上野敏郎の
         上野敏郎の今週のコメント

第1385回普段着のとかちミーティング


開催日 令和3年9月22日(水)
話 題 とかち・消えた学び舎の風景
     −上士幌町立糠平小学校−
      (1941〜2020)

 ≪あゆみ≫
■昭和16年 温泉宿を仮校舎として糠平国民学校(糠平小学校の前身)の開校式を挙行
■昭和18年 糠平市街と旧糠平駅の中間に新校舎完成
■昭和22年 上士幌村立糠平小学校と改称(六・三制の発足)
■昭和29年 上士幌町立糠平小学校と改称(4月1日町制施行)
■昭和30年 新校舎完成⇒糠平ダム建設に伴い校舎が水没
■昭和32年 校歌制定(作詞は第6代佐々木正夫校長)
■昭和51年 三俣小学校が閉校し、糠平小学校へ統合
■令和02年 閉校⇒上士幌小学校へ統合  

 糠平は、東大雪地域の玄関口。この地域に昭和16年9月5日、20坪ほどの温泉宿(加藤温泉)の一角を仮校舎として糠平国民学校が開校。児童数17名。それにしても、学校の始まりが旅館というのは全国的も珍しいのではないか。そして、新校舎ができたのはそれから2年後である。  
 糠平小学校は、もう一つ他の学校ではなかなか見つからない校史を持つ。それは、開校して2年が過ぎてようやく完成した学校が、わずか12年後には湖の底に沈むことになるのである。糠平ダムの建設がその理由だが、子どもたちや地域住民の心境は想像を絶するものであったはずだ。  
 児童数のピークは昭和29年頃の80余人、それが昭和50年代に入るとその数は40人余りとなる。そして10人台となり、閉校時は2人であった。 しかし、この学び舎を巣立った子どもたちは300人を越す。正に、校歌にあるように母校糠平小は「わが徳磨く 母のひざ」なのだ。

(文責:上野敏郎)
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上士幌町立糠平小学校 校舎
(画:菅野孝雄氏)



上士幌町立糠平小学校 校歌
(文字&画:鎌田博文氏)

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  上野敏郎へのメールの宛先はt-ueno@octv.ne.jpです。