上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1360回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年3月17日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景[224]
     −浦幌町立厚内小学校−
      (1902〜2016)

 ≪あゆみ≫
■明治35年 4月1日、十勝郡大津村に厚内簡易教育所として開校。
■大正06年 12月20日、十勝郡厚内尋常小学校と改称。
■昭和08年 4月1日、十勝郡厚内尋常高等小学校と改称。
■昭和16年 4月1日、十勝郡厚内国民学校と改称。(国民学校令)
■昭和22年 4月1日、大津村立厚内小学校と改称。(学制改革)
■昭和30年 4月1日、浦幌町立厚内小学校と改称。(町村合併)
■昭和36年 3月24日、校章、校歌制定。(第53回卒業式挙行)
■平成28年 3月31日、閉校。4月1日、浦幌小学校へ統合。

 厚内小学校の沿革資料によれば、厚内とはアイヌ語で「ライヒヨウの木が沢山ある」という意味だ。ライヒヨウの皮はアイヌ民族の衣類で有名なアッシ織の原料である。
 もう一つ、アイヌ語の「アプナイ」が原称で意味は「釣り針・川」だとする説もある。どっちが正しいかは大した問題ではない。ただ、この木の皮は、本州に送る乾燥させたニシンを束ねるときに使っていたことは確かである。アイヌの暮らしを通して夫々の知恵の交流は古くからあったことになる。
 簡易教育所の大きさは12坪、千葉辰平氏の寄贈によるものだった。この最初の学び舎の位置は十勝郡大津村大字十勝村字厚内大通12丁目19番地。
 そして昭和40年4月1日、この大津村が3分割され十勝村は浦幌町に編入していく。
 校旗と校歌は、昭和36年3月24日の卒業式に合わせて同窓会から寄贈された。校章の明示はないが、校旗には必ず校章があることからこの日を制定日とした。間違っていたら、訂正したい。

(文責:上野敏郎)
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浦幌町立厚内小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



浦幌町立厚内小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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