上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1394回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年12月1日(水)
【話 題】 子どもは遊びの大天才 [17]
− 騎馬戦 −


〜騎馬戦〜

現代では危険な競技ということで運動会等の種目からも
なくなりつつある遊びですが、戦略を練って遊ぶチーム戦
という部分では今でも盛り上がる競技です。



騎馬戦の基本的なルールは、騎馬の上に乗る役の人が帽子を被り、
それを互いに奪い合います。一般的には制限時間を設定し、時間内に片方の
チームの騎馬が全滅した場合には残ったほうのチームの勝利、両チームともに騎馬が
残った場合には残った組数の多いチームの勝利になります。

騎馬は帽子を取られたら終わりですが、上に載っている人が落ちて
しまった場合や反則行為があった場合も同様に敗退とすることが多いです。
反則行為については、安全に行えるように配慮し、事前に決めておく必要があります。

帽子を取ろうとしている時に指が相手の目に入るなどのリスクがあるので、そういった
事態を防ぐために頭の上から帽子を取ろうとすることを義務付けたり、
騎馬隊が相手チームの騎馬隊を攻撃することを禁止したりといった反則行為を
明確にしておきましょう。


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 〜豆知識〜

○騎馬戦の歴史○

イギリスから海軍に伝わったアスレチックスポーツが運動会の起源と言われており、
その後に広く大衆に伝わり、明治時代に自由民権運動を行う人々が騎馬隊で行う競技を
行っていたことが現在の騎馬戦に繋がったと考えられているようです。
 
騎馬戦はルールがシンプルで、大掛かりな道具を必要としないため、日本中の
運動会で行われるようになりました。しかし、現在では騎馬戦のケガのリスク
などが問題視されたこともあり、子供向けの運動会で種目として採用されることが
減少しています。


〇騎馬戦の意外な起こり〇

明治時代、国会がなかった日本は国会を開くことや憲法を作ることを主張した政治運動
すなわち「自由民権運動」を行っていた志士達により創り出された競技です。
当時は政府の力が強かったため、自由民権引導運動が激しく弾圧された時代で
政府に反対する自由民権の志士達は意見を堂々ということができず、街中で演説
することやデモ行進、集会を開くことも法律で禁止されていました。

そこで、自由民権運動の壮士達は、自分たちの主張をどのようにして聞いてもらおう
かと考え、運動会に目を付けたのでした。「最近流行の運動会をするのならば
演説でもないし、デモでもないから弾圧されないだろう、壮士運動と称するイベントを
開催し、そこで政権争奪騎馬戦『自由の旗奪い合い』といった競技を創り出そう」と考えました。

騎馬戦は「誰が政治のリーダーになるか」
を競う姿をゲームにしたものであり、競技にまぎれて彼らの言い分を国民に
伝える為のものだったのでしょうか。



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〜騎馬戦〜





(画:鎌田博文氏)



(画:菅野孝雄氏)

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