占い学概論3(占い編)

第一章 占いの型

 占いと大きく絡げてみても、その内容は実に様々で多くの分野に分かれている。
 例えば占いの型について注目すると、人が持つパラメータを基準に相を当てはめる占術、物の有り様をそのまま相として占う占術、偶然性を利用し相を導き出して読む占術の三つに大別できる。
 この場合の相とは、意味を持たせた象徴のことだと考えていただきたい。象徴についてはまた後程触れることにしよう。
 さて『人が持つパラメータを基準に相を当てはめる占術』とは、例えば占星術や四柱推命、暦、数秘術などの占いである。人の出生年月日や出生地などから算出し、その人に関係する相を導き出して占う。8月17日生まれの人は出生時に太陽が獅子宮に入っているので獅子座。獅子座とは、王者的性質を備え、プライドが高い。と言った感じに、個人のパラメータから相、相から個人の性質を占うのだ。
 『物の有り様をそのまま相として占う占術』とは、例えば手相・顔相・家相など、俗に相学と言われるものだ。物の有り様、姿形を観察し、相を見出し、そして性質を占う。手相を見るとして、生命線の上に島がある場合は危機を意味する相である。ある時期に命に関わるような病気になるなり、事故に遭うなりするだろう、と言った感じに、個々の特性となる形を相として占うのである。
 『偶然性を利用し相を導き出して読む占術』とは、タロットやルーン、筮竹を用いた易等の占いである。
 予め相を割り当てられている道具などをシャッフルし、ランダムに選出したものを読む占いがこの型にあたる。
 例えばタロット22枚+56枚は、1枚1枚が相を割り当てられたカードである。これを占者はシャッフルし偶然選出したカードを読むのだ。例えば『吊るされた男』を引いたのなら、苦難の時、成長のための修業、報われる努力、と言った感じに占うことになる。
 勿論、以上にあげた型が全てではなく、またそれぞれが統合された体系もある。
 さて、以上にあげた例から、占いとは相を読むことで共通していると分かる。そして、この相こそ占いのシステムを構築する核となっているのだ。

第二章 象徴論(相)

 前章で、占いとは相を読むことであると述べた。となると、相とは何であるかと言う問題があがる。
 相とは意味を持たせた象徴のことであると述べたが、これは説明の便宜上、ここでのみ有効な定義だと考えていただきたい。
 相とは姿、有様を意味する。その相を見た時、それが何を象徴しているのかを考えることが即ち『相を読むこと』になるのだ。では象徴とは何だろうか?
 象徴とは意味を持った、あるいは持たせた記号(印)のことだと言える。ここで簡単な象徴とその意味をあげてみよう。
 例えば白い鳩は『平和』を象徴する。(動詞表現)白い鳩は『平和』の象徴である。(名詞表現)黒い猫は『不吉』を象徴する。日の丸は『日本』を象徴する。×は『否定的要素』を象徴する。以上は何となく感覚的にも分かるものだろう。しかし、象徴は気が付かないところでもっと多用されている。例えば我々が普段使っている数字も象徴の一種である。0から9までの数字は、それ自体は単なる記号であり、そこに意味が付加されて始めて扱うことが出来る。即ち、0とは何も無いとき、無を象徴する記号であり、1は物が一つ有る時を意味する象徴なのである。文字全般は全て象徴である。『あ』は「あ」と発音することを意味する象徴、『男』は男性という性別を意味する象徴、名前はその人自身を指し表す象徴なのだ。
 象徴とは『無形である意味』と『有形である記号』を結びつける理論体系なのである。

 では、実際占い師達が扱う象徴をあげてみよう。西洋思想をベースに、杖・杯・剣・貨幣・サイコロ・袋・本・柱。幾何学図形であれば、円・三角・四角・十字。色も象徴の一種。以上にあげたのものは、占いや西洋思想で扱う象徴のほんの一部である。しかしこれらを見ても、占いや西洋思想などについて興味の無い人にはさっぱり分からないはずである。
 つまり象徴とは、『無形である意味』と『有形である記号』を結びつけ、尚且つそれを理解する者があって始めて成立するのである。よって占い師や西洋思想を扱う専門家達は、まずこの象徴について学ぶことが求められるのだ。

 さてこれらの象徴は、あるプロセスを経て生成される。
 まず一つの『有形である記号』を観測し、その物が持つ性質を探る。まずそれが一次的・直接的な象徴となる。次に、似たような性質を持つ事象・概念・物質を結びつけ、それを二次的・間接的な象徴とするのである。
 例えに西洋思想で良く用いられる象徴である『杖』で、そのプロセスを追ってみよう。
 『杖』とは『棒』である。『棒』は人間が一番始めに用いた『武器』・『道具』である。原初の道具。即ち、『文明』の『発端』となったものであり、同時期に『文明』の『発端』となった人間の道具が『炎』である。『棒』と『炎』は交わり、『松明』として成り立つ。『棒』は扱い方によって旅を輔佐する『杖』となり、時には人を傷付ける『武器』にもなる。これは『炎』も同じ事である。炎は空気を暖め、『上昇』気流をおこす。『炎』は『エネルギー』そのものの有様でもある。
 さて以上の記述のうち、『』で括られた部分が、『杖』の象徴する意味である。『杖』から直接的に得られる象徴的意味は、『棒』『道具』『武器』『文明』『発端』『松明』『炎』。間接的に得られる象徴的意味は『炎』から繋がり『エネルギー』『上昇』。
 『杖』という一つの象徴から、これだけ多くの意味が引き出せる。しかも、以上に記述した象徴的意味ですらごく一部なのである。他にも『意志』『熱意』『怒り』『父』『概念』『夏』『南』等など、次々と羅列されていく。
 一つの象徴に多くの情報が秘められており、更に象徴と象徴が互いに結びつく。これら象徴に格納された意味の解読、象徴の繋がりの研究、そして占い師等が新たに出会った事象を、象徴に割り当てていく作業が、その象徴とそれを扱うもの自身の体系を育て上げていくのだ。

 占い師達が扱っている体系、例えばタロットやルーン・占星術・易などには、その体系独特の象徴が既に用意されている。占い師はまずそれらを学び、先人が組み立ててきた象徴体系を受け入れる。その後に、その象徴に新たな意味や繋がりを見出し、体系を精錬していくのである。

第三章 象徴言語

 一つの象徴を眺めた時、それには多くの意味が含められているが、それはあくまでも単体であって、占い等で用いるのに適した形ではない。
 象徴一つは、言語学的に言えば単語である。ある事象を説明する時に、単語一つで象徴させる時もあるが、実際的には様々な情報の結び付きで語らなければならなくなる。即ち、何時・何処で・誰が・何故・何を・どのくらい・どのようにしたのか。
 占いには様々な体系があるが、総じて扱う象徴は複数であり、その象徴の結びつきで文章を構成することになる。例えば西洋占星術に関して言えば、惑星群・12室・12宮などの象徴を用い、その配置による関係性から読み解くのだ。月が巨蟹宮に入ったとすれば、情緒(月)が敏感(巨蟹宮)になると読めるだろうし、火星と木星がスクエアのアスペクトになったのなら、攻撃的性格(火星)と人情的性格(木星)が葛藤(スクエア)を起す、と読むことが出来る。
 即ち、象徴が複数出現し、関係性を結んだ時、象徴という単語が並び一文を構成するのである。時には名詞に、時には動詞に。
 タロットカードなどは、カード1枚に既に多数の象徴が組み込まれており、単語と言うよりは一文節を表していると言える。更に、象徴の意味を入れ替え、主語・述語などの順序を変えることで、カード1枚で多くの文節を得ることが可能になるのだ。そしてスプレッドを行い、文節を繋ぎ合わせ、一つの文章・一つの物語を読み出すのである。

 象徴で文章を作りだし、読み出すメリットは何処にあるのだろうか? わざわざ最後に言葉にするのであれば、普通に単語を書いたカードを使えば楽なのではないだろうか?
 これには勿論意味がある。現実的に考え、単語を書いたカードを用意するのは至難の業である。正に、国語辞書1冊分の単語カードを作らなければならなくなるからだ。
 しかし象徴を用いれば、国語辞書一冊はタロット大アルカナ22枚・小アルカナ56枚で充分に用が足りるのである。象徴一つに多くの単語が与えられている上、タロットカード1枚には多くの象徴が含められている。正に1枚が何ページ分にも匹敵するのである。実際、タロットカードは書物に例えられるほど、多くの意味を物語ってくれる。
 さてしかし問題もある。それだけの多くの意味を持つカードを、さらにスプレッドし読むとなれば、その情報量が膨大過ぎて占いとして成立しなくなる。そうした時、占い師はその情報を取捨選択し、必要な情報のみで物語を作る技量が要求されてくるのである。

第四章 偶然とは知られざる必然である

 六面サイコロを振ると、1から6までのいずれかの目が出る。サイコロを振る以前では、振った後に何の目が出るかは分からない。所謂『偶然』によって、ランダムに目が出るのである。しかし、サイコロを連続して10回振り、その度に同じ目が出現する可能性を考えてはどうだろうか? 単純計算でも『6の10乗分の1』60466176分の1の確率である。絶対とは言わないが、ほぼ確実に有り得ない現象である。
 偶然が支配しているような概念でも、よく考察してみれば数学的な作用があることが分かってくる。つまり、サイコロを10回振って連続して同じ目が出ないのは、『偶然』では無く『必然』なのである。
 世の中には全くの偶然ということは有り得ない。と言うのは、何か『結果』を得るからには、その『結果』をもたらす『原因』と、『原因』から『結果』に至るまでの『プロセス』が必ずあるからである。これを『因果律』という。
 人を殴れば怪我をする。勿論これは偶然ではなく必然である。それと同様に、サイコロを振り、1から6のいずれかの目が出ても、それは偶然ではなく必然なのである。
 これを分かり易く示したものが『偶然とは知られざる必然である』という言葉だ。または『知られざる因果律』と言い換えても良いだろう。

 さてその考え方は、占いのシステムにおける根幹の一つである。
タロットやルーン占いなどは『偶然性を利用し相を導き出して読む占術』である。タロットの場合、大アルカナ22枚+小アルカナ56枚=計78枚をシャッフルし、特定の枚数を展開する。その時特定の場所に出現するカードは、78分の1、正逆を考慮に入れると156分の1と言う、正に偶然にしか見えないものである。しかし占いとして扱う時、このカードの出現は『因果律』に基づいたものと解釈する。
恋愛に関しての鑑定依頼があったとしよう。それによってタロットカードを展開するわけだが、その時そこにカードが出現する『原因=理由』となるべきものが幾つかある。まず、クライアントが誰かに恋をした。そしてその恋を進展させるのに色々と思い悩む。最終的には占い師に相談をしようと考え、ある占い師のもとに訪れる。
そもそもクライアントが誰かに恋をしなければ、占い師は相談されカードを引くことは無かったであろう。恋をしても上手く成就すれば同じ事。成就しなくとも他の占い師の下に訪れればまた同じことである。しかし、原因から過程を経て、最終的に占い師はカードを引くことになるのである。これは偶然では無く、理由あっての必然である。その必然は出現するカードにも及んでいると考え、それによって展開されたカードとクライアントの問題が繋がるのである。
些か分かり難いかもしれないので、日本の有名な諺を引用しよう。
『風が吹くと桶屋が儲かる』まさにこれである。
この解釈は幾つかあるようだ。風が吹くと体が冷え、風呂屋に行く人が増え、風呂屋が使用する桶の注文が増える。結果的に桶屋が儲かる。
 以上のような原因‐過程‐結果の関係を、最大限に引き伸ばす。宇宙全体の運行。その端の出来事が、巡り巡ってその逆端まで影響を及ぼすと考えるのである。
 その理論から、占い師が用いる様々な象徴体系は、その影響力を観測する装置として成り立っているのである。

 自分が現在行っている行動は、それ以前の宇宙に原因を持っており、更に現在行っているその小さな行動は、今後の宇宙の変転に影響を及ぼす原因となるのである。
 驚くべきかな、現在地上に溢れている人類は、その始祖たる原人の男女一組によって発生したことからも、占い師という人間がその日にカードを引くという行動も、その人類の始祖が居たからこそと考えられるのだ。
 『偶然とは知られざる必然である』占いの理論に限らず、重要な言葉である。

第五章 オカルティックなシステム

 『オカルト』という語の和訳は余り知られていない。一般の人から見れば、この語句は怪しいことこの上ないだろう。しかしその内情は、一般の人が期待するほど奇怪ではないことの方が多い。要は神秘的学問における秘教的側面である。
 一般の人であっても、オカルティックな行動をしたことがある人の方が多い。例えば、神社に参拝すること、仏壇の前で手を合わせること。日曜日に教会へ礼拝をしに行くこと。葬式などに至ってはオカルトそのものである。
 最も我々の言うオカルトとは『秘教的側面』であり、神秘学問専門の学徒が学ぶ体系である。
 神とは如何なるものか。人とは如何なるもの。霊とは何ぞや。それを追究する、ある種に哲学的な体系とも言えるだろう。

 さて、占いもオカルトの一分野であるので、そこにはオカルティックなシステムと言うのも存在している。それを説明するのにわざわざ章を取ったのだが、ここでは説明しない。最早概論とは言えないレベルなので、それは別の場所で扱いたい。
 ただここでは、占いにはオカルト的・神秘的なシステムも存在していると言うことを知っていただければ幸いである。そしてそれは、決して現実社会とその生活を脅かすものではないこともお知らせしておきたい。

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