上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1341回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年1月29日(金)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[205]
     −浦幌町立上常室小学校−
      (1948〜1969)

 ≪あゆみ≫
■明治42年 4月1日、上常室特別教授場として開校。
■明治43年 9月2日、第三浦幌尋常小学校付属上常室教育所と改称。
■昭和10年 3月、上常室小学校と改称。
■昭和16年 3月、廃校。
■昭和19年 4月1日、常室小学校付属上常室分教場として再発足。
■昭和23年 3月、上常室小学校と改称。
■昭和44年 3月31日、閉校。4月1日、常室小学校へ統合。

 浦幌町百年史には、上常室小学校の初代校長は昭和23年3月から同35年4月まで在職の榊原軍佑先生とある。そして、昭和41年4月から同44年3月までの第三代校長斉藤正光先生を最後にしている。
 とにかく説明資料が少ない。上常室小学校が閉校に至るまでを語るためには、それ以前の地域の足跡もつぶさに調べることが必要だとも考えるが、百年史にある短い文章だけでは様々な関連性を十分に知ることはできない。
 しかし、例え途中でその関連性が途切れようともここでは大した問題ではない。したたかに子どもたちの教育の場づくりに取り組んだ地域の熱意が伝わればいい。
 明治42年、清水治郎右衛門氏が所有する物置小屋を改造して教場と教員住宅をつくっている。ここに至るまでの道のりはそう平坦ではなかった。大きな障害を何度も乗り越えてくれた先人の働きに感謝しなくてはならない。
 常室一帯の区割りが完成したのは明治29年、電化化は昭和23年の秋の完成である。そして当時この地区には乳牛は3頭、馬は26頭、綿羊は12頭が飼育されていた。このことを忘れないことにしよう。
 校章と校歌の記録は不明。

(文責:上野敏郎)
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浦幌町立上常室小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



浦幌町 町章
(文字&画:鎌田博文氏)

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