上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1339回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月25日(月)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[203]
     −浦幌町立常盤小学校−
      (1921〜1966)

 ≪あゆみ≫
■大正10年 4月1日、中川牧場事務所に仮教室を設置し授業を開始。
■大正11年 3月1日、常盤特別教授場と改称。
■大正13年 4月1日、浦幌村立常盤尋常小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、常盤国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、常盤小学校と改称。(学制改革)
■昭和29年 4月1日、浦幌町立常盤小学校と改称。(町制施行)
■昭和34年 4月1日、浦幌小学校常盤分校に変更。
■昭和41年 3月31日、閉校。4月1日、浦幌小学校へ統合。

 常盤小学校に関する記述は少ない。よって、その背景を知ることは難しいが、昭和24年発行の浦幌村五十年沿革史の《あゆみ》にあるように、下浦幌西1線5番地の中川牧場事務所に仮教室を設けたのが始りだ。ここでいう「中川牧場」とは、浦幌開拓に貢献した「中川北松」氏が所有する牧場をいう。
 中川氏は、福井県人である。氏は明治28年に北海道の道南にある知内村に入植していたが、十勝平野に魅力をおぼえ明治32年に浦幌にある熊谷農場の管理人となる。熊谷農場はその当時、浦幌三大農場の一つに数えられていた。
 その熊谷農場はその後何度か主(あるじ)を変えるが、大正7年8月23日中川氏が場主となる。氏は地域の人望を一心に集める人物だった。当然多くの公職を持つことになるが、それを支える妻あきもできた女房であった。あきは、家のことは心配せず地域ために働けと夫を励まし、なおかつ自分も地域の若い女性に作業着や股引(ももひき)等の縫い方などを教えている。
 常盤小学校の創立とその足跡は、誇るべき浦幌開拓者と強いつながりがあることを忘れてはならない。校章、校歌の記録はない。

(文責:上野敏郎)
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浦幌町立常磐小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



浦幌町立常盤小学校 新聞記事
(北海道新聞 昭和年9月)

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