上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1335回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月15日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[199]
     −陸別町立苫務小学校−
      (1921〜1975)

 ≪あゆみ≫
■大正10年 4月8日、陸別尋常高等小学校付属苫務特別教授場として開校。
■昭和16年 4月1日、苫務国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、苫務小学校と改称。(学制改革)
■昭和28年 9月23日、陸別町立苫務小学校と改称。(町制施行)
■昭和50年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。

 苫務地域の開拓は明治43年から始まる。開拓当初、この地域の子どもたちは本別村の斗満小学校に通っていた。町史には、「委託して」通っていたとある。
 大正10年、地域の編田久作氏が所有する建物を借りそれを改修し仮校舎を完成させている。その時の学校の職務代理者は編田久次郎氏、土地提供者の関係者だろうか。
 児童数の記述を見ると、大正11年には18人、同13年には55人と急激に増えている。2年間で開拓者が増えたとの記録はないが、とにかく3倍に増えたのだが、昭和50年には在校生6人と激減している。当然住民は学校の統合を考えることになる。上斗満小学校か中斗満小学校かと迷うのであるが、スクールバスを使っての陸別小学校を選ぶ。
 54年間の苫務小学校には15人の校長先生が赴任している。校章の記録はない。校歌はあるが制定日は不明。

(文責:上野敏郎)
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陸別町立苫務小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



陸別町立苫務小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。