上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1330回普段着のとかちミーティング


開催日 令和2年12月28日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[194]
     −足寄町立中足寄小学校−
      (1907〜2000)

 ≪あゆみ≫
■明治40年 8月3日、足寄簡易教育所所属足寄特別教授場として開校。
■大正05年 11月22日、中足寄教育所と改称。
■昭和16年 4月1日、中足寄国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、中足寄小学校と改称。(学制改革、6・3・3制)
■昭和40年 10月9日、校章(帽章)制定。
■昭和51年 6月18日、校歌制定。
■平成12年 3月31日、閉校。4月1日、(新)足寄小学校へ統合。

 中足寄小学校の沿革史には、最初に明治12年の出来事が登場する。そこには「釧路より細川繁太郎氏が中足寄に移住し足寄町発祥の地となる」とある。その後の地域の様子はこの沿革史から知ることはできないが、他の学校と違うのは『鹿の立場』である。
 中足寄小学校の高学年生はこの場所には必ず遠足で行くらしい。閉校記念誌のタイトルも「しかのたちば」である。
 そこは、校舎の窓から見える山並みのほぼ中央にあるくぼみをいう。そこは“鹿が雨宿り”をするところらしい。閉校記念誌には、西村裕一氏の名前で「鹿の立場よ」の詩が紹介されている。
 《遥かなる鹿の立場よ 学舎の窓から見える山並みに 雄々しく聳える鹿の立場よ 小さな足で山肌を踏みしめ お前の懐に抱かれた時 岩に刻まれた父ちゃんの名を見た 遥かなる鹿の立場よ 我が心の学舎ここにあり》というものだ。西村氏が誰かは分からないが、詩を読む限りでは卒業生だろうか。
 しかし、『鹿の立場』の「立場」とは、そのまま鹿目線ということか。その表現にロマンを感じるではないか。実にいい話である。

(文責:上野敏郎)
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足寄町立中足寄小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



足寄町立中足寄小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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