上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1333回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月8日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[197]
     −陸別町立勲別小学校−
      (1911〜1968)

 ≪あゆみ≫
■明治44年 7月11日、足寄教育所付属勲別特別教授場として開校。
■明治45年 淕別(りくんべつ)尋常小学校付属に変更。
■大正05年 足寄郡利別尋常小学校所属に変更。
■大正08年 3月、淕別尋常高等小学校所属に変更。
■昭和12年 3月、勲別尋常小学校に昇格。
■昭和16年 4月1日、勲別国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、勲別小学校と改称。(学制改革)
■昭和48年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。

 勲別地区の開拓は明治41年頃から入地者が増え始めている。同44年特別教授場の開校時の児童数は一人。小林市蔵先生が嘱託教員で赴任しているが、先生一人、生徒一人の学校づくりを決断した当時の関係者には頭が下がる。
 この数が大正8年には20人、昭和に入ると49人と増える。昭和9年の児童数は89人と在籍記録が残っている。
 しかし、閉校一年前の昭和47年4月1日の在籍児童は9人。それでも、子どもたちは学校が好きだった。その年の総授業日数は242日、児童の出席率は99,84%である。
 校章の記録は不明。校歌も作詞者、作曲者、制定日は不明だが面白い発見をした。それは、勲弥小学校の校歌2番、3番の出だしは「阿寒岳を望みつつ〜」「父母の拓いたこの里に〜」となっているのだが、勲祢別小学校の校歌と良く似ているのだ。ひょっとしたら、二つの学校の校歌の作詞者は同一人物ではと根拠もなく邪推している。

(文責:上野敏郎)
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陸別町立勲別小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



陸別町立勲別小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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