上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1338回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月22日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[202]
     −陸別町立中斗満小学校−
      (1911〜1997)

 ≪あゆみ≫
■明治44年 9月8日、中川郡本別村第六本別尋常小学校付属斗満特別教授場として開校。
■大正05年 5月8日、中川郡本別村斗満尋常小学校に昇格。
■大正10年 4月1日、中川郡西足寄村斗満尋常小学校と改称。(本別村から分村)
■昭和16年 4月1日、中川郡西足寄村斗満国民学校に改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、中川郡西足寄村立斗満小学校と改称。(学制改革)
■昭和26年 4月、足寄郡陸別村立中斗満小学校と改称。
■昭和28年 9月23日、足寄郡陸別町立中斗満小学校と改称。(町制施行)
■昭和36年 9月8日、校歌制定?。(開校50周年記念式典挙行)
■平成08年 3月31日、閉校。4月1日、陸別小学校へ統合。

 陸別開拓史「開拓のあけぼの」は、陸別地区の学校のはじまりを紹介している。その紹介文を下敷きにしながら中斗満小学校の開校当時を記録に残すことにする。
 明治41年、大谷派説教所を創立するために世並信常氏が中斗満に移住した。氏はすぐに斗満寺で寺子屋を始める。しかし、寺子屋の規模では増え続ける移住者の子弟教育には間に合わなくなる。
 地域住民は、教育効果の上がる学校づくりに行動を起こす。何度となく集会を重ね、当時の戸長今村政吉氏の協力を取り付け、伊部国吉氏から六反部の土地の提供を受ける。
 その土地に12坪の教室と4、5坪の事務室兼住宅をつくるのであった。みんなが家から麦や豆を持ち寄って資金づくりをしている。屋根はガンビの皮で手作りだとある。
 先生は、当時配達の仕事を生業にしていた扇桝米吉氏を口説いて雇用した。児童は22人。こうして斗満特別教授場は開校している。凄い、感動的な話である。

(文責:上野敏郎)
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陸別町立中斗満小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



陸別町立中斗満小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。