Topページへ
帯広百年記念館ロビー展  五月人形展  2012年5月6日まで開催!

写真をクリックすると拡大します
  
桜前線が北上中です。北国とかちに到着するのは、ちょうど5月5日の端午の節句のころです。これに合わせて当百年記念館では、収蔵している生活関連資料の中から「五月人形」をロビーに展示して皆様にご覧いただくことにしました。
 旧暦5月5日を節句とするのは、古く、中国で始まりました。この日には家の軒に菖蒲をさし、菖蒲の鉢巻きをして菖蒲湯に入りました。菖蒲を使う理由は、もともとは菖蒲のもつ匂いが蛇や虫をよせつけないことが知られるようになり、その根を煎じて飲めば解毒作用があると信じられたためでした。
 武士が台頭する鎌倉時代に菖蒲の音が武を重んずる「尚武」に通じることから男子の節句としての性格を強め、江戸時代になると、民間で桃の節句のひな人形とともに端午の節句には武者人形などを飾るようになりました。
 展示した五月人形は、市民からご寄贈いただいたもので、大正時代と昭和10年前後、昭和50年代のものです。この人形たちの時の重ねに想いを寄せ、皆様とともに桜の到来を待ちたいと思います。

 昭和37年、義父が四国へ出張したおりに長男の初節句に間に合うように買って帰ってきてくれました。吹き流しや小さな鯉も後から足していきました。義父が人に頼んでどの家よりも高くて立派な鯉のぼりの棒を立てて下さったので、子供達が大きくなっても上げていました。
(加藤比都志さん 帯広市)
 5月の節句飾りは、大正12年生まれの上の兄の節句から少しづつ両親が買いそろえたものです。3月の節句はちらし寿司、5月の節句は御赤飯とべこ餅がごちそうと決まっていました。母が作るのですが、べこ餅をこどもたち全員にすきな形に作らせてくれるのが楽しみでした。供えて固くなった餅を焼いて食べるその味をいまでも忘れることができません。
(間杉亮子さん 帯広市)

 私は、昭和8年に生まれ、昭和9年に父を亡くしました。以来、3歳上の姉とともに祖父母にひきとられました。昭和34年に結婚し、姉と私が所帯を持つようになって、祖父母より姉はおひなさま一式を、私にはこいのぼりと五月人形一式を持たせてくれました。五月人形は2~3歳のころにはあったので、父が買ってくれたものだと思いますが、そのへんのことは祖父母から聞いていませんでした。転勤族ですが、そのつど持ち歩き、五月の節句には必ず飾っていました。
(高橋英雄さん 帯広市)

 昭和8年、私の初節句に母方の祖父が藤丸で買ってきてくれたものです。当時祖父
は、東京で有名な歌舞伎役者をしていましたが、震災にあってから音更の温泉街の別荘に来ていたのです。小さい頃から今まで、他の五月人形と比べたことがありませんでしたので、特別大きいとは思っていませんでした。
(加藤比都志さん 帯広市)

 昭和40年ころ、私の息子のために釧路に住んでいた母が送ってくれたものです。箱には、昭和9年の年代と贈った方達の名前が墨書きされていますが、残念ながら詳細はわかりません。
(黒島希一さん 帯広市)

 加藤清正の方は、昭和12年生まれの長男 羊輔の誕生の時に帯広で購入したものです。鯉のぼりを上げている方のお人形は、昭和16年生まれの次男 恭輔のために昭和17年に購入したものです。当時は、鯉のぼりよりは五月人形の方が多かったように思います。後に、娘に二人の男の子が産まれてからは、娘の家で下の子が幼稚園位までずっと飾ってくれていました。
(美濃ハルさん 帯広市)
昭和56年、長男に男の子が生まれ、翌年帯広市内の玩具屋さんで購入しプレゼントしたものです。
(児玉 踔 さん 帯広市)
 
昭和48年生まれの息子のために、翌年の4月に帯広の藤丸デパートで購入したものです。(帯広市在住)