占い学概論1(クライアント編)

第一章 『占い』とは?

 2011年9月の現在。
 日本には『占い』や、『占いに類するモノ』が溢れている。

  朝起きてテレビをつけて見れば、殆どの局において、占いのランキングをやっている。
 朝食を食べながら朝刊を読んでみれば、星座毎の今日の運勢が書いてあったりもする。
 通勤列車に乗る前に、構内のキヨスクで雑誌を購入。
 やはり運勢が載っている。
 お昼休みにちょっと街を散歩すると、姓名判断・運勢鑑定などの看板を見つける。
 仕事が終わって帰る。
 暗くなり始めた帰宅路に辻占い師を見かける。
 ちょっと本屋に立ち寄れば、占星術やら四柱推命やらタロットやら、そう言った占い関係のコーナーを見かける。

 なるほど。
 険しい時代の中、確かに、自分がこれから辿る未来を知ることが可能ならば、それはどんなに便利な事だろう。
 人の人生、一寸先は闇。何かしら転ばぬ先の杖が欲しいものだ。

 人間の歴史を顧みても『占い』に関する需要が絶たれたことは無く、それどころか『占い』が国家を動かす時代さえもあった。
 人間個人と言う単位に限らず、家族に会社に国家そのものが、『占い』に対して需要を持ち続けていたのだ。
  『占い』は人間と共に歴史を持ち、今に至り、恐らくこれからも人間がある限り『占い』も存続し続けるのだろう。
 そして進化もし続ける。

 結局の所『占い』とは何なのだろうか?
 何故『占い』で、人の辿る未来を知ることが出来るのか?
 科学の進化によって、人は多くの【便利】を勝ち取り、かつての時代に比べて、豊かになったはずである。
 それでも尚、【占い】が求められるのは、どのような理由からなのだろうか。

 その問いには、平易に答えられるモノでは無い。
 個人の価値観によっても、その答えは変わって来るだろう。
 しかし、この問いについて改めて考えるのは、【人】と【占い】との有益な関係を求める上で、とても重要な事であろうと考える。

【自分にとって、占いとは何なのか?】

第二章 占い師とは

 『占い』を行う人間をの事を、主に『占い師』と呼ぶ。
 占者とも言う。
 また扱う占いの体系によって名前が違ってくることもある。
 星占いをする人は『占星術師』と呼ばれるし、易の体系を扱うなら『易者』と呼ばれる。
 ともあれ彼等は『占い師』である。

 彼等『占い』を行う人達には『未来』が、あるいは彼等が知るはずの無い『事実』が見えているのだろうか?
 残念ながら、そう言う事では無い。
 『占い師』には未来は見えないし、知るはずの無いことは当然知らない。
 それこそ『占い師』の『占い師』たる所以である。

 未来を見る能力を持つ人間を『予見者』又は『予知能力者』と呼ぶが、『占い師』は、これらの人々とは全く違った分野に属する。
 『予見者』や『予知能力者』は、個人の特性としての『能力』を持つ人々で、それは先天的な才能である場合が多い。

 しかし、単純に『占い師』と呼ばれる人達は、そう言った『特殊な能力』を持つ存在では無い事が多い。
 元来、特に変わった事の無い平易な人間。

 『占い師』は『未来を見る力』を持っている人間では無く、正確には『未来を予測する技術』を持っている人間なのだ。
 その技術体系が、例えば占星術だとか、易学、タロット、四柱推命以下多くの占いの技法なのである。
 『能力』は、個人に由来するモノであって、修練したからと言って、必ずしも習得出来るとは限らない。
 しかし『技術』は、個人に由来するモノでは無く、原則的に、修練すれば多少の個人差はあれ、誰にでも習得可能である。

 この『能力』と『技術』の差は大きい。
 特に、『未来を知る』と言う意味で言えば、『占い師』達は、本物の『予知能力者』達に、勝つ事は出来ないのである。

 そもそも『占い師』は、『未来を知る』のでは無く、『未来を予測している』に過ぎず、その予測は、技術力や経験の差によって、随分と精度が異なって来るのだ。

 稀に、『予知能力』を持った『占い師』も存在する。
 この場合、どちらに分類するか迷う所であるが、『知る』と『予測する』の差から考えれば、『予知能力者』に分類すべきなのかも知れない。

 『予知能力』が、本当に存在するかどうかについては、私も確信を持っていない為、言及する事は避けざるを得ない。
 個人的な意見としては、『存在するだろう』と信じているが、これはあくまでも個人的な見解であって、その見解自体、客観的に正しいと言う自信を持っている訳では無い。

 稀に、占い師の前に来て『私の悩みを当ててみろ』と言う人がいる。
 これは、難しいお題だ。
 恐らくそのお客さんは、『占い師』を『超能力者』か何かと勘違いしているのだろう。
 技術屋の占い師としては、困った事態なのだが、しかし、そんな勘違いが存在するのも致し方無いような気がする。
 先に述べたように、占いの歴史は長いにも関わらず、占いそのものに対する理解は、それ程高いとは言えない。
 確かに、ただ単に鑑定を依頼しに来たクライアントに、占いに関する専門知識は必要ない。
 『占い師』と『超能力者』の区分け等、知らなくても日常生活に支障は無い。
 しかし、安全に鑑定を受ける為になら、占いに関する基本的なシステムは分かっていた方が良いのも確かだ。

 クライアントとしてまず知っておきたい事は、『占い師』とは『予見者』でも、『超能力者』でも無いと言う事である。

第三章 システム概論

 『占い師』が知るべき『占術そのものに関する知識・技術』に比べれば、『占われる人』が知っておくべき知識はそう多い訳では無い。

 ここでは『占われたい』と思いながらも、『占い』と言う怪しげな分野に不信感を持っている人の為に、『占い』に関する簡単なシステムを紹介しよう。

 『占い』には問題やテーマを決めて、その詳細を探るタイプと、占者の前に座るなり、全体的な運勢を占われるタイプとがある。
 前者は何て事も無い。その占いとは、ある種の気象予測である。
 気象予測は、過去の莫大な気象情報を蓄え、それをスーパーコンピュータで解析・シミュレーションを行うことで予報を行う。
 なので、情報量が大きな鍵となる。
 つまり、10年前の予報より、今の予報のほうが正確であり、さらに10年後の方がモット正確になるだろう。

 『占い師』の場合は、自分の持っている知識と経験、依頼者から聞いた情報、そして自分の扱っている占術体系で得た情報を用い、その頭で緻密なシミュレーションを行うのである。
 勿論そのシミュレーション結果は、占い師の技量によって精度が異なって来るが、技量の高い占い師ともなれば、まさしく予見とも思えるほどの答えを導き出したりもする。
 但し、この手の占いには依頼者の協力が不可欠となる。
 と言うのも、例えばタロット占いの場合等は、出現カードに多くの意味情報があり、その中から問題に関わる情報を取捨選択しなくてはならない。
 その取捨選択をするには、依頼者からの具体的な情報が不可欠なのだ。
 予言者では無い占い師が、何も無いところからポーンと答えを出してくれる事は無い。
 極希に、占い師の抽象的な一言が、依頼者の芯をつくこともあるが、これは特別な場合だけなのだ。

 さて後者についても触れよう。例えば手相や顔相などを見る占いは、問題をクローズアップした占いでは無く、全体的な運命を鑑定するタイプである。
 例えば生命線を見て、寿命が長いとか短いとか、目つきを見て性格が冷たいとか人情家とか。
 これら相学については、生理学的な意味合いを持つ場合が多い。
 例えば手は、人間が生活する上で最も使用頻度の高い個所である。
 そこには個人の生活スタイルが刻み込まれ、また体調・健康ですら手にも現れる。
 不健康な人は手が荒れ、力仕事をしている人は堀が深い線を持ち、繊細な仕事をしている人は手が綺麗であり、不精な人は爪が伸びている。
 手相や顔相は、そう言った生理的な根拠に加え、過去その体系が積み重ねてきた検証結果があるのだ。
 勿論、『占い』と言われるオカルティックな分野特有のシステムもあるのだが、今ここでは扱わない。

 ともあれ『占い』とは、怪しげな電波系統で成り立つ代物では無く、検証すれば、その一部において、科学的とも見えるシステムによって成り立っているのである。
 占い師はその学問・技術を習得した者であり、いわゆる技術者なのだ。
 占いに関するもっと詳しいシステムについては、もう少し先で扱うことにしよう。
 この段階でも『占われる者』としては『占い』に対する不信感は、多少ながらも和らぐものと思う。

第四章 クライアントの心構え

 第三章を踏まえて、占い師を前にした依頼者=クライアントの心構えを述べてみよう。

 占い師とは、クライアントにとって『誰でもない人』である。
 つまり、身内では無い。
 かと言って、依頼者と鑑定者と言うスタイルを取る以上、もはや赤の他人でも無い。
 場合によっては、対面する人ですらない。

 家族や友人など、普段コミュニケーションのある人が占い師であり、その占い師に鑑定をお願いに行くのなら別だが、大抵のクライアントは占い師とは身内では無いはず。
 しかし、鑑定をお願いする段になると、既に全くの赤の他人では無くなる。
 商取引としてサービスと報酬の相互関係があり、占い師とクライアントは契約を結んでいる状態になるからだ。
 この微妙な立場が、占い師としての力でもある。
 人の持つ悩みとは微妙なもので、身内に言えても他人には言えない悩み、逆に身内にこそ言えない悩みがある。
 そんな時にこそ、占い師と言う独特の立場が役に立つ。

 占い師は身内では無いので、身内にこそ言えない悩みを聞いてもらえるし、占い師は占いにより問題解決の手伝いをするという義務を負ったのだから、他人に言えない悩みも聞いてくれる。
 更に例えば、身内にも他人にも言えない、自分で抱え込まなければ行けない悩みも存在する。
 それも占い師に相談して良い。
 占い師は『誰でもない人』であり、クライアントは占い師の目の前に居ながら、まるで独り言のように悩みを呟いても良いのだ。
 自らの立場を理解している善良な占い師はであれば、その独り言を丁寧に聞いてくれる。
 自分の悩みを言葉にする事で、今まで気が付かなかった自分の気持ちが分かる事もある。
 また、自分自身で問題の整理ができ、それだけでも随分とクライアントの重みは軽くなる。

 占い師にはどんな悩みも相談して良い。
 これが前提なのである。

 勿論、その悩みを解消できるかどうかは占い師の力量によるのだが、クライアントは気負い無く占い師と対面しよう。
 これが心構えその一である。

 クライアントは、積極的に【占い】に参加しなくてはならない。
 具体的な答えが欲しいなら尚更で、抱えている問題に関する情報を占い師に伝えると良い。善良な占い師なら、その一つ一つに丁寧に耳を貸すだろうし、それに伴って答えやアドバイスは具体的になっていく。
 また、賢い占い師なら積極的に色々な質問をして、対話式に占いを進めてくれるだろう。但しこれは、扱う占術体系によって、多少は異なる。
 逆に、占い師がペラペラ一方的に喋り、クライアントが何の事やら理解しないうちに占いが終わってしまうようなら、それは悪い占い師だ。

 占いとは、クライアントと占い師の共同作業なのである。
 これが心構えその二である。

第五章 占いは当るのか

 心構えその三は、占いが当るかどうかについてである。
 勿論当らなければ意味が無い。その為の占いである。
 しかし、我々占い師は【答えを知る人間】では無い為、残念ながら必ずしも全てを当てる事が出来るとは言えない。これは、偽りようの無い事実である。

 また、必ずしも当れば良い訳でも無い。

 この点について疑問に思われるかも知れないが、こんな例えがある。

 占いの結果、クライアントは三日後に車に轢かれると出た。
 そして三日後にクライアントは車に轢かれた。
 これは喜ばしいことだろうか?
 『占いが当った』と言って喜ぶべきだろうか?
 勿論答えは【NO】である。

 そもそも占いとは、未来を予測し、その予測が悪いものであるならば、それを回避する方策を導き出すのが仕事でなのである。
 上記の例えの場合、確かに占いは当っているが、しかし回避の方策を考慮していなかったところを見て、占い師は職務を怠っていると言える。
 自らの職務を理解している占い師は、鑑定の結果悪い未来が予測されても、考え得る限りの回避法を教えてくれる。
 その結果、その問題が回避され、ある意味では占いが当らなかったように見えることもあるだろう。
 勿論、良い未来が予測された場合、ストレートに当ることが望ましい。その際占い師によっては、良い未来をより良くするためのアドバイスや、障害を退ける方法などを教えてくれる人もいる。

 つまり、心構えその3は、【必ずしも占いは当れば良いと言うモノでは無い】と言うことである。

第六章 【占い】【占い師】を信じるべきか

 結論から言えば、信じる必要は無いし、無暗に信じるべきでは無い。

 【信じる】と言うのは、少なくともその時、その場において、それが【真実であるかどうか】が解らない際に、その【証明し得ない事】を根拠無く受け入れる事を意味する。
 世の中には、様々【証明し得ない事】が存在し、時に信じるべきモノが存在するのも確かである。
 例えば、家族や友人関係、恋愛関係において、相手を信じる事は大切だろう。
 特定の信仰を持つ人であれば、その宗教体系に伴う教義や神仏を信じるのも大切である。
 しかし、そう言った【信じて良いモノ】の中に、【占い】【占い師】は分類されるべきでは無いと考えている。

 そもそも、【占い】や【占い師】を信じて、何の意味があるのだろうか。
 【占い】を信じなければ、占いは当たらないと言う主張も有るが、信じる・信じないで占いの結果が左右される事は、殆どの場合で有り得ない。
 【占い】の結果は、クライアントや占い師が信じようが信じまいが、当たる時は当たるし、外れる時には外れる。
 そう言う意味では、とてもドライな代物なのだ。

 逆に、【占い】を無暗に信じてしまうと、その時点で思考の幅が狭くなり、可能性を閉ざしてしまう事が有る。
 クライアントの未来には、様々な可能性が広がっているのだ。それを無暗に閉ざしてしまって良いはずが無い。

 また【占い師】を信じると言うのも、危険が多い。
 鑑定業をしていると、【先生】と呼ばれる事が有るのだが、これも良く無い。
 我々占い師は、占術を真摯に学び、技術に磨きを掛け、様々な経験を積み重ねているものだが、だからと言って、人様に人生を説く程ご立派な人間では無い。
 我々は、クライアントと同じ人間だ。
 クライアントと同じように人生に苦悩しつつ、人生と取り組んでいるのである。
 だからこそ、クライアントと悩みを共有しつつ、相談に乗る事が出来るのだ。
 人間には、常に欠けた所が存在する。
 占い師も例外では無い。

 【占い師】を信じるのは、人間としての未熟さを備える以上、危険な事である。
 また【先生】と呼ぶ程の存在では無いし、【先生】と呼ばれる事により慢心するのは、何としても避けるべき事である。

 では、【占い】をどのように捉えるべきか。【占い師】とどのように向き合うべきか。

 【占い】は、信じるべきモノでは無く、上手く使うべきモノと考える。
 【占い】とは、結局の所、それを用いる人にとって【有益】である事が大切なのだ。
 占いの結果を無暗に信じるのでは無く、自分の悩みや人生と取り組む上で、判断材料として有益に用いる事が出来れば充分。
 どんなに信じても、上手く使う事が出来なければ意味は無いし、信じていなくても、上手く使う事が出来れば良い。
 大袈裟に言えば、全く当たらない占いであっても、自分の取り組みに有益に働くのであれば、その価値は有るのだ。

 【占い師】は、【占い師】である事を理由として信じてはいけない。
 むしろ、【占い師】である事を理由とするならば、信じてはいけない。
 それよりも、その【占い師】をしている人間が、信頼するに足る人柄であるかを考えるのが重要だ。
 その【人間】が、信頼出来るかどうか。

 占い師も相談者も、この二点を心に留めておいて欲しい。

 【占い】は、信じるモノでは無く、上手く使うモノである。
 【占い師】は、信じるべき存在では無く、その人間が【信頼】出来るかどうかが重要である。

BACK TOPへ・・・