四大に関する論考

 タロットを深く学ぶ上で、必要となってくる知識的部分はかなり多いと言える。例えばそれは、西洋の秘教的伝統の全般に及ぶと言っても良いし、近代的な心理学の部分も必要になってくるだろう。
 西洋の四大論やゾディアック(黄道12宮)、象徴主義、イコノロオジー、神話学、カバラー。いざ学ぼうと思うと、これほどまで多くの難題が待ち構えている。
 しかし急ぐ必要はない。タロットを実際的に扱うのは、生涯を通じるような作業であるから、自分の生活スピードにあわせて、人生と共に学んでいけば良い事である。例え、自分の知らない知識が目の前に出されたとしても、全く恥じる要素はないし、むしろ新しい知識との出会いを喜べさえすれば、それはとても素晴らしい出来事と言える。
 かく言う私も、まだまだ学習の及ばない場所がごまんと有る。時には膨大な知識を前に途方に暮れることもあるのだが、それを前にして、自分の人生で暫くは暇をしないだろうと喜べることもある。

 さて、タロットを理解する上で、かなり重要となってくる部分をここで解説していこう。今回は四大と呼ばれる四つの性質、四つの概念。これはタロットで言えば、小アルカナ(マイナーアルカナ)の四つのスートと、コートカード(宮廷カード)に直接的な関係がある。勿論、大アルカナ(メジャーアルカナ)にも、四大の要素は含まれているが、これは比較的高度な考察対象だと言っても良いだろう。

 火・水・風・地の四大を、万物の構成要素と説き、歴史に名を載せたのは、古代ギリシャの哲学者エンペド・クレスが始めとされる。実際には、彼の説いたような四大的概念は、それ以前のエジプトの伝統にも見られたとされるが、思想としての発端がいつ時代頃であるかについては、結局のところ明確な答えは無い。
 あらゆる事物を四つに分けるという事自体、人間の感覚としては不思議な事ではない。方位を東西南北の四つに分け、季節を春夏秋冬の四季に分け、時間を朝昼夕夜に分ける。
 4と言う数字には、感覚的にも特別な意味があるであろうことが予感できるはずだ。

 さて実際タロットでは、【棒のスートを火】【聖杯のスートを水】【剣のスートを風】【貨幣のスートを地】としている。流派の違いにより多少の差異はあるものの、それ程大きな変化は見られない。
 それぞれのスートで象徴されるエレメントは、カードを解釈する際に大きな意味を投げかける。特に小アルカナの場合は、スートで象徴される意味と、数字で象徴される意味とが合わさり、実際的な解釈となるのだ。
では、各四大の性質について、これから一つずつ解説していこう。

貨幣(コイン・ペンタクルス)のスート

 貨幣のスートは、四大の中では地のエレメントを象徴している。勿論それは、【地】そのものの事を指差しているのではなく、あくまでも物質的な面、あるいは結果や成果を意味しているのだ。
 例えば今現在、貴方が目にしているコンピュータは【地】と言うエレメントそのものだと言える。【地】のエレメントに属する全ての物は、見る事・聞く事・触る事・嗅ぐ事・味わう事が可能であり、人間の持つ五感に訴えかける物は、全て【地】のエレメントに属している。
 コンピュータの場合、ハードウェアその物と、コンピュータによって得られる全ての成果が地に属している。ディスプレイに表示される文字も、スピーカーから発せられる音声も、プリンタから出力される資料もそうである。
 では地とは、万物を構成する上で、どのような側面を担っているだろうか? 物質の背後には、いつも様々な作用や概念、エネルギーが隠されている。後に説明する事になるが、【風】のエレメントで象徴される情報、【水】のエレメントで象徴される論理的作用、【火】で象徴される基本概念(アーキテクチャ)は全て、【地】のエレメントに属する物に宿る事によって、この物質的世界に顕現することが出来る。
 よって【地】のエレメントに象徴される全ての物は、その前段階としてあった作用や概念が、最終的な形を伴ったものだと言う事が出来る。
 例えば、タロットのスートとして描かれる貨幣には一体どのような意味が含められているのだろうか。
 【地】のエレメントに属する全ては、必ず【価値】を伴っている。その【価値】は、人間社会の中の様々な場所で取引されている。商店で販売されている品物も【地】に属し、勿論【価値】を持っている。飲食店での食べ物、飲み物も同じ事である。更に、労働も【地】に属し、それ相応の【価値】を持っている。それらの【価値】は、その価値を必要とする人々の間で取引されている。その取引の媒介となるのが、お金である。
 お金は、地に属する全てのものが持つ【価値】を、ある一定の基準で評価する媒体となっている。労働者が労働力を提供すれば、その拘束時間と労働力、技術力に見合う【価値】を、その対価として貰わなければいけない。その【価値】は金銭に換算され与えられる。勿論、職人達が作り上げた商品にも、その【価値】に見合う金銭が与えられる。
 【価値】は、一見不可視に見えるものにも与えられる。情報やアイデアにも【価値】は伴っている。先ほど、【風】が情報、【水】が論理作用(アイデアは論理の一形体)と述べたので、混乱されるかもしれないが、情報もアイデアも、人間が扱う段では【地】のエレメントに属するものに宿るので、その時点で【価値】を伴うことになる。
 即ち、【地】のエレメントに属する物とは、人間が直接的に接する事の出来る【価値】を伴う全てのものだと言えるだろう。それは様々な段階的にも結果の位置にあり、成果として人間の前に現れる。
 ここで、一つ注意を必要とする面がある。
例えば、うちわを持って自分に風を送ってみよう。またコップに水を入れて眺め、また触ってみよう。蝋燭に火を灯し眺め、その暖かさを感じてみよう。それらは全て【地】のエレメントに属している。先ほど述べたように、人間が五感で感じる全てのものは【地】に属していると言う事を忘れてはいけない。【風】も【水】も【火】も、そのものは【象徴】であり、四大論で語られる性質や概念、作用そのものではないのである。例え情報や論理、概念と言った不可視無形のものでも、人が接する時点では純粋元素そのものでは無く、【地】のエレメントに宿った存在であることを覚えておこう。

 【地】【貨幣】【コイン】【万能章】
 物質・実質・実績・成果・結果・五感・現実・堅固・凝縮・確実
 労働・賃金・金銭・商業・流通・肉体・健康・富・繁栄・成熟・固執
 【北】【夜】【冬】【喜】

剣(ソード)のスート

 剣のスートは、四大の中で【風】のエレメントを象徴している。勿論、【地】の項でも述べたように、我々が見て感じる【風】の全ては、【地】に属するものに宿って現れたものだ。我々が言う四大のエレメントの中で、直接的に触れることが出来るのは【地】に属するものだけで、他の三つのエレメントについては、【地】に宿らない限り、不可視無形である。しかし勿論、他の三つのエレメントを考えることは出来るし、感じることも出来る。実際その影響下に身を投じることも可能だ。
 さて、【風】のエレメントに属するものとは具体的にどのようなものだろう。
まず一番大切なのは、【情報】である。【情報】とは不可視無形でありながら、その【情報】を元に、可視有形のものを仮想世界で擬似的に再現することが出来る。
 ここでまた、コンピュータを例えに取ろう。コンピュータと言う精密なシステムを構築するには、様々な要素が必要となる。コンピュータ構造の基本概念となる【アーキテクチャ】・コンピュータを機能させる為に必要な【論理作用】・コンピュータに処理させるべき【情報】・そしてコンピュータそのもの、ディスプレイや論理回路・主記憶装置・ハードディスクと言った【物理媒体】である。
コンピュータで簡単な建築物のCGを作るとしよう。既に既製のコンピュータがあると仮定しても、CGを作るには、マウスやキーボードを使って様々な情報を入力しなくてはいけない。情報が揃えば、その情報に従って物事は構築され始める。結果、ディスプレイ上でCGとして、その建築物を目にすることが出来るのだ。
 即ち【情報】とは、【地】のエレメントに属する全てのものと、未だ【地】に顕現していないものの実態を示す、不可視無形の素材だと言うことが出来る。(ちょっと難しい)
 先ず、【地】に属するものは、必ず【情報】を持っている。例えば【価値】も【情報】の一種である。ある人物を特定するのに必要な【情報】は、膨大で様々だ。氏名・生年月日・出生地・学歴・病歴など、人物一人の持つ情報とは、その人の全てだと言うことが出来る。
 さて【情報】とは、一箇所に留まる性質のものではない。必要に応じ、様々な方法で、様々な場所へと行き渡る。
 例えば、会社組織などで【情報】の流れに関することは、まさに組織の死活問題である。開発部のプロジェクトや、運営陣の運営指針、営業部の成績、生産ラインのスピード等。これらの【情報】が社内に行き渡らなければ、会社は上手く機能せず、場合によっては崩壊してしまう。
 【情報】の流れは【風】の性質に依っている。【情報】は【風】の様に流れ、次から次えと行き渡る。【風】が滞り、空気が淀むと様々な弊害があるように、【情報】も滞ると害を及ぼすことがある。【情報】は常に生産・更新されているので、部屋の空気を入れ替えるように、【情報】も流し、入れ替えなければならない。
 また、情報は何かしらの媒体に宿らなければならない。代表的なものが【言葉】である。【言葉】も【風】のエレメントに属する。【情報】を可視有形とする為に【言葉】に変換し、対象に伝える。
【言葉】には幾つかの種類がある。代表的なものが【声】と【文字】である。【声】とは【音】である。空気を振動し相手に響く作用を持っている。これも【風】の性質である。しかし、やはり人間が聴覚を用いて聞く【音】も、【地】のエレメントに宿った【風】の性質に他ならない。【風】とは、伝達する性質や作用及び、伝わる【情報】のことであり、それらを確認する為には、必ず【地】のエレメントの介在が必要となる。
 【文字】の場合も同じく、【情報】を【伝達】する作用を持っている。『文字』そのものを光学的に受け取り、そこから【情報】を引き出す事は、【風】が象徴する作用に他ならない。ジェスチャーや点字と言ったものも同じである。抽象的な観念も【情報】の一種であり、それを他者に【伝達】する作用を持つ絵画や音楽、芸術作品全般も【風】のエレメントに属している。
 風の伝達作用について、もう少し考えてみよう。普段、自分達の身の回りを吹き抜ける【風】について考えてみれば、その性質を理解する助けになってくれる。
 【風】は【音】を運ぶ。生物によっては、この運ばれた【音】を耳で感知し、感知した【音】に含まれる【情報】を元に活動する。フクロウはネズミの足音を敏感に察知し、その足音を情報として獲物が何処に居るかを把握し、狩りを行う。また、匂いも同じである。獲物の匂いを【情報】として、狩りに役立てる生物もいる。
 また【風】は、草花の花粉を運ぶ。運ばれた花粉は、他の花に受粉し、新しい生命の兆しを作り上げる。花粉も【情報】の一種である。花粉に含まれる遺伝子は、生命を構築する為の情報体であることを忘れてはいけない。
 さて今度は、【風】のエレメントが【剣】のスートによって表現されている理由について考えてみよう。勿論【剣】そのものが【風】そのものである訳ではない。【剣】が担う作用に、【風】のエレメントとして該当するものがある。
 【剣】とは敵を切り倒す道具であるが、それはオカルト的な視点からすると、二次的な目的に過ぎない。【剣】とは対象を支配し、ありようを縛り付ける道具である。【剣】の威力は『死』に及ぶほどであり、実に相手を怖れさせる。その脅迫的な意味合いから、【剣】を突き付けられた対象は、【剣】の持ち主に従う。
 【支配】と【束縛】の能力は、【情報】や【言葉】にも見られる。存在は【情報】によって縛られ、その在り方を決められている。『存在』は、それが生まれた時から固有の【情報】を持っているが、【情報】は外部から後付けすることも出来る。名前などはその最たる例だろう。人が生まれた時、その人はその人そのものであるが、『常葉 了』と名前を与えられれば、その人は『常葉 了』となる。同時に彼は『常葉 了』以外の何者になることも出来ない。彼は『常葉 了』と限定されてしまったのだ。
 このように、何者かに【情報】を与えられると、その人は【情報】に縛られ、限定される。
 【言葉】も同様である。身近な人に協力してもらい、実験をしてみよう。ペンを用意する。そして協力者に『このペンを持って』と頼む。恐らく天邪鬼な方でなければ、快くペンを持ってくれるだろう。この時点で協力者は【言葉】に支配され、行動したことになる。当然の事のように思えるが、【言葉】の持つ【情報】が、相手の行動を支配できるのは、紛れも無い事実なのだ。これは、相手に【剣】を用いて支配するのと同じなのである。
 ものを頼むと言う姿勢は、【剣】を鞘に収めたまま、平和的に交渉するのと同じである。しかし命令となると【剣】は鞘から抜かれ、相手に突きつけられたことになる。そしてこれが最も大切なことなのだが、【剣】で人を殺せるように、【言葉】や【情報】を使って人を殺すことも出来るのである。【言葉】で支配すると言うのは、『魔法』や『魔術』の基本的な概念でもある。
 さて医者は、人を殺す事が可能な『刃物』を用いて、病気の患部を切り取り、治療することが出来る。同様に【言葉】を用いて、人の心を癒す事も出来る。どちらも二次的な作用だが、【風】のエレメントに属する全てのものは、『殺人』と『癒し』の作用も兼ね備えている。
 伝統的に【風】のエレメントが象徴する物として【ロゴス】がある。【ロゴス】とは【真理】の意味であり、同時に【言葉】と言う意味も持つ。存在のありよう全てを包括して表現するこの言葉は、【風】のエレメントを表わすには、この上ない言葉に思える。
 【ロゴス】に関しては、これ自体でもっと広大な意味を持っているので、別に形でアプローチする必要がある。なのでここでは、これ以上触れないことにしよう。

【風】【剣】【ソード】
言葉・文字・音・匂い・味・表現・情報・メッセージ・コミュニケーション
情報組織体・支配・制限・指示・命令・議論・法律・政治・知識・知性・学問
破壊・治療・流通・商業・貿易・旅・動的・【ロゴス】
【東】【朝】【春】【楽】

聖杯(カップ)のスート

 聖杯のスートは、四大の中で【水】のエレメントを象徴している。【水】のエレメントが象徴することは、とても抽象的な概念で、やはり理解する場合は【地】に属する感覚が必要となる。
 【水】のエレメントの代表的な特性は、【下降原理】【受動】【論理】【メンタル】などである。
 地球と言う重力圏にある場合、【水】は当然のように下に向かって流れていく。山の水源から【水】は流れ出し、重力の法則に従い下流に流れていく。その途中、ある水は汲み取られ、植物に撒かれることになる。すると、【水】は植物の根から吸い上げられ、その葉っぱを満たす。その葉は、草食性の動物に食べられ、さらにその動物も肉食獣に食べられる。いずれ排泄の形で水は地に戻り、さらに流れ、大きな海へと帰る。海で何年も満ち引きを繰り返し、太陽の光を受け蒸発し、空に上がり(【火】の作用)、雲となり、雨となり再び大地に帰る。この繰り返しを行うのが、【水】のエレメントの性質である。一切、世界の【法則】・【論理】に逆らうことは無い。【水】の有り様そのものが、【論理】の体現だと言えるのだ。
 【水】は、いたる場所、いたる時間でも、その時最も適した姿形になっている。変幻自在で、同じ物には見えないが、やはり同じ物。姿形の背後にある、一貫した【法則】が、【水】のエレメントの象徴するものである。
 【水】は常に【受動的】であることも忘れてはいけない。【水】を受け支える器に応じて、【水】は自由に形を変える。【水】の置かれる環境によっても、その姿を自由に変える。また、【水】にさまざまなものを投入すれば、【水】はそれを受け入れて、徐々に溶解する。
 即ち【水】のエレメントとは、常に【法則】や【論理】に則し、積極的外部要因に応え、変幻自在に有り様を変える観念だと言えるだろう。
 さて、【水】のエレメントを考察する際に、決して忘れることの出来ないものがある。それが【法】と【愛】の二つである。
 【法】とは、全く【法則】と同じものを指すと考えても良いのだが、この場合は人間が従うべき【モラル】を指していると考えて頂きたい。国で定められている法律には、二つの要素が関わっている。それは【モラル(法)】と【規則】の二つであり、【モラル】は【水】に属し、【規則】は【風】に属している。
 【風】に属する【規則】とは、人間の感情的な部分を全く除いたところで、【ルール】として守ることを要求される。逆に、【水】に属する【モラル(法)】とは、【規則】や【ルール】以前の問題として、【人道的視点】【感情】の善悪判断によって、突き動かされる判断基準である。
 幾つかの犯罪を例にあげて説明してみよう。
 例えば『窃盗』。日本国で他人の所有物を、無断で自分の物とする行為は、犯罪に該当する。では、何故か。まず、日本の法律でそのように決められている。加害者に悪意が無かろうと、被害者に痛手が無かろうと、犯罪は犯罪として裁かれる。これが【風】の管轄である【規則】である。【規則】には、人情の入り込む余地はない。無情と思われるかも知れないが、【規則】に感情を入れてしまうと、その【規則】の職能が失われてしまうのだ。
 では【水】の管轄である【法】から見た窃盗とは、どのような物だろうか。他人のものを盗んではいけない理由として、【法】は個人や集団の痛みに目を向ける。ものを取られた人物は悲しむし、損失を被る。盗んだ人物には、罪が覆い被さり、その責に悩まされる。いずれにしろ個人や集団の苦しみに換わる。それらは共通の損失であり、【法】はその損失を回避するために、その原因を封じようとする。【法】は個人と集団の損失を回避し、利益を増そうと意志して働くものなのだ。
 同じことが、他の犯罪とそれを取り締まる【規則】と【法】に当てはまる。殺人をしてはいけない。それは【規則】(法律)によって禁じられているのと同時に、【法】によって損失を防ぐために封じられている。その他の諸犯罪も然りである。
 【法】は【人道的視点】【感情】に起因すると述べたが、その本性は実に【論理的】であることも見て取れる。存在全ての総合的利益が、最も効率的に得られる方法こそ【法】なのだ。
 【法】に言える事は、同様に【愛】についても言える。この場合の【愛】とは、必ずしも我々が一般的に知る恋愛のことを意味してはいない。むしろ、キリスト教などで教えられる【神の博愛】や、仏教的な【慈悲】に対応すると言えるだろう。【愛】も実に論理的である。【愛】は、対象となる全ての事物に利益をもたらす【奉仕】の精神だと言っても良いだろう。そしてその【愛】は【水】のエレメントに属するものとして、様々な形体を取る事も覚えておきたい。
 大袈裟に言えば、ストーカー的に固執愛やフェチシズム等も、やはり【愛】の一つの局面なのである。
 【水】のエレメントには【倫理】なども対応する。これは決して実現不可能な理想論や、きれい事を指差しているものではない。あくまでも【論理的】【合理的】な代物なのである。

付随 法律は【法】と【規則】で成り立っていると説明したが、これには確りとしたプライオリティ(優先順位)がある。日本の法律も、その背後に憲法と言う【法】の精神があるように、すべては【法】があり、その執行手段としての【規則】があるのである。【法】に則さない【規則】は、存在する意味がないし、【規則】を持たない【法】は実行不可能となる。我々は時に『【規則】や【法律】に縛られたくない』と言うが、【法】に正しく基づいた【規則】ならば、守らない理由はないのである。

 さて、【地】のエレメント、【風】のエレメントと共に、コンピュータを例えに使ってきた。【水】のエレメントに関しても、コンピュータを例にとって説明してみよう。
 【水】のエレメントは、何度も述べたように【論理】の象徴としても働く。コンピュータにおける【論理】とは、プログラムやアルゴリズム(算法)を指している。コンピュータのソフトフェアは、素材としてのデータ(情報)と、そのデータを処理するプログラム(命令)の二つによって構成されている。データは【風】のエレメントに属し、プログラムは【水】のエレメントに属している。データとは、あくまでも情報素材であり、それ自体は何の成果も出してはくれない。外部から与えられたデータは、プログラムによって処理され、そしてデータとして出力されるのである。
 これは非常に大切な部分なので、注意して覚えていただきたい。【知性】と言う言葉が、【風】のエレメントにも、【水】のエレメントにも出てくる。しかし、当然の事ながらこれらは別々のことを指しているのだ。【風】の知性とは【知識】であり、これは単なる情報である。数学で言えば数字そのものを覚えているに過ぎない。正に丸暗記の部分である。【水】の知性とは【知恵】や【論理】であり、数学で言えば、正に計算や証明法などロジカルな部分を指している。
 【水】と【風】は、非常に似通った部分があるので、今後の学習の際も充分に気をつけて頂きたい。【学問の神】は【知恵の神】とイコールではないのだ。

 【水】のエレメントが意味することは、変幻自在に様々な姿を取り、実に捉え難いが、その背後に一本の筋が通っていることを知れば、意外と拒否反応なく受け入れる事が出来るだろう。完全理解は出来なくとも、取り組む姿勢は出来たのではないだろうか。

 【水】【聖杯】【カップ】
 論理・倫理・モラル・慈悲・愛・法・受動・奉仕・心理・感情
 下降原理・女性原理・変化・流動・知性・知恵・理解・充実・受容
 霊能・宗教・福祉・サービス・芸能・母
 【西】【夕】【秋】【哀】

棒・杖(ワンド)のスート

 棒のスートは、四大の中で【火】のエレメントを象徴している。四大の中では、【火】のエレメントが最も捉えがたく、抽象的だと言っても良いだろう。
 しかしそのキーワードは比較的単純なものである。 【エネルギー】 恐らくこの言葉が、【火】の性質を一番的確に表している。エネルギーはあらゆる所に遍在しているが、その本性自体はやはり人間の目には見えない。
 例えば、電気エネルギーや、熱エネルギー・光エネルギー・位置エネルギー・速さのエネルギー・物質維持のエネルギーなど。全てその役割と出現する場所は違っても、全て同質のエネルギーなのである。これら全てのエネルギーが【火】のエレメントに属しているのだ。
 それぞれのエネルギーは、別のエネルギーに変化することがあるのを忘れてはいけない。例えば、光のエネルギーを用いて、熱エネルギーを生み出すことも、電気エネルギーを生み出すこともできる。但し、生み出すと言っても、その瞬間生み出したエネルギー量と等価で、光エネルギーは消え去ることになる。正確には、光エネルギーが他のエネルギーに変化したのであり、質量的には常に一定なのである。
 【火】の象徴する【エネルギー】も、【水】の性質に似て変幻自在であるが、ここには大きな違いが在る。【水】の性質は変幻自在であっても、ある時点に関しては一定の纏まりを持つ。しかし【火】の性質【エネルギー】に見て取れるものは、どのような時点でも纏まりを持たない。それが【エネルギー】の特性であり、常に振動し、自在に動き、止まることは無いのだ。【火】のエレメントが象徴するものにも、そのような特性がある。

 さて【火】のエレメントからは、【発端】と言う意味も引き出せる。これは【エネルギー】が、存在する全ての【発端】である、と言う考えから発生する。『その前にエネルギーは何処からきたのか?』と言う問題もあるのだが、ここでは扱わないことにしよう。
 全ての存在する物。人間がその五感を用いて感じ取れる全てのものは、【火】【水】【風】【地】の全てを構成要素として持ち、初めて成り立っている。特に【火】で象徴されるような【エネルギー】は、全てを存在させる為の【存在維持エネルギー】だと言うことも出来る。この【エネルギー】が存在しない場合、それ以降の【水】【風】【地】も存在しないことになるだろう。その点で言って、【エネルギー】【火】の性質とは全ての【発端】なのである。
 例えば、小さな石コロの中にもエネルギーは存在している。しかもそれは、驚異的な量のエネルギーである。もしそのエネルギーが解放されて爆発すれば、かなりの被害を及ぼすはずである。(基本的に有り得ないが)この応用が核エネルギー。核エネルギーとは、物質の維持エネルギーを解放することで得られたものなのである。

 【エネルギー】とは、本来不可視無形で、純粋な存在である。このエネルギーが存在し、【指向性】を持つことによって、存在はあらゆる【発展】を見出すことが可能になるのだ。
 その観点から、【火】の性質は【文明】や【文化】の【発端】と見なすことが出来る。又は【進化】や【前進】と見なすことも出来る。これらは二次的な意味合いだが、【火】のエレメントに属するものである。
 タロットで【火】のエレメントは【棒】のスートで表現されている。時に【棒】では無く【杖】と呼ぶことも在るが、その性質を探る際には【棒】の方が的確である。【棒】とは【文明】の発端であり、人間が最も始めに【道具】として用い始めたものなのだ。【棒】は使い方に応じて名前を変える。歩行の補助に使えば【杖】と呼ばれ、先に【火】を灯せば【たいまつ】と呼ばれる。人を殴れば【こん棒】と呼ばれるだろう。このように、様々な用い方によってその名前を変えるのは、正に【エネルギー】の性質と同じである。【杖】は【棒】の一形態でしかない。我々の感じる【エネルギー】も、その【エネルギー】の本質の一形態でしかないのだ。

 さて、コンピュータを例えに取ると、【火】はどのような部分に対応するのだろうか?
 コンピュータの場合、【火】に属する部分は【アーキテクチャ】にあたる。【アーキテクチャ】とは【概念】と言う意味で、コンピュータの業界では、そのシステムの構成概念を指している。例えば有名な所では『フォン・ノイマン方式』と言う【アーキテクチャ】がある。この方式は、現在のコンピュータでも使われる基本的な構成概念であり、その概念に従ってコンピュータは構築されている。(詳しくは専門書を参照)
 【アーキテクチャ】は、『コンピュータがどのような方向性(形)で存在すればよいのか』と言う部分を決める。これは全く抽象的な概念で、実現の為に必要なシステムや素材までは考慮して居ないものの、明確な【方向性】とその方向へ向かう【エネルギー】を与えてくれる。それが【アーキテクチャ】なのだ。【方向性】とは『〜したい』と願うこと。【意志】することだとも言える。そう【意志】されなければ、【コンピュータ】は存在しなかったのだ。コンピュータにおいても【火】に属する部分は、その存在の【発端】であることが分かる。

 【火】のエレメントは、【水】のエレメントの対極として、【上昇原理】と【男性原理】も意味している。【水】は重力の法則に従い下へと落ちるが、【火】の熱は上昇気流を生む。純粋存在としての【エネルギー】も、基本的に重力などの法則に縛られる事は無い。と言うのも、重力も一種のエネルギーであり、エネルギーの本質とは法則に縛られる側ではなく、法則を産み出す側だからである。しかし、産み出すからと言って、【火】のエレメントに【法則】の意味合いがあるのではなく、産み出した瞬間には既に【水】のエレメントに属することになる。【火】の原理と【水】の原理は対極にありながら、分け隔てることの出来ない関係になっている。
 【男性原理】と言うのもそうである。これは生理学的な性別を指すのではなく、全ての存在に見られる【男性性】を意味している。その【男性性】とは、【エネルギー】であり、無制限に拡大しようとする【意志】なのである。
 【火】のエレメントの意味するところは、四大の中で最も抽象的で把握しにくいが、全ての存在の背後に必ず隠れていることだけは覚えておいてもらいたい。

【火】【棒】【杖】【ワンド】
力・エネルギー・方向性・指向性・発端・創造・存在・発展・進歩・意志・男性原理
上昇原理・アーキテクチャ・文明・文化・進化・道具・情熱・直観・スポーツ・戦士
【南】【昼】【夏】【怒】

付加論考(散文構成・随時追加)

現実問題として、我々人間が住まう物質界に、四大のエレメントが純粋元素として存在することは無い。先ず人間が感知し得る限りの物は、全て【地】のエレメントに属し、その中に様々な割合でその他のエレメント【風】【水】【火】が混ざりあっている。
 例えば普通の『水』で考えてみよう。『水』は『水の分子』の集まりであり、水の分子は水素原子と酸素原子によって成り立っている。原子は【地】に属する。分子・原子の構造維持を行うエネルギーは【火】に属する。『水』(それを構成する諸原子)は、科学的法則に則るので【水】に属し、全てこれらの【情報】が【風】に属する。
 このように、普通の『水』であっても、純粋な【水】のエレメントであるとは言えないのである。
 さてしかし、だからと言って物質界の全ての存在を、【地】のエレメントにして扱うわけには行かない。実際に占いやオカルトで扱う際は、物質界での諸事象や物体を四大に照応している。
 普通の『水』を観察する時、そこに全ての元素が含まれて居たとしても、最も表に見える部分は【水】の性質である。蝋燭の『炎』を見て、そこに全ての元素が含まれていると分かっていても、最も表に見えて感じるのは、【火】の性質【エネルギー】である。
 それぞれ四大のエレメントは、物質界で働く際に、全ての元素と結びつきあいながらも、自分のポジションを確立しているのだ。
 それぞれの事象や物体を四大に照応する際は、四大の性質の中で最も強いものを見て行うと良い。
 『蝋燭の火』は【地】の【火】。『普通の水』は【地】の【水】。『普通の風』は【地】の【風】。『大地の土』は【地】の【地】であると言える。

 四分
 人間は、自分の普段を中心に生活圏内を四つに分けることが多い。東西南北の四方位、春夏秋冬の四季節、朝昼夕夜の四時刻。喜怒哀楽と言った感情面にもそれらは見られる。
 これら四分割出来る物事は、大体四大等の概念と結び付けられていることが多い。しかしこれは、地方によって多少異なることも覚えておきたい。
 例えば、【火】の方角と言えば基本的に【南】である。と言うのも、日本やヨーロッパは北半球に位置し、太陽は南に昇り、夏は南からやってくる。しかし、南半球になればこれは逆転する。太陽は北側に位置し、夏も北側から来るだろう。そうなると、南半球で【火】の方角とは【北】になるのである。
 また東洋・西洋では、【水】の方位も変わってくる。西洋では【水】の
方角は西、しかし東洋では青龍の方位、すなわち東が【水】の方角となる。(五行照応ではまた異なる)
 これは、ヨーロッパでは西側に大西洋があり、東洋では東に太平洋があるからではないか言われている。
 方位以外に関しても、土地によって大きく違う面がある。例えば季節。春夏秋冬の順に、【風】【火】【水】【地】が西洋の基本的な割り当てであるが、土地によっては季節を四つに分けられない場所もある。赤道直下の国や、南北の極点に近い国では、殆ど一年を通して同じ気候である。その場合も、季節への四大配当はなかなかの問題だ。
 この様に、地球上様々な場所によって、四大の照応される場所や特性は多少異なるものなのである。これは不整合と考えてはいけない。そもそも統一されているのは、【火】【水】【風】【地】四つのエレメントの性質であって、その照応は、それぞれの土地にあわされるべきものなのだ。ここを理解しておかないと、途中で大きな混乱にぶつかる時がある。特に日本には、中国から渡ってきた伝統的な照応がある。それと西洋の照応を見比べて、頭を悩ます人も多いことだろう。はっきりを区別して考えよう。

 四大と感情
 人間の感情を表現する際に『喜怒哀楽』と言う言葉が使われる。しかし勿論、人間の感情が必ずこの四つだけである訳ではなく、他にも多くの感情が言われている。憎しみや嫉妬なども、感情を表す言葉だろう。しかし、もしこれら多くの感情を四つに分配するのであれば、やはり『喜怒哀楽』以外に良いものは思い浮かばない。そうなると、一つ『喜び』と言っても、その『喜び』には多くの形態があると分かる。
 『喜怒哀楽』は四大に対応させることが出来る。怒りや哀しみは配当が楽だろう。怒りは【火】、哀しみは【水】である。炎のような怒り、溺れるような哀しみ。
 しかし、喜びと楽しみは、なかなか難しい。そもそもこの二つの感情のボーダーラインは、かなり曖昧に存在している。
 例えば、友人の遊んでいる時は『楽しみ』だろうか『喜び』だろうか? 大体は『楽しく遊ぶ』のだから、『楽しみ』の感情だと思うだろう。勿論その通りである。しかし、友人と遊んで『喜び』は感じないのだろうか?
 実は、四感情を四大に照応させる際、喜びと楽しみが全く対立する流派があったりする。『喜び』を【風】、『楽しみ』を【地】とする流派、全く逆に『喜び』を【地】、『楽しみ』を【風】とする流派。
 しかし、流派は特に問題ではない。要は、自分の感覚で証明される方を採用すれば良い分けだ。私の場合は『喜び』を【地】、『楽しみ』を【風】としている。
 誰からかプレゼントを貰ったとしよう。その時は『嬉しい』はずである。これは『喜び』の部類である。どのような形であれ、どのような物であれ、何かを与えられたとき、又、所有するときは『喜び』の感情が湧き上がる。『嬉しい』という字に『喜』の文字が混ざっているのは面白い。
 『楽しみ』とは、『楽』と言う言葉から、その性質がうかがえる。『楽』とは、『苦難が無い』状態だ。即ち、自分が欲しいとは思わないものが、自分の側に無い状態が『楽』である。友人と遊ぶのが『楽しい』のは、心が『喜べる』時間が継続的に続き、そこに苦難が存在しないからである。人は仕事の『苦難』より、友人との『楽しみ』を好む。
 即ち、『喜び』と『楽しみ』の差とは、『与えられた結果』と『与えられなかった結果』の差である。本人の欲するものを与えると『喜び』、本人が欲しないものを与えないと『楽しむ』。
 なので、人間の普段の生活の中では、『喜び』と『楽しみ』はセットになることが多い。友人と遊ぶと言う点で言えば、『楽しみ』を与えられて『喜ぶ』のである。
 さて、【与える】【所有する】は、【地】のエレメントの管轄である。その点で【喜び】は【地】のエレメントに属すると言える。
 【奪う】【消し去る】は、【風】のエレメントの管轄である。その点で【楽しみ】は【風】のエレメントに属すると言える。
 さて以上で、何故人が『喜び』『楽しむ』のかは分かった。では次は、何故人が『怒り』『哀しむ』のかが問題となる。
 これも『与える』『奪う』の二つから発生する。
 答えを先に出してしまおう。人は『欲しくないもの』『所有したくないもの』を『与えられる』と【怒り】、『欲しいもの』『所有したいもの』を『奪われる』と【哀しむ】。
 【怒り】と【哀しみ】も、人間の普段の生活ではセットに訪れることが多い。
 例えば、自分の恋人を奪われたとしよう。すると、恋人を奪われたことに【哀しみ】、【哀しみ】を与えられたことに【怒る】。
 勿論【哀しみ】が単体で訪れることもあれば、【怒り】が単体で訪れることもある。しかしそれは稀なケースであると言えよう。【怒り】の原因を断ったとしても、心にわだかまりが残るのは、その問題の奥に【哀しみ】が存在しているからの場合が多い。
 別の視点も存在する。【喜び】を奪われると【怒り】が生じ、【楽しみ】を奪われると【哀しみ】が生じる。
 人間の生活とは、【与え】【奪い】の応酬である。その度に人間の心は左右に振れるのだ。
 恋人を奪った人物は【嬉しい】だろう。しかし奪われた人物は【怒り】を覚える。
 仕事を他人に押し付けた人物は【楽】だろう。しかし押し付けられた人物は【悲しい】だろう。
 占い師として活動する場合、クライアントがどのような心理状態にあるかを把握するのは大切である。そして更に、その原因まで把握するのが必要だ。そうする事によって、原因を取り除く、又は欠けているものがあれば与えることが出来るのだ。
 他いろいろと、四大と感情の関係は深いのだが、ページの関係上ここまでとする。また、別の機会をもって深めていきたい。

 人間の四つの性質と能力
 基本的に人間は、四大全ての性質をその中に内在させている。物質界に存在する以上、決してどれかが欠けることはない。しかし人によって、それぞれ長じている部分と、弱い部分があるのも確かである。
 人の性質を四大で評価する時、大体は最も強く表に出ている部分で判断するだろう。
 具体的には以下のような感じである。
【火】・・・(長所)情熱的・行動的・外交的・積極的・能動的・強い意志
     (短所)短気・粗野・猪突猛進・冷静さの欠如
【水】・・・(長所)慈悲深い・冷静・受容的・寛容・柔軟・感受性が豊か・賢明
     (短所)消極的・内向的・依存的・悩みやすい
【風】・・・(長所)知性的・理性的・社交的・陽気・分析力の高さ
     (短所)神経質・冷徹・残酷・無慈悲・機械的
【地】・・・(長所)温和・忍耐力が強い・勤勉・勤労・堅実
     (短所)頑固・保守的・マンネリ・停滞
 それぞれの特性には、必ず長所と短所がある。
 長所とは、エレメントの性質がバランス良く機能している時に見られ、逆に性質が過剰すぎたり、弱まり過ぎたりすると短所となって現れる。また長所とは、直接的にその人の持つ能力だとも言える。
【火】・・・計画力・実行力・決断力  【水】・・・理解力・適応力・受容力
【風】・・・分析力・判断力・記憶力  【地】・・・順応力・忍耐力・努力

 四つの状況
 タロット占いを行う際に、四大のスートが出た場合は、そのポジションによって人の性質を指すのか、それとも状況を指すのかを考えなくてはいけない。
 現在・過去・未来などの時勢を指す場合は、状況や環境を指し示すので、それを頭に入れてリーディングしよう。主なキーワードはこちら。
【火】・・・困難・プレッシャー・トラブル・根性で乗り切れ・忙しさ・成功・活力的
【水】・・・喜び・友好的・感情面への影響・惰性・曖昧・優柔不断
【風】・・・好戦的・緊張・人間関係トラブル・和解・交渉・苦難
【地】・・・安定・堅実・成功・停滞・惰性・頑固・不活性

 【火】のスートは、困難を伴っても、大体は根性で乗り切れる状況を意味している。更に、その困難は成功への礎であり、決して不幸とは限らない。肉体的に厳しい状況や、大きなプレッシャーを伴うが、無理が祟らない程度に全力を尽くすことを勧めると良い。
 【水】のスートは、精神的な充実や安心感のある状況を指している。勿論、性質が悪く出現した場合は感情が乱される。【水】のスートが出た場合、状況と個人の感情が密接に関わりあっていることに注意を払おう。
 【風】のスートは、対立する何かの状況を指し示す。主に人間関係トラブルが多い。【風】のスートではあまり良い意味を持つものが少ない。この苦難は【火】のスートと違い、根性で乗り切れるとは限らない。良く転じても和解、バランスを取り戻すと言ったところだろうか。
 【地】のスートは、その時点が安定している状況を指し示す。一見不安定に見えるかも知れないが、その時点としては、それが最も適切であると考えるべきだろう。性質が悪く出ると、保守的過ぎて進歩が見られない、と言った状況である。

 四大の相性
 四大には、それぞれ相性があると言われている。
 一般的に考えて、【火】と【水】の相性が悪いのは分かるだろう。
 大量の『水』は、『火』を消してしまうし、大きな『炎』は『水』を蒸発させてしまう。物質界において、【火】と【水】は相容れない。その為一般的に、お互いを侵略するものとして相性が悪いとされている。しかし注意が必要なのだが、【火】と【水】には、お互いを補う関係性もある。【火】と【水】が、お互いの場所を無許可で侵犯すると、お互いは打ち消しあうが、正式な手続きを持って【聖なる婚姻】を果たすと、【火】と【水】は一つとなって、新しい成果を生むのである。
 【風】と【地】も相性が悪い。とは言え、この二者は【火】と【水】の関係とは違い、打ち消しあったりはしない。むしろ『全く住む世界が違う』と考えた方が適切だろう。
 【火】と【風】は相性が良い。『火』に『風』を送れば大きく燃え上がり、『火』が燃えれば『気流(風)』を起こす。この二者の関係は、更に動的な力を呼び起こす。
 【水】と【地】の相性も良い。『水』は『大地』に受け支えられ、『大地』は『水』に潤いを得る。『水』は形の上に無くては、一定の纏まりを持つことが出来ない。『地』は『水』の潤いが無くては、繁栄をもたらすことが出来ない。この二者の関係は、更に安定した形を作り出す。
 【火】と【地】の関係性は【原因と結果】。相性は良いとも悪いとも言えない。むしろ、当然のような関係性であると言える。
 【水】と【風】の関係性は、【似て非なるもの】。どちらも【流れる】と言う性質を共有し、【知性】と言う意味合いを共通させる。しかし、知性と言っても【水】は【知恵】と【論理】を意味し、【風】は【知識】と【記憶】を意味する。【水】と【風】の関係性も良い悪いは無いが、両立することが望まれる。【水】は【【地】の【風】】であり、【風】は【【天(火)】の【水】】であると覚えておこう。

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