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帯広百年記念館常設展示室
十勝の先史時代
 十勝平野で人が生活し始めたのは、今から2万年以上前の旧石器時代のことです。このころは氷河期のなかでもっとも寒かった時期で、北海道はシベリア大陸と陸続きになっていました。十勝最初の住人は、マンモスなどの動物を追って、ここへ渡ってきた人たちだったと考えられます。こののち、縄文・続縄文・擦文、そしてアイヌ文化へと、十勝平野の厳しく、そして恵まれた環境の中で、人びとは生活を続け今日に至っています。
 そのような人びとの暮らしぶりを、各地で発見されている遺跡と底から発掘された出土品を通して考え、今後の私たちの進む道を見直してみましょう。 
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旧石器の時代
 土器が使われる前の時代を旧石器(先土器)時代と呼んでいます。十勝で発見されているもっとも古い遺跡は2万数千年前のものです。
 今から2万年くらい前は、氷期の中でももっとも寒かった時期で、今より年平均気温は6〜8℃も低くかったようです。また、海水面も現在より100mほど下がっていたため、北海道はシベリア大陸と陸続きになっていました。そのころ大陸からマンモスなどの動物を追って来た人たちが、十勝に最初に住みついた人だったようです。
 このころの人たちは、狩とわずかな植物の採集で生活し、食料を求めて移動しながら暮らしていたと考えられます。旧石器時代の遺跡は、十勝でおよそ100カ所見つかっています。
◆最古の石器群 十勝では上士幌町嶋木、清水町共栄3、帯広市若葉の森川西C空港南Aなどの遺跡が2万年以上前の最古のグループです。これらの多くは、恵庭岳が約1万8千年前に噴火したときに飛んできた火山灰よりも下の地層から見つかりました。このうち、嶋木・共栄3・若葉の森は古い時期のグループで、形が整っていない剥片(はくへん=カケラ)を材料にした石器に特徴があります。これより少し新しいグループと考えられる川西C・空港南Aでは、石刃(せきじん)と呼ばれる規格化された剥片が石器の材料とされています。また、川西C遺跡からは赤や黒色の顔料の素となった鉱物が出土しました。

◆細石刃の登場 細石刃(さいせきじん)は、長さ数センチ、幅数ミリ〜1センチほどのカミソリの刃のような細長い石器です。およそ2万年前から1万年前までの間、シベリアから東アジア一帯で広く使われた石器で、多くは木や動物の骨などで作られたシャフトの縁に数個を並べて埋め込んで、ヤリやナイフとして使われました。これは、刃こぼれが生じても、そこだけを新しい細石刃と取り替えればよいという、たいへん効率的な石器でした。また、この石器は作り方も効率的で、一つの石核(石器を作るもとの石)から、同じ形・大きさの細石刃を大量に作ることができました。
 細石刃が大量に出土することで有名な遺跡に、帯広市暁(あかつき)遺跡があります。暁遺跡の発掘は昭和36年以来、6回行なわれており、細石刃だけでも8千点以上が出土しています。調査で出土した石器の広がりを見ると、とくに密集する範囲が22ヵ所ありました。これはスポットと呼ばれ、ここを中心に石器作りが行われていたことを物語っています。今からおよそ1万6千年前、暁遺跡周辺では、旧石器時代人が細石刃をはじめとするいろいろな石器を作っていた作業場だったようです。
 暁遺跡のスポット12と呼んでいる石器が集中した範囲からは、1900点余の細石刃をはじめ削器や彫器と呼ばれる石器、剥片など約5,700点が出土しました。このスポットから出土した石器は、常設展示室のケースに展示しています。
 
◆黒曜石は語る 黒曜石(十勝石)は、火山活動で地下のマグマが地表付近で急速に冷えたときにできた天然のガラスです。この石は割っただけで鋭い刃物になり、加工もしやすいことから、石器の材料として重用されました。黒曜石の産地は道内では遠軽町白滝、置戸町、赤井川村、上士幌町が4大産地として知られています。
 十勝の旧石器時代の遺跡からは、黒曜石で作った石器が数多く出土しますが、大型の石器は白滝や置戸など、十勝以外の産地のものが使われていることが化学分析でわかりました。展示室のパネルにはこの時期の黒曜石の流通経路が、ステージには道内各地の黒曜石が展示してあります。



細石刃
(暁遺跡)

縄文の時代(約1万2千年前〜2千3百年前)
 十勝で土器が使われるようになったのは、今から約1万2千年前のことです。気候や植生が現在とほぼ同じになった8千年ほど前になると、狩や漁、植物性の食料の採集や加工が盛んに行なわれ、数軒の竪穴住居で構成された集落も作られるようになりました。
 約6千年前には、さらに温暖な気候となり、これによって食料資源も豊富になり、生活も安定したようです。約3千年前には寒冷な時期を迎えましたが、豊かな自然を背景とした豊富な食料と技術の進歩により、およそ1万年におよぶ縄文文化が栄えました。
◆最古の土器 2003(平成14)年に行なわれた帯広市大正3遺跡の発掘調査で、底が「おっぱい」のような形で、表面には「爪形文」が付けられた土器が出土しました。放射性炭素による年代測定では約12,000年前とされており、本州の「縄文時代草創期」に相当します。この土器の発見により、1万年以上前に、確実に北海道に土器文化があったことをはじめて証明しました。「最古の土器」コーナーのパネルには調査のようすなど、ケースには土器や石器を展示しています。

◆縄文時代の土器
 土器とは、粘土を焼いて作った器のことで、土器を作ることで食べ物を煮炊きしたり、貯蔵することが容易になりました。土器は、年代によって形や文様が変化することから、時期を推定する大きな手がかりとなります。
 十勝でもっとも古い、約1万2千年の土器は、表面に爪で付けた文様(爪形文)があり、底はおっぱいのような形をしています。9千年前になると底が平らな土器が道東地域に広がります。土器の表面に縄を回転させて付けた文様(縄文)が登場するのは7千3百年ほど前になってからで、これ以降の土器のほとんどには縄文がつけられます。6千年ほど前になると底が丸い土器が作られますが、5千年前には再び平らな底になります。3千5百年ほど前になると、注ぎ口のついた土器や皿のような形のどきがあらわれ、文様も多様になります。展示室の壁面には十勝地域の遺跡から出土した、各時期の縄文土器を展示しています。

◆縄文時代の石器 縄文時代は石器がもっとも発達した時代で、用途に応じて多くの種類の石器が作られました。
 とくに、この時代になると弓矢が発明され、矢の先端につける矢じり(石鏃=せきぞく)がたくさん作られます。また、石斧など石をみがいて石器を作る技術が発達したり、すり石や石皿など植物質の食料を加工するための道具が増えるのも特徴です。ステージでは、縄文時代の石器を用途別に展示しています。
 
◆縄文人の生活
食べる 縄文時代の人びとの食生活は、けものや鳥の狩り、野草や木の実などの採集、貝類の採取、川や海での漁など、自然の恵みで成り立っていました。十勝の縄文時代の遺跡からは、エゾシカ、ヒグマ、ウサギ、タヌキなどの動物、ワシ類、アカハラなどの鳥類、サケ、マス、イトウ、チョウザメなどの魚類、クルミ、ドングリ、ヤマブドウ、コクワなどの木の実が見つかっています。これ以外にも、身近な動物や魚、野草などを季節に応じて手に入れ、保存しながら食料として利用していたものと考えられます。

◆8千年前のムラ 八千代A遺跡は、帯広市街地の南西約30q、日高山脈の山麓にある遺跡です。1985(昭和60)年から4年間発掘調査が行なわれ、縄文時代早期前半(約8千5百〜7千5百年前)の住居跡103棟が見つかり、この時期のものとしては全国的にもあまり例がない、大規模な集落遺跡であることがわかりました。
 当時の集落は、住居2〜数棟、人口は数十人ほどの大きさで、このくらいの集落が長期間にわたって、繰り返し営まれたものと推測されます。調査では、土器や石器をはじめ、装身具やクマをモチーフした土製品などが出土し、当時の人びとの暮らしぶりを解明する貴重な手がかりが多く得られました。
 展示室の「8千年前のムラ」コーナーには、発掘で出土した土器、石器、装身具類などの実物資料や、調査のようすを解説したパネルなどが展示されています。

『最古の土器』


十勝の縄文土器


「8千年前のムラ」
八千代A遺跡から出土した遺物や調査のようすを紹介したパネルを展示しています。
続縄文の時代・擦文の時代
◆続縄文の時代(約2千3百年前〜千2百年前) 
 およそ2千3百年前、九州北部に大陸から水田稲作とともに鉄器や青銅器などが伝わり、これらが急速に日本列島に広がり、弥生時代が始まりました。しかし北海道では、わずかに栽培農耕が行なわれ、金属器が使われたようですが、縄文時代と同じく狩りや漁、採集など自然の恵みに支えられた生活が続き、土器にも縄文が残ることから、この時代を「続縄文時代」と呼びます。
 この時代、北海道では稲作が行なわれた証拠は見つかっていませんが、西南部ではソバ、アワ、ヒエなどの栽培が行なわれていたようです。
 ステージには、浦幌町の遺跡から出土した土器などを展示しています。

◆擦文の時代(約千2百年前〜8百年前)
 本州の奈良・平安時代に相当する8〜12世紀ころ、北海道は「擦文(さつもん)時代」になります。「擦文」という呼び名は、土器の表面にハケで擦ったあとが見られることから付きました。この擦文文化を母体として、次のアイヌ文化が成立したと考えられています。
 この時代は、土器の形や竪穴住居の構造が本州のものと類似し、石器はほとんど姿を消し、かわって鉄の道具が使われるようになりました。生活は前の時代と同じように、狩りや漁、採集が中心でしたが、農耕も行われ、浦幌町の遺跡からは、炭化したオオムギやキビ、鉄製の農具などが発見されています。
 ステージには帯広市内や浦幌町の遺跡から出土した土器などを展示しています。

続縄文・擦文コーナー