年5月1日/聞き手:田代広和)
 明治29年、熊本県山鹿市生まれ。夫・松本軍太によって製造され、帯広の豆菓子として知られた「狩勝豆」について。

 道下 美作 (収録:昭和62年3月25日/聞き手田代広和)
 明治41年、幸震村(現・帯広市大正)生まれ。祖父、父が明治30年、加賀団体の一員として帯広市大正町の現在地に入る。開拓農民、農協組合長、道議会議員の足跡など。

 村上 五作 (収録:昭和62年10月21日/聞き手:田代広和)
 明治42年、豊頃村イクソタ生まれ。水害、冷害と戦った農業と、農業のかたわら町民文芸誌「河口」を活動の場とした文芸活動。

 八木沼 シゲ (収録:昭和56年5月12日/聞き手:太田 忠)
 明治39年、秋田県山本郡東雲村生まれ。十勝川に関わる渡船は数多くあったが、その一つである八木沼渡船についての経過と当時の生活や地域のようす。
第8号  (平成4年10月1日発行)

◆語り部
 荒川 たま (収録:昭和50年10月15日/聞き手:棚瀬善一)
 明治28年、福井県生まれ。3歳の時に、開拓移民団の子供として帯広へ来る。幼少時期に父親を失い、小学校に上がることもできないまま開拓の鍬を振るい始めた。文字通りの開拓の母の生きざま。

 石畑 久成 (収録:昭和59年9月26日/聞き手:田代広和)
 明治30年、福島県国見町生まれ。16歳の時に一家で新得町佐幌へ開拓移住。酪農を営み、新得農協組合長、道厚生連会長を歴任、新得町議会議員、道議会議員として活躍。道立畜産試験場誘致、トムラウシ開発、石勝線乗り入れなど議員活動の足跡。

 猪谷  実 (収録:昭和60年3月13日/聞き手:田代広和)
 明治37年、徳島県生まれ。大正2年、上川郡永山へ移住、同14年、帯広へ来て果樹苗木や野菜の種の行商を行う。戦後、本格的に花卉栽培を始め、花木販売の「猪谷植物園」を経営。クリスマスツリーの普及、帯広の街路樹整備など。

 上垣 光雄 (収録:昭和54年2月21日/聞き手:小野善也)
 大正4年、帯広生まれ。昭和4年、小学校卒業とともに札幌のクリーニング店に丁稚奉公。戦前に帯広で独立開業したが戦争が激しくなって中断し、戦後に再開。クリーニング技術の変遷など。

 遠藤 儀平 (収録:平成2年6月14日/聞き手:菅原慶喜)
 明治39年1月18日、、清水町松沢生まれ。父母は、十勝開墾合資会社の小作として、明治34年、宮城県黒川郡大松沢から移住。子供の頃の松沢地区の開拓のようす、清水と芽室の村堺紛争、仙台神楽の保存、伝承など。

 大石 忠夫 (収録:昭和61年11月28日/聞き手:田代広和)
 明治41年、山形県米沢市生まれ。大正5年、一家で網走管内清里へ開拓移住。昭和4年、旭川師範学校を卒業し、幕別小学校を振り出しに教員生活。昭和50年から2期幕別長町。戦前から戦後への教育現場の動き、町行政など。

 大村 捷三 (収録:昭和60年10月29日/聞き手:田代広和)
 明治38年、帯広市生まれ。父親は芽室村村長となった大村壬作。捷三さんも戦前に芽室村職員となり、昭和22年、戦後初の公選で芽室町長となり、五期務めた。

 河村 頼一 (収録:昭和54年2月23日/聞き手:小野善也)
 明治34年、徳島県生まれ。明治37年、母親と父親の待つ本別のフラツナイに来る。子供の頃に見たアイヌの生活、国鉄網走線工事のタコ部屋のようす、馬産のことなど。

 窪田 又市 (収録:昭和59年11月22日/聞き手:田代広和)
 明治34年、岐阜県生まれ。明治40年、一家で川西村(現・帯広市)へ移住。農業、旅館業を経て昭和8年、帯広で「カフェ松竹」を開業。以後、飲食・社交業を歩む。帯広における戦前、戦後の業界のあゆみ。

 栗山 けゑ (収録:昭和56年10月29日/聞き手:棚瀬善一)
 明治22年、兵庫県但馬生まれ。日露戦争前に父親と伏古別中島(現・帯広市)に来る。帯広の雑穀商、栗山伊三郎氏と結婚。駅前の繁華街のようすや豆景気時代の頃など。

 合田 勝一 (収録:昭和60年2月21日/聞き手:田代広和)
 明治38年、愛媛県伊予三島生まれ。両親が入植した清水町で育つ。昭和2年、北電の前身の北海道電灯帯広事務所に入る。独立して電気工事業の「アサヒ電気」を設立。戦前の電力会社、戦後の農村電化など。

 小関 利男 (収録:昭和59年11月14日/聞き手:田代広和)
 明治41年、旭川生まれ。大正2年、大工の棟梁だった父親の仕事の都合で、一家で旭川から帯広へ来る。昭和4年、工学院専門学校を卒業して帯広町役場に入り、学校建築の設計を行う。同21年退職して仲間で建築設計事務所を開設、35年、独立して「小関工務店」を開設。手がけた学校校舎の設計など。

 田中 勝喜・吉沢庚三郎 (収録:昭和57年3月25日/聞き手:棚瀬善一)
 田中さんは明治40年、吉沢さんは同36年生まれ。田中さんは大正8年に、吉沢さんは昭和5年に藤丸百貨店の前身、藤丸呉服店に入る。呉服店の頃の店のようす、創立者の初代・藤本長蔵の人物像など。

 西川 マツノ (収録:平成元年1月8日/聞き手:菅原慶喜)
 明治45年、忠類村幌内生まれ。開拓農家に生まれ、昭和6年、20歳で同村内の農家、西川家に嫁ぐ。開拓期の生活や村のようす。

 西佐古 寅一 (収録:昭和55年3月19日/聞き手:棚瀬善一)
 明治29年、和歌山県那賀郡神野村の養蚕農家に生まれる。米国で化学繊維が発明され、養蚕に打撃となる新聞記事を読み、23歳の時に、和歌山県から単身帯広へ来る。魚屋、米屋と商売一筋を歩む。昭和5年の米価格暴落など。

 野村 勝次郎 (収録:昭和60年9月30日/聞き手:田代広和)
 明治39年、渡島管内上磯町生まれ。大正8年帯広へ移住。旧制小樽高等商業学校を卒業。昭和4年、父文吉が経営する「十勝自動車合資会社」入社。同33年から59年まで「十勝バス」社長。バス事業一筋を歩む。十勝におけるバス会社の統廃合など。

 平緒 源吉 (収録:昭和60年7月26日/聞き手:田代広和)
 明治35年、福岡県田川郡生まれ。大正5年、留萌管内幌延から川西村上清川(現・帯広市)に移住して農業を営む。戦後、農民運動に携わり、帯広、川西合併の昭和32年から18年間市議会議員を務め、川西地区の道路整備に力を尽くす。

 藤田 直弘 (収録:昭和62年3月13日/聞き手:田代広和)
 明治43年、青森県弘前生まれ。大正13年、創立されたばかりの私鉄「十勝鉄道」に入る。昭和24年、大通駅駅長にとなる。同32年、線路の大部分が廃止となり、親会社の日甜帯広工場整備長への転身。十勝鉄道の歴史など。

 松浦 嘉七 (収録:昭和59年9月7日/聞き手:田代広和)
 明治30年、岐阜県生まれ。明治38年、日露戦争さなかの7歳の時に一家で帯広へ来る。靴の郷清吉商店で仕事を覚え、昭和2年、西2条で「松浦靴店」を開業。戦後は靴卸の「松浦商会」となる。

 丸子 幸七 (収録:昭和56年3月25日/聞き手:小林正雄)
 明治39年、宮城県亘理郡吉田村生まれ。出生後間もなく帯広へ来る。父親は、測量技師として支庁の仕事をした後、川西村別府(現・帯広市)へ入植。幸七さんは、高等小学校を卒業して準教員となり、さらに函館師範教員養成所で学び正教員となる。昭和19年、帯広市役所に入り、退職後に市議会議長、市教育委員などを務めた。戦前の教員生活。

 安田 米子 (収録:昭和56年7月14日/聞き手:棚瀬善一)
 夫、安田章の父親である安田巌城について語る。巌城は福岡県の旧黒田藩士、福本家の次男として生まれる。兄は福本日南。明治34年、帯広へ来て河西支庁に勤務。アイヌ給与地管理のかたわら、アイヌの子弟教育のための学校開設、運営に尽くす。十勝郷土史研究の基礎的作業となった「十勝史」を執筆した。

 山田 萬七 (収録:昭和62年5月28日/聞き手:田代広和)
 明治31年、兵庫県淡路島生まれ。大正11年、23歳の時にニシン糟など海産物の扱いを目的に小樽に来るが、翌年、帯広へ来て雑穀商となる。新得から鹿追へ拓殖鉄道が開通したことから、昭和5年に鹿追へ。昭和14年の国家総動員法で店をたたみ、18年からは食料営団鹿追出張所長となり、戦後の昭和25年、食料営団解体とともに十勝米穀共同組合を立ち上げ、後に株式会社へ発展させる。

 湯浅  貢 (収録:平成3年5月14日/聞き手:菅原慶喜)
 明治38年、上川管内士別生まれ。父母は徳島県出身。明治40年、父親の兄の伯父夫婦が共同で新得の上佐幌へ入植。貢さんは、出産時の難産が原因の目の傷害で農学校への進学を断念して農業を継いだ。昭和8年から58年まで通算48年にわたって新得村、同町議会議員を務めた。馬産、戦後に専務理事として赤字解消に取り組んだ農協経営など。

 渡辺 佐一 (収録:昭和54年3月14日/聞き手:棚瀬善一)
 明治39年、富山県高岡生まれ。明治41年、一家6人で帯広市へ移住。子供の頃の遊び場であった帯広川周辺や、小学校時代の友人の思い出にからめた市街の発展のようすなど。
第7号  (平成3年11月1日発行)

◆語り部
 稲見 久吾 (収録:昭和52年1月17日/聞き手:小野善也)
 明治31年、茨城県新治郡瓦会村生まれ。東京でセメント左官の仕事をしていたが、関東大震災に見舞われ、知人をたよって帯広へ来る。当初、帯広ではセメント左官を必要とする建築仕事がなく煉瓦仕事などをしたが、その後、商店、銭湯、温泉場などの化粧タイル工事をする。大震災のようす、手がけた仕事になど。

 角田 リウ (収録:昭和52年3月4日/聞き手:棚瀬善一)
 明治22年、岩手県江刺生まれ。明治36年、数え十五歳の時に家族で帯広へ来る。移住時、鉄道開通前の落合から新得への狩勝峠越えや、間もなく出現した鉄道の帯広駅、当時の住民の大きな娯楽だった草競馬やアイヌの熊祭りなど草創期の帯広のようす。

 梶浦 福督 (収録:平成元年8月30日/聞き手:菅原慶喜)
 明治45年、北海道空知郡砂川生まれ。両親は、明治23年に徳島から砂川へ移住して営農し、福督さんが小学校2年生になる時に家族で砂川から中札内へ移転。昭和23年、36歳の時に中札内農民同盟委員長、同28年に中札内農協組合長になる。「農民のための農協」を掲げた独自の農協運営を行う。

 上条 フサ (収録:昭和51年3月5日/聞き手:棚瀬善一)
 明治28年、伏古村(現・帯広市西帯広)生まれ。父親は伏古開拓の先駆者の一人の野沢次郎。明治25年、伏古開拓の最先駆者の宮崎濁卑の呼びかけで富山県西礪波郡五社村から移住。その父親が地域の子弟の教育のために取り組んだ学校作り、学校への通学路の草原や畑に無数にいて怖かった蛇など、開拓間もない子供の頃の伏古のようす。

 河野 伊右衛門 (収録:昭和51年2月25日/聞き手:小野善也)
 明治27年、岐阜県損斐郡西部村字瀬古生まれ。同31年、11歳の時に家族で帯広へ移住した。鉄道の開通前で、狩勝峠越えは雪のある3月。当時、移住証明書で岐阜から峠の登り口落合までの汽車賃が半額の一人6円。これに対して落合から新得の峠越えの馬そりの料金が一台10円だった。大正元年、国鉄帯広駅の雇用を振り出しに鉄道員一筋。十勝の国鉄普及のようす。

 児玉 スズエ (収録:昭和63年12月13日/聞き手:菅原慶喜)
 明治42年、本別町仙美里生まれ。昭和4年、帯広の佛弘寺住職・児玉秀雄と結婚。住職が行った、当時は刑務所の墓地だった現在地に説教所の開設、墓地に眠る因人の墓標を合葬した十勝開拓無縁者の碑、馬塚・十勝開拓獣魂合葬碑の建立など。

 島 伊太郎 (収録:昭和51年3月2日/聞き手:小野善也)
 明治36年、富山県射水郡小杉村生まれ。明治39年、先に帯広へ来ていた父親のもとへ母親と来る。父親は大工。小学校卒業とともに父親のもとで大工となる。帯広神社、遊郭、飲食店など主に大正時代に手がけた市内の建物、十勝鉄道に入って手がけた貨客車両造りなど。

 中島 武市 (収録:昭和51年2月28日/聞き手:棚瀬善一)
 明治29年、岐阜県本巣郡貴土村生まれ。小学校尋常科四年を卒業して村役場小使いとなる。大正5年、北海道に渡り旭川、帯広で事業を行う。出身地の母校の小学校へ高等科を設置する費用から、拓聖・依田勉三の銅像設置まで多くの寄付活動を中心にした事業家としての歩み。

 野寺 勇二郎 (収録:昭和59年12月26日/聞き手:田代広和)
 明治40年、北海道空知郡音江町生まれ。大正15年、十勝毎日新聞社に入社したが、間もなく退社して市内の印刷店に勤務後、独立して「興文社印刷」設立を経て、戦後間もなくの紙不足時に北海道で六ヵ所の文部省の学童用学習ノート配給指定工場の一つとなることをきっかけに「東邦印刷紙業株式会社」を設立。

 広川 栄太郎 (収録:昭和52年1月17日/聞き手:小林正雄)
 明治26年、富山県西砺波郡戸出村生まれ。数え年15歳の明治40年頃に単身帯広へ来る。身体をこわして郷里へもどり、20歳の時に再び渡道、幕別、置戸、網走の製材工場で働いた後、西帯広に農地を借りて小作。戦後の農地解放で小作地を取得。西帯広工業団地造成のための土地区画整理事業に関わる。

 松山  亮 (収録:昭和52年2月26日/聞き手:棚瀬善一)
 明治28年、愛知県豊田市生まれ。大正12年、帯広に大谷高等女学校を開設して初代校長となる。帯広小学校の空き教室を仮校舎としてスタートし、同年中に西4条20丁目に校舎を建設して開校式を挙行、翌年の体育館、次いで高等女学校の認可のために音楽室などの特別教室を建設設備、第一回生から高等女学校卒業資格授与を実現。開校の経緯、施設整備の苦労。

 山崎 静一  (収録:昭和52年1月25日/聞き手:小林正雄)
 明治33年、高知県生まれ。子供の時に叔父の養子となる。その叔父は、日露戦争後に川西村(現帯広市)富士へ移住していたが、静一さんはそのまま実家で成長。しかし、本籍が川西のため兵役は旭川27連隊で。その後、叔父の営農を手伝うが、昭和14年、40歳で叔父の籍を離れ独立して営農。戦後、川西村村議会議員となる。帯広市との合併の経緯など。

第6号  (平成3年7月1日発行)

◆語り部
 新井 甚七 (収録:昭和51年2月25日/聞き手:棚瀬善一)
 明治39年、音更生まれ。昭和2年、帯広町職員となり、戦後に総務課長、収入役を歴任。仕えた代々の町長、市長の人物像、昭和22年2月1日ゼネスト時のようすなどを語る。

 阿部 ふみえ (収録:昭和51年2月25日/聞き手:田代広和)
 明治31年、宮城県黒川郡大松沢村生まれ。明治45年、両親とともに人舞村松沢(現・清水町)へ移住。大正元年、一家で帯広へ移り、ふみえさんは帯広女子尋常高等学校(現帯広小学校で当時は男女が別れていた)2年に入学。卒業後、準教員養成所に入り、検定試験に合格。大正3年、幕別尋常高等小学校振り出しから昭和32年までの教員生活。

 江川 清吉 (収録:昭和51年2月25日/聞き手:田代広和)
 明治44年、留萌管内恵比島生まれ。大正11年、帯広へ移住。帯広にいた姉の嫁ぎ先の縁者の所有地がきれいな小川が流れる場所で、ここを使用することができることからの移住だった。父親の定吉は、同地を家族連れで楽しめる場所にしようと池を掘り、「水公園」の名で親しまれるようになった。清吉さんは、高等小学校を卒業して父親を手伝う。水公園の歩み。

 喜多 章明 (収録:昭和51年2月25日/聞き手:小野善也)
 明治30年、徳島県那賀郡那賀村生まれ。大正7年、22歳で渡道。帯広町役場職員としてアイヌ保護に携わり、大正14年からは、道職員に転じて十勝支庁で、昭和5年からは札幌本庁でと一貫してアイヌ保護政策に携わり、今日の北海道ウタリ協会の前身となる組織を立ち上げる。アイヌ問題の歴史的経緯、保護政策の持論。

 草森 辰秋 (収録:昭和51年2月25日/聞き手:小林正雄)
 明治37年、大正村(現・帯広市大正)生まれ。父親の草森清吉は、明治30年に単身で近隣者五人のグループに混じって富山県から幸震村(後の大正村)に移住。現住所の帯広市大正字札内基線は移住以来の地。小学校を卒業とともに家業の農業に従事、約50f耕作する当時としては有数の大農家となった。戦後、大正村村議会議員となる。戦前の営農のようす、戦後の食料提供、帯広市との合併など。

 小室 吉助 (収録:昭和59年5月30日/聞き手:田代広和)
 明治34年、山形県生まれ。明治36年、一家で音更村へ移住し間もなく帯広へ移転。札幌師範学校卒業。戦前から戦後にかけて帯広の小中学校長を歴任。児童を引率して勤労奉仕中に聞いた終戦の玉音放送、新制中学校の立ち上げ、黒塗り教科書など戦中から戦後への転換期の帯広の教育界のようす。書家・小室疎林として経歴、スポーツ振興活動など。

 斉藤 アイ (収録:昭和56年3月12日/聞き手:小林正雄)
 大正2年、帯広生まれ。大正14年、小学校6年の時に音更飛行場開場式セレモニー飛行に応募搭乗して話題となる。三味線の稽古や母親に連れられて見学した料理屋の芸者歌舞伎、芝居小屋や映画館の楽しみ、大谷高等女学校生徒の頃など戦前の帯広のまちと生活のようす。

 竹田 夏樹 (収録:昭和60年12月5日/聞き手:田代広和)
 明治28年、和歌山県新宮生まれ。作家・詩人の佐藤春夫の実弟。大正13年、父親が所有する農場の管理のため豊頃の十弗へ来る。十弗に郵便局を開局して長く局長を務め、晩年、私立池田西高等学校長も務めた。何回か十弗を訪れた佐藤春夫のことなど。

 千葉 惣助 (収録:昭和56年2月26日/聞き手:小林正雄)
 明治39年、仙台市生まれ。大正7年、13歳の時に叔母の養子として帯広へ来る。叔母の夫が始めたそば屋を手伝い、昭和15年、結婚して独立、そばの「丸福」を開業。戦時中もひいきの方々からそば粉、醤油などの材料供給を受けて休業することはなかった。そば打ち一筋の歩み。

 山崎 義平 (収録:昭和53年2月24日/聞き手:棚瀬善一)
 明治30年、和歌山県日高郡志賀村生まれ。小学校を卒業して、叔父のいる釧路へ来て、徴兵検査後の昭和4年に帯広へ来る。スタンダードオイルの帯広代理店となり、折から、水田に大量発生したウンカの駆除に灯油が必要とされ軌道に乗る。先輩の同県人として世話になった宮本富次郎のことなど。

 山口 ハル(収録:昭和51年2月25日/聞き手:小野善也)
 明治27年、福井県足羽郡小字坂生まれ。4歳の時に一家で越前団体として幸震村(後大正村、現・帯広市)へ来る。お寺を校舎として受けた4年間の義務教育のようすや、開拓生活、結婚後の商売、子育てなど。
第5号  (平成2年9月30日発行)

◆語り部
 石川 キク (収録:平成元年3月2日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、神奈川県横浜市生まれ。昭和8年、産婆学校卒業後、同9年に樺太に渡り開業。終戦2年後に帰国し本別町で助産婦の仕事を続ける。樺太でのソ連軍侵功のようすや助産婦としての苦労。

 蛯名 茂次 (収録:昭和53年2月13日/聞き手:小野善也)
 明治31年、青森県上北郡浦滝村生まれ。大正11年、海軍除隊後に帯広へ来て乳牛飼育を始める。当時の依田牧場、高倉牧場など帯広の市乳製造者、乳製品加工の雪印の前身となる極東練乳、新田ミルク工場による原料乳買い入れ競争など十勝酪農の草創期について。

 小畑 ひさ (収録:昭和51年2月27日/聞き手:小野善也)
 明治10年、宮城県黒川郡魚谷村生まれ。記憶に錯綜があるが、明治44年の帯広−旭川間鉄道開通前に夫と子どもたちの家族で、先に帯広に来ていた夫の両親の呼び寄せで移住した。移住の頃の帯広のまちのようすや、暮らしを築いていく苦労。

 鴨川  肇 (収録:昭和54年2月20日/聞き手:小林正雄)
 明治42年、帯広生まれ。茨城県水戸出身の祖父、鴨川済が明治21年に千歳の鮭鱒孵化場に入り、同32年、帯広の孵化場へ来る。父親の豊も千歳の孵化場で学び、済の養子となり帯広の孵化場へ来た。肇さんは札幌工業学校機械科を卒業。祖父、父親と同じく千歳の孵化場で実習を受け三代で同じ道を歩んだ。

 工藤 新造 (収録:昭和52年2月15日/聞き手:小野善也)
 明治31年、旭川生まれ。大正11年頃に、十勝毎日新聞社に記者として入る。相撲の勝敗の結果、関東大震災のようすなどを知るために読者が編集室に押しかけるなど当時の新聞社のようすや、印象に残った取材など。

 
柴田  玉 (収録:昭和49年3月29日/聞き手:小林正雄)
 明治35年、福井県大野郡美山町生まれ。同37年、2歳で両親と十勝へ移住、士幌、幕別の白人を経て帯広へ来る。学校や水害のことなど少女時の思い出、河西橋の建設位置をめぐる住民対立、嫁ぎ先の柴田幸七郎商店の販売、市議会議長となった夫の幸七郎さんのこと。

 高野 保昌 (収録:昭和60年6月29日/聞き手:田代広和)
 明治44年、新潟県生まれ。大正5年、天理教団体の一員として鹿追に移住した父親のもとへ同7年、母親、兄弟と移住。高等小学校卒業後家の農業に従事。戦前の産業組合運動、戦後の農民同盟運動家として活躍、農民同盟十勝地区書記長となる。鹿追町教育委員長として町教育行政につくす。

 竹市 一己 (収録:昭和52年1月20日/聞き手:小野善也)
 明治38年、岐阜県羽島郡柳津生まれ。大正2年、両親と兄弟3人、祖父母と父親の兄弟ら12人で川西村(現帯広市)八千代に移住して開懇。小学校卒業後、家の農業を手伝い、30歳の時に地域から押されて村議会議員、昭和18年、村収入役となり、同30年、帯広市との合併推進派村民の要請で村長選挙に出馬して当選、同32年合併を実現。

 立川  基 (収録:昭和52年2月20日/聞き手:棚瀬善一)
 明治31年、福島県伊達郡川俣生まれ。兵隊検査後の数え24歳の時に帯広へ来る。帯広の雑穀商ヤマイチ立川の娘婿となり、雑穀商ヤマニ立川を開業を開業して独立。大勢の買い子を使って行う農家回りの豆の買い入れ、芸者待合いでの商談など賑わった豆成金の時代。

 土谷  清 (収録:昭和55年3月18日/聞き手:小林正雄)
 明治41年、札幌市生まれ。石川県出身の父親が農科大学時代の北大の農場作業員だったことから大学の農場を生活、遊びの場として育つ。高等小学校を卒業して兄が勤めていた酪農機械製作所に入り、昭和5年、その兄と札幌で土谷製作所を開設、独立した。昭和8年、酪農における十勝の将来性を見越し兄と別れて帯広へ移り牛乳缶専門の製作所を開業。以後、十勝酪農の進展とともに今日の土谷特殊農機製作所へ発展させた。

 中津川 武男 (収録:昭和63年11月30日/聞き手:菅原慶喜)
 明治44年、白糠町庶路生まれ。小学校を卒業して郵便局に勤務。昭和7年から軍隊入隊の18年まで釧路産業組合が主催する白糠の馬市でせり子として活躍した。終戦とともに出征先の朝鮮から帰国、戦後の昭和23年、「十勝川温泉ホテル大平原」を開業した。温泉開発、趣味のマラソンなど。

 松井 彦松 (収録:昭和52年2月22日/聞き手:棚瀬善一)
 明治33年、石狩郡石狩町大字八幡町高岡生まれ。大正9年、札幌師範学校卒業。赤平を振り出しに石狩、千島、根室と各地の学校を巡り、昭和8年、札幌に次いで全道で2番目の高等科単置校の帯広啓北高等小学校に来る。戦後、帯広市教育委員会学校教育課長として教育行政に携わり、さらに市内の小学校、中学校長を歴任。昭和38年から三期にわたって市議会議員を務めた。

 山下 秀夫 (収録:昭和62年8月27日/聞き手:田代広和)
 明治36年、雨竜郡一已町生まれ。屯田兵として一已に入った父親は胃腸が弱く、水田農業を避け、一家で妹背牛に移住。大正8年、さらに浦幌へ移り畑作を始める。秀夫さんは、昭和5年に結婚後、次男だったため分家して営農。昭和12年から始めた馬の種付け業、同31年からの牛の育成など畜産を語る。

 吉田 忠吾 (収録:昭和60年8月31日/聞き手:田代広和)
 明治38年、福島県いわき市生まれ。大正13年、19歳の時に南米に渡りコーヒー、綿、陸稲栽培などを体験。昭和元年、徴兵検査のため帰国。除隊となった昭和3年、川西村別府(現・帯広市別府)の農家に住み込んで畑作を勉強、昭和11年、伏古(現・帯広市西帯広)に移転独立。帯広市議会議員、帯広市農業委員会委員長、帯広市農協組合長などを歴任。
第4号  (平成元年年12月25日発行)

◆語り部
 石田 きのゑ (収録:昭和49年3月31日/聞き手:小林正雄)
 明治24年、富山県西礪波郡生まれ。明治31年、数え7歳の時に両親と帯広へ来る。父親は白浜商店の清酒醸造杜氏、マッチの軸木製造、農地開拓などを行う。16歳で結婚、木賊原遊郭近くで農業に従事する。移住当時のマッチの軸木製造、夫の砂金採取事業、秋あじ捕りなど。

 阿部  叔 (収録:昭和50年3月10日/聞き手:棚瀬善一)
 明治23年、宮城県桃生郡鹿又村生まれ。大正5年、十勝監獄看守となり、4年半の勤務後、大正9年に北海道東部農産物移輸出組合に入り、同12年から同組合の雑穀検査員となる。監獄看守時の因人の農作業を中心とする外役、木工その他の内役、監房の因人のようす。雑穀検査員となるための訓練など。

 只石 仙吉 (収録:昭和50年3月25日/聞き手:清原元之)
 明治35年、富山県魚津市生まれ。昭和3年、帯広町役場職員として帯広図書館の管理者となり主に夫人が閲覧、貸し出しの業務を行った。図書館はその後、昭和天皇の御大典を記念して建設された十勝会館に移転、「御大典記念帯広図書館」と呼ばれた。移転後の昭和5年に弟の繁松氏が会館の管理とともに専任の管理者となり初めてカードによる図書目録を作成。

 池田 嘉市 (収録:昭和50年12月26日/聞き手:清原元之)
 明治26年、岐阜県稲葉郡生まれ。明治38年、小学校高等科2年の12歳の時に家族で伏古村(現・帯広)へ入植。五年前に移住した親戚に誘われ、同じ村の数戸での移住だった。昭和31年、西15条北1丁目の国道脇で「帯広温泉」を開業。移住当時のチョマトー周辺やアイヌ学校の日新小学校、温泉開発など。

 森  政一 (収録:昭和51年3月9日/聞き手:小林正雄)
 明治37年、富山県氷見市生まれ。大正7年、数え16歳の時に釧路の米屋に奉公に来たが、体力的に無理とわかり、同米屋の主人のはからいで藤丸呉服店の丁稚となる。藤丸の奉公人制度や仕事の内容、初代藤本長藏の経営哲学、呉服店からデパートへの切り替えの苦労、物資不足の戦中、戦後のようすなど、ともに歩んだ半世紀の藤丸。

 梶  トク (収録:昭和51年3月6日/聞き手:棚瀬善一)
 明治28年、石川県能美郡新丸村生まれ。旧姓道下。数え4歳の時に石川県新丸村から幸震村(現・帯広市大正)の幸一地区へ移住、長じて同地区の同じく新丸村から移住した梶家に嫁ぐ。聞いている加賀団体移住の動機となった洪水、移住の旅、寺子屋など子どもの頃の生活、高丈足袋や藁靴編みの冬仕事など開拓農家の衣食住、火災で焼失した幸福寺の建て替え。

 松崎 武志 (収録:昭和51年2月23日/聞き手:棚瀬善一)
 明治30年、宮城県桃生郡河南村生まれ。歯科医師。大正から昭和の初めにかけて帯広の医師による草野球チーム「骸骨クラブ」を結成、市民スポーツとしての草野球振興のきっかけを作った。戦後、長く帯広の社会教育、新生活運動に携わり、花と緑による環境緑化運動や戦後の公民館活動。

 加藤 ナミエ (収録:昭和51年3月26日/聞き手:清原元之)
 明治44年、芽室町芽室太生まれ。アイヌとして生まれ、数え六歳の時に後妻に入った母親と広尾へ行き、小学校三年生のときに義父が亡くなり母親と帯広へ来る。アイヌ学校の日新尋常小学校で吉田巌に学び、卒業。アイヌの生活文化を保存、伝承する帯広カムイトウウポポ保存会副会長として活躍。日新小学校での勉強や教師としての吉田巌、聖地としてのチョマトウでのカムイノミや慰霊塔建立の経緯、死者の墓地への埋葬などアイヌ文化の生活。

 諏訪 宗代 (収録:昭和56年6月9日/聞き手:棚瀬善一)
 明治31年、岩手県大船渡市生まれ。14歳の頃から生地の浄土宗の寺に住み込み、行儀作法や読み書きを学ぶ。大正11年、18歳の時に帯広へ移住。水引、作法の教授をきっかけに昭和の初めに京都で研修を深め、同時にお茶を学ぶ。その後三条、柏葉ほかの高等学校、勧業銀行帯広支店など企業の要請で幅広く水引、作法、お茶を指導、多くの弟子を育てた。

 平野 栄次 (収録:昭和59年9月26日/聞き手:田代広和)
 明治25年、茨城県稲敷郡桜川村生まれ。麻布高等獣医学校卒業。明治44年、19歳の時に、新得へ来る。獣医師のかたわら家畜商として新得に馬市を創設。戦後、北海道の獣医師会副会長、家畜商組合長としてGHQによって中断した馬産の再興に尽力。北海道開拓および軍事の両面を背景とした十勝の馬産の経緯、道議会議員としての活動、長期にわたる新得町長として取り組んだ十勝ダム建設、国鉄石勝線実現など。

 松久 正光 (収録:昭和51年2月23日/聞き手:田代広和)
 明治43年、芽室町美生生まれ。父親・市治は、明治39年、妻とともに岐阜県本巣郡から川西村へ移住。二年後、芽室町美生の現在地へ移転。農業のほかに水車による精穀、製麦、製粉などを手がけ、所有する農地を広げて小作に出し、芽室村村議議員としても活躍。正光さんは三男で、大正14年、旧制帯広中学の第一期生として卒業、家業を手伝う。昭和34年から副業としてニジマスの養殖を始め、ニジマス料理の「松久にじます園」を開業。

 多田 菊雄 (収録:昭和61年9月5日/聞き手:田代広和)
 明治43年、旭川市生まれ。小学校四年生の時に、鉄道員だった父親の池田への転勤で旭川から池田へ移住。小学校高等科を卒業して大阪で洋服仕立てを修行して開業。昭和7年、池田へ戻り「大阪屋洋服店」を開業。同17年、軍属として中国へ渡り、戦後21年に帰国、「池田洋服裁断学院」を創立。31年、同学院を母体に「私立池田女子高等学校」を設立。その後、理事長として男女共学の「私立池田西高等学校」を経て、昭和58年、幕別町札内に移転して「私立江稜高校」となる学校の歩み。

 
辻  秀雄 (収録:昭和62年7月22日/聞き手:田代広和)
 明治41年、忠類村生まれ。忠類の農家の三男として生れる。小学校を3年で中退し京都の鉄工所へ旋盤工の見習いに入る。7年後、体を壊して郷里へ戻り、昭和の初め、23歳の時から砂金掘りを始める。道北の頓別川支流のウソタンナイ川を皮切りに雨竜川、天塩川と渡り歩き、戦後は大樹の歴舟川で昭和47、8年頃まで続けた。
第3号  (平成元年2月10日発行)

◆語り部

 
白浜  廣 
(収録:昭和49年3月28日/聞き手:小野善也)
 明治42年、帯広生まれ。父親の白浜忠吉は青森県出身。函館の商人、白浜家の婿養子となり、集治監十勝分監の開設に先駆け、明治21年に帯広に来て商売を初め、分監の御用商人となる。清酒「金清水」の醸造、長男の平癒を祈願して祀った伏見稲荷、浄土宗・大念寺の創設、「下駄の七分屋」など帯広草創期の父親の足跡。

 鎌田 喜善 (収録:昭和49年10月22日/聞き手:棚瀬善一)
 明治25年、宮城県名取郡岩沼生まれ。明治45年、兄とともに大通7丁目に自転車店を開業。貸し自転車、大正期に自転車店が増加して組合を結成、自転車の普及とともに人気を博した自転車レースなど、「自転車の町」とも言われた帯広の業界と自転車普及のようす。

 
諸戸 義久
(収録:昭和47年11月27日/聞き手:棚瀬善一)
 明治21年、三重県桑名郡木曽岬村生まれ。小学校卒業後、働きながら中学卒業の資格を得る。明治43年、叔父が移住していた川西村富士へ来て、間もなく音更村役場に入り、その後帯広町外4村組合役場、幸震村役場勤務を経て大正11年から鹿追村村長、芽室村助役、大正村村長、芽室村村長を歴任。戦後も昭和30年に大正村村長を務める。明治から戦後までの村政。

 
河西 為次郎 
(収録:昭和49年11月28日/聞き手:棚瀬善一)
 明治24年、富山県西礪波郡生まれ。大正3年、22歳で十勝監獄看守となり、33年間務める。囚人の脱走、大正9年の十勝監獄の火災、監獄内での囚人の扱い、木工、煉瓦製造、木軌道による造材運搬の労役など監獄と服役囚のようす。

 
角谷 栄一 
(収録:昭和49年12月2日/聞き手:棚瀬善一)
 明治45年、根室生まれ。大正11年11月12日に発足した十勝無尽株式会社に勤務。同社創立のいきさつ、中心となって活躍した庄島鹿六さんのこと、無尽業務の仕組み、札幌、旭川など全道に支店を広げて注目された戦前の無尽金融活動。

 
小泉 リツ 
(収録:昭和49年12月20日/聞き手:小林正雄)
 明治18年、伊達紋別生まれ。生家の高橋家は、明治3年に仙台から伊達紋別へ移住。明治35年、17歳の時に広尾の姉の所へ手伝いに来ていた時に、広尾で旅館と雑貨店をしていた小泉家の碧(みどり)氏と結婚。帯広の鉄道開通を期に明治37年、夫婦で帯広へ移住、同40年、帯広駅前に旅館「北海館」を開業。駅前旅館のようす。

 山下 和枝 (収録:昭和50年2月26日/聞き手:棚瀬善一)
 明治23年、十勝の大津村生まれ。義父の山下豊松は新潟県出身。明治25年頃に空知監獄の看守となり、同34年十勝監獄へ移り、看守部長を務め、大正3年に定年退職して監獄製造の家具、建具を扱う家具店を開業した。山下家具店初代・豊松の足跡、囚人「五寸釘寅吉」が制作したとされる彫り物などについて。

 山川 シマ (収録:昭和50年3月25日/聞き手:清原元之)
 明治38年、幕別村相川でアイヌとして生まれ、幼い頃に両親を亡くして祖母に育てられる。衣食住をはじめ、薬草などアイヌの生活文化、生活技術など。

 戸倉 キセ (収録:昭和50年3月4日/聞き手:小野善也)
 明治32年、新潟県新発田生まれ。4歳の時に叔父をたよって母親、兄夫婦の家族で池田の高島へ来る。大正7年、22歳で帯広の戸倉護しと結婚、軍隊の払い下げ品を仕入れて売る商店を始め、その後に洋装店へ発展させる。妹、弟を連れて通った小学校、自分の結婚式、かつての広小路マーケットの賑わい、夫の病気など。

 清水 テフ (昭和5035日収録/聞き手:清原元之)
 明治26年、新潟県三島郡生まれ。明治33年、8歳の時に叔父夫婦の養女となって帯広へ来る。18歳で結婚。大通15丁目で雑貨店を始め、買い子を使っての雑穀の買い入れも行なった。夫が45歳で亡くなり、女手で8人の子供を育てる。子供の頃の帯広のようす、豆成金時代の雑穀商いなど。


 山本 チヨ (収録:昭和501224日/聞き手:棚瀬善一)
 明治30年、根室生まれ。大正12年、夫が帯広町役場の職員として図書館を担当したことから、昼間、役場職員として図書館に勤務する。帯広図書館発足の経緯、大正から昭和初期にかけての町民の図書館利用のようす。


 
清兼 政市 
(収録:昭和56314日/聞き手:小林正雄)
 明治30年、徳島県鴨島町生まれ。明治43年、父母と日高の門別へ入植。父親が造材の仕事を始め、日高全域で三井物産の造材搬出をする。政市さんもこの仕事に従事し、昭和
6年から十勝で造材搬出を始め、馬が中心だった搬出にトラックを導入。十勝における戦中、戦後の造材、北大製の日高での山岳遭難など。


 石田 清治 (収録:昭和55319日/聞き手:棚瀬善一)
 明治33年、新潟県直江津市生まれ。大正7年、大学を卒業して小樽の雑穀店に入社。大正14年、独立して帯広で雑穀業を始め、雑穀を直接内地へ移出する内地送りを十勝の雑穀正として初めて行った。昭和25年、「北海物産」を設立。北海道東部農産物移出協同組合を結成し、雑穀商のまとめ役となる。第一次世界大戦の豆成金から戦後の赤いダイヤまで十勝の雑穀界のようす。

 大道 とよ (収録:昭和56318日/聞き手:棚瀬善一)
 明治29年、富山県西礪波郡生まれ。大正初期、22歳で単身富山から来て芽室町西士狩の小作農家、大道北次郎氏に嫁ぎ開拓生活を始める。豆作、冬の間の地下足袋作り、暖房用の薪の製造販売など、開拓時代の農家の生活。

 大川  勇 (収録:昭和53210日/聞き手:三野経弘)
 明治23年、音更町下士幌生まれ。父親は明治13年、音更に定住した最初の和人大川宇八郎。宇八郎について、宇八郎以来自分も取り組んだ馬産のことなど。

 河尻 ハル (収録:昭和56417日/聞き手:棚瀬善一)
 明治42年、旭川市生まれ。終戦直後に木賊原遊郭の大正楼を前経営者から住居として譲り受けて居住。当時の遊郭街のようすや建物の構造、子供の頃に家が晩成社の小作として幕別の途別農場の依田勉三宅の近所だったことで身近に接した晩年の勉三について。

 北村 一郎 (収録:昭和60425日/聞き手:田代広和)
 明治37年、網走管内上湧別町生まれ。軍隊を経て仙台で自動車学校に入り免許を取得。昭和4年、25歳で帯広に来てタクシー会社に勤務後、同6年に独立、「安全タクシー」を設立。戦後、鉄道の枕木製材で資金を作り「帯広ハイヤー」を設立。昭和の初めの帯広のタクシー業界、戦時中の企業合同、昭和25年の合同解散など十勝のハイヤー、タクシー業界の変遷。

 山川 平作 (収録:昭和59715日/聞き手:田代広和)
 明治37年、山形市生まれ。京都大学医学部耳鼻科卒。昭和10年、帯広の島田病院に勤務。招集で軍医として北支で従軍。昭和14年、島田病院が北海道農業会の買収で厚生病院となり、同院の耳鼻科医となる。昭和22年に独立し、耳鼻科の外に内科、外科、婦人科、後に小児科も加えた「道東病院」を設立。後に「山川耳鼻科」を開院。厚生病院発足の経緯、戦前、戦後の帯広の医療界のようす。

第2号  (昭和62年12月25日発行)

◆語り部

 
高橋 丑松 
(収録:昭和48年3月31日/聞き手:小林正雄)
 明治22年、岐阜県岐阜市生まれ。13歳の時に父母と止若村札内(現・幕別町)へ移住。帯広小学校高等科を卒業。20歳の時に帯広へ移住し、西2条1丁目で父親と鍛冶屋をする。長く帯広の消防団員としても活躍。開拓期の鍛冶屋の仕事、消防へのガソリンポンプ車の導入など。

 林 波津女 (収録:昭和48年7月17日/聞き手:小林正雄) 
 明治27年、大分県臼杵生まれ。父親の林長次郎は、十勝監獄の御用商人である義兄に招かれ明治31年に帯広へ来る。明治42年、女学校を中退して母親、妹とともに帯広へ来る。翌43年、17歳で郷里から林茂(林豊洲)を婿養子に迎えて結婚。臼杵の少女時代、移住当時の帯広、父の監獄御用商人としての商売、夫豊洲の新聞事業の始まりや観光開発など。

 有田 重太郎 (収録:昭和48年7月31日/聞き手棚瀬善一) 
 明治25年、札幌生まれ。14歳から30歳まで札幌の大丸藤井に勤務。大正10年、30歳で独立し、帯広で紙問屋を開く。帯広実業協会の発足、大正12年の増税反対で税務署に押しかけたムシロ旗事件、帯広商工会議所副頭取として取り組んだ卸商団地造成など。

 本田 トイ (収録:昭和48年8月2日/聞き手:小野善也) 
 明治31年、帯広生まれ。帯広尋常高等小学校高等科を卒業、函館の産婆学校で学び、大正8年帯広で開業。帯広における産婆業の始まり、助産婦会の前身となる産婆会の発足、無痛分娩の流行、戦前の「産めよ増やせよ」から戦後の「産児制限」、産婆による自宅出産から産科医による病院出産への移り変わりなど。

 稲葉 嘉一・佐藤留五郎 (収録:昭和48年8月20日/聞き手:棚瀬善一)
 稲葉さんは明治30年、静岡県松崎町生まれ。大正8年から勉三のもとで途別水田の造成、帯広の勉三の牧場で市乳製造をする。
 佐藤さんは明治30年、福島県原町生まれ。明治43年、一家で福島から移住、晩成社の途別農場の小作となる。ともに、途別農場における晩成社の水田造成、晩年の勉三について。

 
清野 正七 
(収録:昭和48年12月21日/聞き手:棚瀬善一) 
 明治22年、山形県東村山郡生まれ。大正11年7月から昭和17年まで帯広小学校の用務員として働く。その間の校長、教員、生徒や学校のようすなど。

 古株 駒三郎 (収録:昭和48年12月25日/聞き手:棚瀬善一)
 明治29年、滋賀県蒲生郡生まれ。明治44年、雑貨商をしていた従兄弟の母親が帯広に来るのに同伴、そのまま帯広に移住して雑穀商となる。昭和8年から30年まで五期の市議会議員、昭和5年から五期10年帯広商工会議所議員。第一次世界大戦がもたらした豆成金時代のようす。

 
山崎 金作 
(収録:昭和48年12月25日収録/聞き手:小野善也)
 明治23年、福井県大野市生まれ。明治30年、8歳の時に家族で売買村(現・帯広市稲田)へ移住。帯広小学校高等科を卒業。昭和7年に川西村村会議員、同11年に川西郵便局長となる。十勝農業学校(現・帯広農業高校)、獣医専門学校(現・帯広畜産大学)の開設、帯広市との合併など。

 
石塚 達三 
(収録:昭和49年2月26日/聞き手:小野善也)
 明治28年、秋田県新屋町生まれ。明治40年室蘭へ移住、同42年、14歳の時に小学校高等科を中退して室蘭の写真屋に丁稚奉公に入る。兵役除隊後、札幌の武林写真館で修業、大正14年、武林の名前を分けてもらい帯広で独立開業。帯広における営業写真の先駆者。帯広写真師組合の結成、学級写真の仕事、帯広市街や道路造成など開発の記念写真への取り組みなど。

 加森 藤市 (収録:昭和49年2月27日/聞き手:清原元之)
 明治34年、函館生まれ。大正9年、小学校時代の恩師の世話で拓銀帯広支店に入る。草野球が盛んとなり、拓銀支店チームのスコアラーとなり、地元の各新聞社にもその記録が利用される。戦後「北日本新聞社」を創設した。豆景気後の不況期で、郡部の農家を回り、借入金の返済軽減の借換え指導、野球人気の高まりなど。

 酒井 政治 (収録:昭和49年2月26日/聞き手:清原元之)
 明治23年、福島県郡山生まれ。明治36年、左官職人の父親とともに帯広へ来て左官職人となる。移住時の鉄道開通前の狩勝越え、帯広のようす、十勝監獄の木材運搬用木軌道、大正の豆景気と、その時代に手がけた規模の大きな建築物や左官職人の仕事、木賊原遊郭、十勝の空を初めて飛んだアート・スミスの飛行見学など。

 
藤沢 たね 
(収録:昭和49年3月4日/聞き手:小野善也)
 明治28年、岐阜市生まれ。4歳の時に一家で岐阜から咾別(現・幕別)へ移住。7歳の時に売買村(現・帯広市稲田)へ、12歳の時に伏古村(現・帯広市西帯広)へ移住する開拓農家で育ち、19歳で農家へ嫁いだ。「げろり」と呼ばれた下駄スケートなど子供時代の遊び、開拓時代の売買や伏古、帯広のようすなど。

 玉置 たなよ (収録:昭和49年3月8日/聞き手:小野善也)
 明治25年、岐阜県揖斐郡生まれ。明治40年、16歳の時に両親と五人兄弟の一家で帯広へ移住。18歳で結婚した夫と死別、20歳で帯広の西2条南2丁目で雑貨店を経営していた玉置氏と再婚、その後料理屋などを経営。皇太子(後の大正天皇)の帯広行啓、豆成金の時代に転身して儲かった料理屋、夫が創設した映画の「キネマ館」、賑わった1月2日の商店の初売りなど大正から昭和にかけての帯広のようす。

 道端 周吉 (収録:昭和49年3月8日/聞き手:棚瀬善一)
 明治20年、石川県能美郡新丸村生まれ。明治31年、11歳の時に加賀団体三十戸の一員として一家で幸震村(現・帯広市大正)へ移住。小松、金沢を経て富山県伏木港から函館を経て釧路へ、釧路から徒歩で白糠、大津、帯広への移住の旅、その後の開墾、肥料過リン酸石灰での増収、豆景気の頃など。

 
宮野  桂 
(収録:昭和49年3月28日/聞き手:棚瀬善一)
 明治20年、石川県金沢市生まれ。長野県立諏訪中学校卒業。明治39年、19歳で単身北海道へ渡り、大正10年に帯広へ来て味噌、醤油の醸造業などをする。絵画に親しみ、戦前に日本画、俳句、写真などの月刊の文化サークル誌「幹墨」を発刊。平原社、萌木会など帯広の絵画活動の始まり。

 岸本 ムラ (収録:昭和54年3月16日/聞き手:棚瀬善一)
 明治42年、広尾町野塚生まれ。野塚の小関家に生まれ、同じく野塚の秋山家の養女となる。小学校6年のときに家が幕別へ移り、大正13年、幕別尋常高等小学校高等科2年から帯広の大谷高等女学校に転入、第二回卒業生となる。創立の翌年、畑の中に校舎ができたばかりの頃の学校のようす。
第1号  (昭和61年12月15日発行)

◆語り部
 依田 八百 (収録:昭和42年11月9日/聞き手:小林正雄)
 明治27年、現・静岡県松崎町生まれ。明治41年、高等小学校を卒業して釧路の金物店に勤務。依田勉三と同郷の縁で勉三の養女キクと結婚、勉三家を継ぐ。勉三と晩成社について。

 栗原 のぶ  (収録:昭和47年8月30日/聞き手:小林正雄)
 明治20年代、埼玉県生まれ。24歳くらいの時に川西村の兄の所へ来て、同村の農家へ嫁ぐ。当時の生活のようす。

 黒沢 寅之助 (収録:昭和48年8月30日/聞き手:棚瀬善一)
 帯広生まれ。医師。大正11年頃に帯広で開院。十勝監獄勤務医から始まる帯広、十勝における医療の足跡。

 斉藤 与三郎 (収録:昭和47年9月27日/聞き手:小野善也)
 明治19年、秋田県能代生まれ。明治31年、13歳の時に帯広へ来る。帯広高等小学校の第1回生。商店街、草競馬、木賊原遊郭、芝居小屋など明治から大正期の帯広。

 宮内  治 (収録:昭和47年10月9日/聞き手:小野善也)
 千葉県銚子生まれ。麻布獣医畜産学校を卒業。獣医師。大正2年帯広に来て、翌年、西2条北1丁目で開業。獣医師のかたわら酪農の普及に力を入れ、自らも牛を飼育して市乳を生産。十勝の馬産、畜産。


 金堂 ハツ (収録:昭和47年10月13日収録/聞き手小林正雄)
 明治25年、富山県西礪波郡オオセ村生まれ。母親が旧伏古村の先駆者・宮崎濁卑の妹。2歳の時に両親と姉、兄の一家で濁卑を頼って伏古村に来る。高等科を卒業した帯広小学校の学校生活、叔父の濁卑や晩成社の渡辺勝についての記憶。

 喜多 儀太郎 (収録:昭和47年10月24日収録/聞き手:棚瀬善一)
 明治20年、徳島県生まれ。明治33年、家族で徳島県から移住。マッチの軸木となるドロの木の切り出し、札内橋の前身の私設栗山橋の記憶。上帯広で農業から商業に転身し、大正時代に帯広市街地に進出。商工会議所の設立、市議会議員として携わった帯広、大正、川西の合併。
 山本 謙悟 (収録:昭和47年12月13日/聞き手:棚瀬善一)
 福島県会津生まれ。明治34年、7歳の時に家族で帯広へ移住。同40年、帯広尋常高等小学校高等科卒業、二級町村帯広町役場に戸籍係として入り、昭和21年、帯広市助役を退任するまで役場一筋。役場と帯広のまちの移り変わり。

 三浦 ノブ (収録:昭和47年12月15日/聞き手:小野善也)
 幕別の札内生まれ。収録時で満79歳。当時、入墨をした十勝で最後のアイヌ女性。入墨、結婚、出産、子守唄、労働など自分が経験したアイヌ女性の生活全般。

 紺谷 祐司 (収録:昭和47年12月22日/聞き手:小林正雄)
 明治32年、旭川生まれ。明治43年頃、大工だった父親が西2条2丁目で十勝最初のパン屋を開業したため、家業を継いでパン職人となった。パンが普及した大正期から戦後までの帯広のパン業界、帯広川での水泳ほか少年時代の遊び、十勝におけるスキーの事始め。

 山川 千代(収録:昭和48年2月26日/聞き手:棚瀬善一)
 帯広生まれ。高等小学校を卒業後、大正9年、17歳で置屋・滝本屋所属の芸者となる。芸名は滝千代。豆成金時代以後の帯広の花柳界の動き。

 西内 ハルヲ (収録:昭和48年3月9日/聞き手:小野善也)
 明治31年、福島県会津若松生まれ。同36年、札幌から数年前に父親・酒井章太郎が来ていた帯広へ母親、姉と来る。父・酒井章太郎が手がけた十勝で最初の郷土史誌「十勝史」の発行、街灯、人力車、電灯など帯広における先駆的事業。

 橋爪  求 (収録:昭和48年3月15日/聞き手:小野善也)
 明治21年、札幌生まれ。明治末に北海道警察に入り、主に剣道教師として活躍、昭和9年に帯広で退官。戦後の十勝剣道連盟の再興。

 小川 よしの (収録:昭和48年3月16日/聞き手:棚瀬善一)
 大正元年、帯広から初めて札幌の高等女学校へ進学した一人。帯広の地酒「晃国」を製造した小川醸造、政友会、憲政会で争う地方選挙、父・小川富吉が寄贈した帯広神社の鳥居、日露戦争義捐金集めの素人芝居のことなど。

 山口 ハル (収録:昭和48年3月17日/聞き手:小野善也) 
 明治8年、山形県生まれ。明治39年、夫の孫市と山形から帯広へ来る。夫は十勝監獄の事務員だった同郷者を頼り、監獄の看守となり、大正13年、定年退職した。囚人のようす、脱走事件、大正9年の監獄の火災など。