占学概論(その他)

第一章 運命論

 どのような占術を扱うにしても、【運命】の存在は、正に一大テーマである。
 そのテーマは【運命】の有無の是非から始まり、仮に【運命】が存在するとして、その正体を解き明かし、その性質を知り、その流れを見て、それそのものと取り組む方法論など、考察すべき所は尽きる事が無い。

 そもそも【運命】とは何だろうか?

 巷でよくまかり通っている【運命論】は、『未来は予め決まっている』と言う考え方である。
 しかしそれは本当なのだろうか?
 本当に『未来』は『予め』『決まっている』のか?

 その疑問に対する答えを簡単に出す事は出来ないが、あくまでも個人的な見解として、『未来』は『予め』『決まっている』と言う考え方は、半分は正しく、半分は誤っていると考えている。

 確かに『予め決まっており』『変える事が出来ない』部分も多いと思うが、もし全てが予め決まっているのであれば、そもそも【存在するもの】の意義が無くなる。
 予め全ての事の結果が知れているのであれば、わざわざその推移を見守る必要も無いし、始まる必要も、終わる必要も無くなる。

 結果が不確定であるからこそ、存在する事に意義があり、時間の存在に意義がある。
 存在と時間の関わりが【変化】を生じさせる。その【変化】の結果が決まっているのであれば、決して時間の存在は必要では無いし、同時に【存在するもの】も必要では無い。

 以上のような難しい事を考えないとしても、本当に【未来が予め決まっている】のであれば、占術で未来を知っても、それはただ知っただけであり、何の役に立つはずも無く、占術の存在意義までも無くなる。

 しかし占術は、人類が生まれた時に略同時発生し、そして今まで存続し続けている。
 それは、【運命】がある程度の不確定な要素を持っており、個人の行動如何によって調整出来ると言う事の、何よりの証拠なのでは無いだろうか?

 さて、では【運命】とは一体どう言うものなのだろうか?

 私は、【運命】とは【予定された流れ】の事だと考えている。
 【流れ】とは、一種の方向性であり、決して実際に起こる事象や結果の事では無い。
 物事が【予定された流れ】に沿い、それに従って推移するにしても、その流れの中で起こる事は、ある程度の不確定さを持っている。
 【運命】には、運命を背負う個体に対しての大きな影響力があり、結局は【運命の枠】の中で動く事になるのだろうが、その不確定さの幅によっては、個体の動きに応じて結果も異なって来ると言うのが私の結論である。

 また【運命】と言っても、人間の意識を超越した巨大なものが、たった一つドンと在る訳では無い。それは影響力の大小や、質の差異なども含め、相互影響がある複合的なものと考えるのが妥当だろう。

 目に見えない物の事を考えるのは、何とも難しい。
 しかし、私の知恵の及ぶ限り、以下の章を以って、少しずつ詳細に考察して行こうと思う。

二章 運命の勢力

 私が実際に鑑定を行なう際には、【運命の勢力】と言う言葉を好んで使用する。
 この【運命の勢力】には、特別強いものもあれば、それ程強くないものも存在している。また、質的な差異も存在し、その勢力が及ぼす影響力は、個々によって異なって来る。

 例えば、タロットで言うのであれば【大アルカナ(メジャーアルカナ)】が、【運命の勢力】を象徴するカードと言える。カードによって象徴する意味の差が存在する様に、その象徴する【運命の勢力】にも差が存在し、その勢力の影響を個体が受けて、固有の事象を巻き起こす。

 【運命の勢力】が【大アルカナ】であれば、【個体】は【宮廷札(コートカード)】であり、【事象】は【ランクカード(数札)】である。
 【事象】は何も無い所からポンと生まれる訳では無い。
 【運命の勢力】と【個体】がぶつかり合った点で、その過程、若しくは結果として【事象】が生まれると考えられる。

 【運命の勢力】は【勢力】であるから、その影響下にあるものを、ある方向性へグイグイと押し遣って行く。そして【個体】は、その【運命の勢力】との取り組み方によって、追い風を受けるようにグイグイと進むか、向かい風でありながらも、グイグイと押し返していくかをする訳である。当然、前者と後者では、起こる【事象】も異なって来る訳で、その取り組み方が良く作用するか悪く作用するかによって、吉凶が変わって来ると言って良いだろう。
 【個体】が【運命の勢力】に立ち向かって、グイグイと押し返していこうとしても、その【勢力】の強さによって、全く敵わない事も少なく無い。しかし、相手がそれ程強く無いのであれば、意外と簡単に克服出来る事もある。

 例えば、太陽系の中を回転するコマのような存在である地球。この地球の自転を、一人の人間が止めようとしたり、回転を逆にしようとしても、まず敵わない話である。
 しかし、普通の子供が遊ぶコマの回転であれば、容易に止める事も、回転を逆にする事も出来る。

 それと全く同じとは言わないが、【運命の勢力】にも大小・強弱が存在しているのだ。
 弱く小さな【運命の勢力】は、狭い範囲で短時間に帰結する傾向がある。
 逆に強く大きな【運命の勢力】は、広い範囲で長時間に亘って作用し、収束して行く傾向がある。人間を始めとした個体は、さまざまなバリエーションの【運命の勢力】と接し、その中に【事象】を誕生させて行くのである。

三章 運命の三つの要素

 これから紹介する考えは、占い師のユウラさんから強い影響を受け、それに自分の考えを加えつつ纏めたものである。
 お読み頂いている皆様には、是非、ユウラさんの文章も参照して頂きたいと思う。
 URLはこちらです。↓
 【ユウラのタロットルーム】 

 さて、運命には三つの要素が存在している。
 一つは【周期】 一つは【因果】 一つは【会合】
 この三つの要素がお互いに複雑に絡まりあって、所謂【運命の勢力】を形成していると考える事が出来る。

 周期とは・・・

 【周期】と言う言葉から分かるように、時間的な【周期】を持って訪れる、事象発生の傾向である。
 我々は、時間の枠の中で存在している以上、常に周期的な流れの中で生活している事になる。最も身近な所であれば、基本的なライフサイクルは、全て周期的な活動である。
 例えば、朝6時半に起床し、朝食を食べ、8時に出社。会社に8時45分に到着し、9時から仕事を始める。12時から昼休みでご飯を食べ、午後の仕事に就き、5時定時で退社。6時には家に着き、夕食を7時に食べ、テレビを見てから11時に就寝。
 このような一日を送った人物の翌日はどうだろうか? 同じく平日であれば、多少の差はあろうとも、大体同じようなパターンを以って、動くと考えられる。

 勿論、現代においては随分と不規則な生活をする人物も存在するが、その人物であっても、季節的な周期から逃れる事は出来ないだろう。

 時間の流れには、【環】を描いて進んでいく側面があり、その【環】の大体同じ場所では、同じ事が起こる【運命的な傾向】が存在している。
 【運命は繰り返す】と言う言葉があるが、これは運命の【周期】の要素を捉えた表現と言えるだろう。
 【運命の周期】 時間の【環】の側面を【ウロボロス】と言う事がある。和訳した場合は【永遠の蛇】と呼ばれる。一匹の蛇が自分の尻尾を噛んでいる姿で描かれるこの象徴は、【繰り返される事】【循環する事】【周期性】の象徴であり、同時に錬金術などでも重要な象徴とされている。

 この蛇は【運命の勢力】の一因であるから、あらゆる所に存在している。
 しかし、これとて質的な差や、【勢力】の強弱・大小が存在している。
 昨日・今日と東から昇った太陽を、明日には西から昇らせる事は出来ない。やはり明日も、東から昇ってくるだろう。これは大きな力を持つ【周期】の一つであり、人間程の小さな力では動かす事は難しい。
 しかし、先ほど例として書いた【ある会社員の周期】に関しては、昨日・今日と6時半に起床した所を、明日には6時に起きても差し障りは無いし、本人が起きようと思えば、然程難しい事でも無い。

 運命の要素である【周期】を読み、その傾向を鑑定するのに最も適した占術形態は【命式】と言われている。
 【命式】とは、その人が生まれ持ったパラメータ(情報)を元に、相(象徴)を導き出して占う占術の部類である。例えば、占星術や四柱推命と言った占いが【命式占術】に当たる。
 【命式】の占術では、生まれ持った相が変化する事も無ければ、その相の推移も厳格に【周期的】であり、鑑定する人間の解釈の差異は兎も角、出る結果は変わる事が無い。
 つまり、獅子座として生まれた人間が、いつの間にか魚座になる事は在りえないし、生まれた時に第3室に入っていた金星が、3年後に第4室、若しくは第7室に入っているだろうと言うアヤフヤな事にはならない。(惑星の運行にはかなり厳密な周期性があり、3年後には必ず特定の場所に居るはずである。また、その周期性を理解し、正確な計算が可能であれば、3年後にどの室に入っているかも分かる)

 しかし、最近では【命式占術】が当たり難くなっているとも言う。と言うのも、近代化した人間は、かなり不規則な生活を送り、天の周期・地の周期とは足並みを乱した生き方をしているかららしく、その為【時間的なズレ】などが生じるらしい。

 とは言え、完全に【周期性】から脱した訳では無いので、やはり運命の要素としての重要性は大きいと言える。

 因果とは・・・

 【因果】とは、読んでその字の如く、【原因】と【結果】の関係に当たる。
 何らかの【結果】を得るには、その前提として何らかの【原因】がある。また逆に、【原因】となる事があれば、必ずそれを反映した【結果】が存在する事になる。
 この【原因】と【結果】の関係が、運命の要素の一つとなる【因果】を形成しているのだ。

 【因果】の概念は、比較的簡単な例で説明が出来る。
 例えば、高さ1メートルから花瓶を落とせば、それは割れるはずである。
 【高さ1メートルから花瓶を落とす】と言う【原因】が、【割れる】と言う【結果】を導くのは至極当然の事だ。
 ではもし、落としても割れなかったとしたら?
 それが現実に起こるとしても、それも原則的には【因果律】から逸脱する事は無い。
 可能性は色々考えられる。その花瓶が硬化ガラス製やステンレス製であったかも知れないし、落とした場所にクッションが敷かれていたかも知れない。
 その場合、【高さ1メートルから花瓶を落とす】と言う事と、【花瓶はステンレス製である】と言う事が、密接に影響を与え合った【原因】となり、【花瓶は割れない】と言う【結果】を導く訳である。

 全ての起こりえる事象は、その前提として【原因】が存在する。
 この考え方を前提とすると、充分な観察力と分析力を持ちさえすれば、【原因】が生じた時点で、未来に起こりえる【結果】を予測する事も可能になるのだ。

 近代の科学は、【因果】の概念を前提に発展して来たと言えるだろう。全ての事が【因果】の中で動くのであれば、それを充分に観測・分析する事により、何事であっても理解と解決の糸口が見つかるはずである。その為に【万能】、或いは【万能と成り得る】と信じられて来た。何に対しても、明確な答えを導けると信じられて来た。
 しかしごく最近になって、全ての事を【因果】で解釈するには限界があるのでは無いかと言う疑問も生じ始めて来る。
 科学的な見地からその可能性を示唆し、【因果】と対を成す運命的な原理を提唱したのは、心理学者の【ユング】であった。
 彼は【因果】と対を成す運命的な原理として【共時性(シンクロニシティ)】を提唱する。
 【共時性】に関しては、またいずれ解説しよう。

 さて【周期】の解説において、【周期】は時間の【環】の側面であると述べた。
 それに対し、【因果】は時間の【矢(直線)】の側面である。
 【因果】は周期的なものではなく【一過性】であり、時間的な制限の中で、【ユニーク(唯一・一意)】として帰結する。
 つまり【周期】のように繰り返し戻って来る事は無く、【原因】が発生し、事態が動き出したら、【結果】が出るまで【行った切り】なのだ。

 この時間の【環】と【矢】の側面は実に重要だ。
 西洋の象徴では、この【環】と【矢】の側面が【カドゥケスの杖】として表現される。
 一本の杖が直立に立ち、その周囲を上昇するように、2匹の蛇が螺旋状に取り巻く。
 この一本の杖が【時間の矢】を象徴し、螺旋状に上昇する蛇が【時間の環】を象徴する。
 この杖は、英知の象徴として掲げられ、ヘルメス神の持ち物とされている。

 運命の要素である【因果】を読み、その傾向を鑑定するのに最も適した占術形態は【相学】と言われている。
 【相学】とは、既に存在するものの有様を見て、そこに【相】を見出し占う鑑定の部類である。例えば、【手相】【顔相】【家相】などはこの部類に入る。また【姓名判断】も【相学】に分類されている。

 【相学】のごくごく単純な原理は、正に物事の【因果】から導き出されるものが多い。
 例えば、南に窓を作るのは吉相。この場合は、家庭の健康に恵まれる。北に窓を作るのは凶相。この場合は、家庭の健康に害が及ぶ。
 ちょっと考えれば分かる事だが、太陽が南に昇る北半球においては、窓を南に設置した方が太陽の光を取り込む事が出来、肉体的にも精神衛生上でも、健康を維持出来るだろう。逆に、北に窓を設置してしまえば、太陽の光は取り込めない所か、冷たい風の進入を許し、肉体的にも精神衛生上でも、健康に害を成すと言う事は想像に容易い。
 これも【原因】と【結果】の関係である【因果律】である。
 勿論、相学と言っても全てが【因果律】で説明出来る訳では無いが、確かに【命式】【相学】【卜占】の三つの中では、一番【因果律】と密接な占術体系であろう。

 【周期】と【因果】の結合・・・

 大アルカナ【運命の輪】の解説で書いたように、運命は【螺旋状】をしている。
 これは【周期】と【因果】の双方が、密接な係わり合いを持って形成した【運命】の姿と言えるだろう。
【周期】と言えども、全く同じ事が起こる事は決してない。例え、花瓶が二つ割れたとしても、それは時間軸の中や、空間座標の中で、決して同一の場所と時間で割れる事は在り得ない。
 同じ時間と場所で起こる事象や、存在する個体の事を【ユニーク(唯一・一意)】と呼び、それは決して二つ存在する事は無いのである。
 よって【周期】を形成するのは、全く同じ事の繰り返しでは無く、似たような事の繰り返しなのである。
 また【因果】と言えども、全く似たような事が起こらない訳では無い。多少のランダム性はあるものの、【因果】として帰結したはずの事が、似たような状態で起こる事も充分在り得る。
 これらの【周期】と【因果】の性質が擦り合わされた結果、運命は【環】でも無く、【矢】でも無い姿。しかし、【環】にも似て、【矢】にも似た姿を取る事になる。つまりそれが【螺旋状】なのだ。
 ここに、【個体】が背負う【運命】が完成する事になる。
 しかし、【運命の要素】は三つ。残りの一つとは何だろうか?

 【会合(えごう)】とは・・・

 運命の要素とされる最後の一つは【会合】である。
 【会合】の説明はとても難しいが、ごく簡単に述べるのであれば、【個体】が背負う【運命】の【衝突】の事である。
 (※ユウラ氏のサイトの【時期読み】を参照されると、凄く分かるはず)

 我々は【個体】として存在しているが、世の中には他の多くの【個体】も存在する。それぞれの【個体】は、それぞれの【運命】を背負う訳だが、【個体】同士が密接に関わる世間においては、その【個体】同士の【運命】の【衝突】も頻繁に起こっているのである。

 例えば、ある交差点でAさんとBさんが出会い頭に衝突したとしよう
 この事態も【会合】である。
 本来、AさんにもBさんにも、それぞれが持つ【運命】があるはずだ。
仮にAさんは会社員として、直前に会社から呼び出しを受けたとする。その呼び出しが【原因】であり、彼は会社に向かう為、その道を進んでいた。この【原因】の【結果】は、【会社に到着する】と言う単純なものであったはず。
 仮にBさんは高校生としよう。彼は学校が終わり、これから帰宅する所であった。【学校が終わった】と言う事が、必然的に【帰宅する】と言う【原因】となり、通常であれば、【家に到着する】と言う【結果】に結びつくはず。
 Aさんの【原因】だけ見れば、そこに【Bさんと衝突する】と言う【結果】は見えてこない。またBさんの【原因】だけ見ても、【Aさんと衝突する】と言う【結果】は見えてこない。しかし偶然にも、同じ地点を同じ時間に通る事になり、そこで衝突してしまった訳である。二人の【運命】が衝突した結果、お二人も見事【衝突】したのである。

 さて、これだけ見ると比較的簡単な構図に見えるだろう。しかしそれは、二人の【運命】を外側から見たからであり、AさんBさんにとっては、かなり不可解なはずである。
 【因果】と【周期】から形成される【固体】の【運命】を見る限り、【衝突】と言う【運命】は決して見えてこない。突然発生した【衝突】と言う【運命】は、Aさんにとっても、Bさんにとっても、【個体】の運命上のイレギュラーなのだ。

 【会合】は、視点によっては【複合的な因果律】に見えたり、かなり偶然性の高い【会合】に見えたりする性質を持っている。
 【偶然とは、知られざる必然である】と言う言葉があるが、まさに【会合】を表現するには適切な言葉だろう。ただ難しい所なのだが、【会合】は厳密な意味で言っての【必然】でも無いのだ。(これ以上の説明は私には無理!)

 蛇の頭を砕く・・・

 【会合】は、【個体】の持つ【運命】を、かなりガッツリと狂わす。
螺旋状に上昇しようとする蛇。自分の尻尾を噛み付く蛇の頭を砕き、その形状を変え、予測した未来とは全く異なる方向へと進ませてしまう。
 科学が【万能】と成り得る理由は【因果】にあるが、その【因果】をも狂わす【会合】は、科学が【万能】と成り得ない理由ともなる。
 しかし【蛇の頭を砕く】【会合】の存在は、正に【存在する事】に意義を与える最大の要因とも言えるだろう。正に、運命の不確定な要素とは、この事である。
 【周期】や【因果】によって方向性が決まっている味気ない【運命】に、ちょっとした魅力を与えるのは【会合】である。
 【個体】の【運命】を象徴するものとして現れる意味深な【蛇】と、それを砕く剣としての【会合】。
 世の中には、邪悪な蛇や竜を倒す神話や伝説が多く存在するが、そこに何らかのヒントが隠されているのでは無いだろうか?

 さて、運命の要素である【会合】を読み、その傾向を鑑定するのに最も適した占術形態は【卜占】と言われている。
 【卜占】とは、偶然性を利用し相を導き出して読む占術の事である。例えば、私が扱っている【タロット】や、東洋の【易】などが、この【卜占】にあたる。

【個体】には、それ特有の【運命】が存在している。
例えば、占いを依頼するクライアントも【運命】を背負っているし、依頼された占い師も【運命】を背負っている。更に言えば、【タロットカード】と言う無機的なものにも、【運命】は存在しているのだ。
 【卜占】は、クライアントの【運命】に、占い師自身の【運命】や、タロットの持つ【運命】を意図的に【会合】させ、【会合】した瞬間の反応を見て占う。

 【運命の勢力】には、【影響力の範囲】が存在している。例え【個体】が【運命の中核】であったとしても、空間的にも時間的にも広がりのある影響力がある。
 例えば仮に、Aさんが車の事故にあったとしよう。Aさんが主体として、【事故】と言う出来事の中核を成しているが、その周囲に【事故を目撃する人】が居たりするのも確かである。Aさんの持つ【事故】と言う【運命の勢力】は、空間的に離れた場所にも、確実な影響を与えている。この時、【会合】の一番大きな影響を受けているのは、Aさんにぶつかって行った車である。Aさんを主体にした【運命の中核】と一番近い場所にあって、かなり大きな影響を受けている。それとは違い、目撃した人は【運命の中核】からは離れた場所で、微かな【会合】を生じさせ、目撃と言う小さな影響を受ける。
 事故にあった事により、Aさんは暫く痛い思いをして治療する事になる。これは【事故】が発生した時点から時間的に遅れた場所での影響である。時間が経つにつれて、影響は薄れていき、いずれは痛みも無くなり復帰するだろう。この【運命の勢力】の【影響力の範囲】は、未来に限らず、過去にも影響を与えている。

 前振りが長かったが、【卜占】も【運命の勢力】の【影響力の範囲】を利用した占術なのだ。意図的に、その影響力の範囲に【タロットカード】などの運命を会合させ、その反応を見て占う。
 勿論【会合】が発生するのは【タロットカード】ばかりでは無く、占い師にも【会合】する。同じ事を占っても、占い師によって出現するカードが異なるのは、占い師のカードの解釈に仕方が異なるからであり、しかし出現したカードで導いた結果は、大体同じになるのが【会合】の面白い性質と言えるだろう。

 以上を以って、運命の三要素の解説は終了するが、もっと詳しく学びたい場合は、ユウラさんのサイトやテキストを参照するか、自分で研究する事をお勧めしたい。

 現在はここまで。続きは随時投入予定。

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