上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1337回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月20日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[201]
     −陸別町立上斗満小学校−
      (1916〜1986)

 ≪あゆみ≫
■大正05年 2月7日、中川郡上トマム特別教授場として開校。(本別村)
■大正10年 4月1日、上斗満尋常小学校に昇格。
■昭和16年 4月1日、上斗満国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、西足寄郡立上斗満小学校と改称。(学制改革)
■昭和24年 8月1日、淕別(りくんべつ)村を陸別(りくべつ)村と改称。
■昭和25年 4月1日、西足寄村が西足寄町に昇格。
■昭和26年 4月1日、西足寄町斗満地区は陸別村に編入。
      陸別村立上斗満小学校と改称。
■昭和28年 9月23日、陸別村から陸別町へ昇格。(町制施行)
      10月1日、陸別町立上斗満小学校と改称。
■昭和38年 12月12日、校歌制定。
■昭和40年 8月24日、校章制定。
■昭和61年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。

 上斗満小学校の最初の校舎は本別村に所属する位置だった。中川郡本別村大字本別村字トマム南3線89がその場所。創立は大正5年2月7日だ。 校舎建築完成は4月11日となっている。53坪の大建築だった。工事費は59円16銭で全額部落が寄付金で負担している。労賃が一日70銭の時代のことである。 上斗満校開校50年記念誌にはこんな記述がある。「上斗満の人々の悩みは子弟の教育の問題であった。朝に星をいただき、夕に霜をふんで終日労働のかたわら、人々はほのゆれるランプの下に集まって、今宵も学校を教育をと相談したのであろう。陳情と交渉と下しらべと、段どりはつづいた。汗とほこりと疲労の人々の、破顔一笑と安堵のすがたが目のあたりに浮かぶのである。もっこをかつぎ、馬も出て、竣工までのいっさいを或は出役作業によって学校はようやく出来上がったのである。〜」と。 語り部の声が聞こえるような臨場感を感じてしまう。

(文責:上野敏郎)
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陸別町立上斗満小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



陸別町立上斗満小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。