聖杯から溢れる愛

 聖書から引用:新約聖書 コリント人への第一の手紙 13章4節から7節
 【愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える】


 【愛】と言う言葉は、とても魅惑的な響きを持って人の心に訪れるが、しかし、曖昧なものとして受け取られる事が多い。
 その本当の姿を精密に測ろうする人は少なかった。


 我々が日常で知る【愛】とは、一体どんなものなのだろうか?
 相手を求め、慕う事が【愛】なのだろうか?
 それとも、自分の全てを放棄して、相手に捧げる事が【愛】なのだろうか?
 私達は、どこまで【愛】について知っているのだろう?
 或いは、未だに何一つ知っていないのではないだろうか?
 【愛】を求める人は多い。しかし、それは雲を掴むようなことに似てはいないだろうか?
 【愛】と信じ手にした物が、全くの虚構に思われた人も多いように思われる。
 或いは、【愛】とは実在しないものなのではないだろうか?
 いや、しかし、そんな筈は無い。
 私達は、言い知れぬ、筆舌に尽し難き感情の動きに、その正体の知れぬ思いに【愛】と名付けたのでは無かったろうか?


 ども、常葉です。(^^)/
 どうでした、始めの方。 常葉も、たまにはこんな文章を書いたりするんですよ。
 なかなか恥かしかったりしますが、たまにはね、こんなのも良いでしょう。(^^;

 さて【愛】です。
 占いの依頼で、よく【恋人の気持ちを占って下さい】と言うのがあります。かなり高い確率で、およそ65%はそんな感じです。詳細内容として更にあるのが【本当に私のことを愛しているのでしょうか?】と言う質問です。
 これって、どうにも答えの無い疑問ですね。(^^;
 そもそも【愛】と言うのが曖昧に捉えられている以上、【愛している】と言っても、分からないんだから意味が無いですし。

 常葉は占い師ですから、色々な人の人生の一部を見てきました。そう、【愛】と呼ばれている事柄に関しても、かなり多く見てきましたよ。
 これだけ多くの【愛】を見てきたのだから、その正体の片鱗くらい掴めそうな物なのですが、嗚呼! 悲しいかな! 未だにハッキリしません。
 きっと【愛】ってのは恥かしがり屋さんなのですね。私に知られることを好まないのでしょう。姿を深いベールで隠して、一向に外へ出てきてくれません。
 ベールの奥に、ほんの少し影が見える程度で。
 しかし、クライアントの皆さんは随分と自信を持って【愛】を述べます。
 【愛】 ・・・むずかしいですねー(‐‐;

 さて、でも常葉だって生半可に占い師をしている訳ではありませんからね、少し位語れますよ。
 語っても、宜しいですかな?

水を湛えた聖杯

 タロットの四スートの中に【聖杯】ってのがあるのは、皆さん既にご存知ですよね?
 四大で言う【水】の象徴です。
 結構誤解されがちなのですが、【聖杯】そのものは【水】では無いんですよ。考えてみれば当然ですよね。【聖杯】って【水】の器じゃありませんか。
 蝋燭に火を灯すことが出来ても、蝋燭は火じゃありませんしね。それと同じです。
 【聖杯】は【水】の器。
 これってとても大切な事なんですよ。タロットを学ばれている人は、これから書く事に注目して下さいね。

 【聖杯】は【魂】の形を指し、【聖杯】を満たす【水】は【愛】の有り様を示す。
 【魂】を満たすのは、この【愛】であり、乾いた杯に意味が成されぬように、乾いた【魂】も意味を成さない。水が器無くして留まらぬように、愛も魂無くしては留まらない。

 人の【魂】が【聖杯】であることに賛同出来ない方もいらっしゃるでしょう。だから、これは仮定とします。
 人の持つ【魂】の形は千差万別。
 口が狭く、底が深い杯。口は広く、底は浅い杯。微妙に変形した、芸術性に富んだ杯。ちょっとひび割れて、哀しく漏れる杯。
 そんな風に、人間の【魂】も千差万別なのです。
 で、それにそそがれる【水】には形がありません。杯の形によって、姿を変える。それが【水】の性質なのです。
 【愛】もそうです。【魂】にそそがれた【愛】は、【魂】の形によって姿を変えるのです。
 【愛】と呼ばれるものに掴み所が無いのは、きっとその為ですね。
 だって、【水】を掴むことは出来ないでしょう?
 きっと、それと同じですよ。
 器を用意しなくては。

 器によって姿を変える水。
 魂によって姿を変える愛。

 では、【愛】の七変化を見てみましょう。
 献身的な愛:それは凄いものです。相手の為に全てを捧げてしまうのですから。それこそ、自分の聖杯を満たしていた水を、聖杯が枯れるまで捧げてしまうなんて!
 強欲な愛:これも凄い物です。相手を求める為に全てを奪ってしまうのですから。それこそ、相手の聖杯を満たしていた水を、聖杯が枯れるまで奪ってしまうなんて!
 フェチシズム:これは不思議なものです。対象が物や事象なのですから。彼らの魂は、特別な形をしています。これは悪い事だとは思いません。決して、他の皆と同じである必要は無いのですからね。願わくば、もう少し融通の利く聖杯であって欲しいものですが。別に良いじゃないですか、その杯で酒を飲んでも、水を飲んでも、ウーロン茶を飲んでも。拘りは、聖杯の機能を制限してしまいますよ。
 家族愛:これは素晴らしいものです。恐らく、人が一番始めに経験する【愛】の一つですね。家族が、それぞれの聖杯の中で水をやり取りする。得てして親とは、自分の聖杯の中に水が少なくなってでも、子供に与えようとします。でもご心配無く。それが正しい方法に基づくなら、子供の笑顔を見る傍から、親の聖杯から水が湧き出すのです。
 友愛:これもなかなか。人生の一瞬を共にする同士と、惜しげ無く水を交し合う。そしてお互いの聖杯を満たしていた水を飲み干しては、その味を一生忘れることは無いのです。多分そのはずです。(^^;
 同性愛:不思議に思われますが、意外と不思議では無かったりします。ええ、同性と言えど、聖杯を満たす水を交わすことは出来るのですから。【愛】は男性と女性の間だけに交わされる特権ではありませんからね。勿論、子孫は残せませんが。【種族繁栄】と【愛】は、必ずしも両立するとは限りません。昔の人は、それを良く知っていたと見えます。
 自己愛:これもなかなか素晴らしいものです。自分の聖杯に涌き出た水を飲み、その味を好ましく思える。本当に自分を愛する人は、自分のとって最高の水を生み出します。ただね。どうせ美味しい水なら、皆にも分けてあげましょうよ。独占しちゃダメですよ。

 一応、これで七つですね。実際はもっとありますよ。器の形は、一人に付き一つ。同じ物は二つとして無い。千種の器に千種の愛です。

 さて、【聖杯】を満たすこの【水】ってどこから来るのでしょう?
 どこかから来るのです。だってそうじゃなきゃ、いずれ世界中の水が飲み干されてしまいますよ。水は飲む物ですから、減るんですよ、必ずね。
 湧いてくるんじゃ無いでしょうか? 聖杯の中から。
 いつも湧いてくるとは限りません。多分、切っ掛けが必要です。
 【呼び水】って言葉がありますが、正にこの言葉が適切だと思います。
 まず、何者かが生まれたての聖杯に水を注いであげるんです。で、飲みます。すると、その味の好ましさに心が動き、喜びと共に水が湧いてくるんです。多分ね。
 その一番始めは、親からかもしれません。
 もしかしたら、天上から降って来るのかも知れませんね。神の愛って奴でしょうか。

 これらの器に納まった水は、その器によって味が変わるようです。
 なので、彼の水の味は、彼女の水の味とは異なります。
 彼女にとって、彼の水の味は謎なんですね。飲んでみない事には。

 さて、象徴的な表現を【これでもか!】って位に連続させて書きましたが、疲れませんでした?(^^;
 ここまで読んだ人は偉いですね。(^^)
 でも、まだ続くんですよ。しかもこんな調子で。

 さて、恋愛に悩まれる諸氏に、一体何が問題なのかを提示して見ましょう。
 まずは、貴方の聖杯から水を飲み干す事です。おっと、また比喩になってしまった(^^;
 正しくは、まず貴方の愛情を、貴方が飲み込む必要があるのです。ご自身を愛する事が出来なければ、相手を愛することなんで出来ないと思いますよ。だってそうでしょう? 自分が飲もうとしない水を、相手に渡した所で飲んでくれますかね? 【もしや、毒が入っているのでは無いだろうか?】とか疑われるのが落ちです。
 さて、飲み干した後に、その味を吟味しましょう。味に満足出来なければ、もう一度聖杯を自分で湧き出させた水で満たし、もう一度飲みます。
 ここで注意。聖杯を水で満たす時は、可能な限り、自分に好ましい味に生み出す事です。試行錯誤加えてね。そうしないと、同じ事の繰り返し。水太りしますよ。周囲から見ると、それは自己偏愛です。
 満足出きる水が涌き出たのであれば、相手に分け与えましょう。
 決して、自分で満足出来ない愛を相手に渡さない事。だってそうでないと、自分が飲めない苦い青汁を相手に飲ませようとするのと同じですよ。

 実際の鑑定の際には、こんな言葉を使っています。
 【自分を愛しましょう。そして、愛する自分自身を、愛する方と分かち合いましょう】
 最も大切な方に、自分の最も大切なものを捧げる。これ程優れたギフトはありませんよね。(^^)

 さて、今のは【愛し方】って事になるのでしょうか。
 でもね。【愛し方】が上等でも、【愛され方】が分からなくちゃ、やっぱり恋愛は上手く行かないんですね。

 相手が分けてくれた愛情を、自分の聖杯でしっかりと受けとめる事です。ここまで出来る人って、結構居るんです。ただし、この後に問題があったりします。
 飲み干しましょう。勿体無いとか思わない。水は飲む物です。聖杯を空にしなくちゃ新しい水を湧き出させることは出来ないですし、相手から新たな水を貰うことすら出来ない。
 水は、鑑賞用にあるんじゃありませんよ。飲まなきゃ。その味を堪能して、その味が好ましければ、喜びと共に、新たな愛情が涌き出ます。それもまた好ましい味でしょう。そしたらまた、彼と分かち合いましょう。

 タロットカード大アルカナ14番【節制】
 図柄を見ると、天使が二つの器の間で水を交わしています。これ大切ですよー。
 タロットカード大アルカナ17番【星】
 図柄を見ると、女神が器から水を大地に注いでます。湧き出す水。溢れる愛情。溢れ出た愛を、愛すべき大地と分かち合う。ちなみにこの女神は天空の女神でして。天空の女神は大地を甚く愛しています。大地も然り。地から溢れだし、泉となり、女神が飲むのを待っています。

 と、まあこんな感じで良いですかね。(^^;
 恋愛に悩まれる諸氏方。
 でも、難しいことです。
 何故かって?
 思うに、最近の器はひび割れが酷い。漏ってる漏ってる。
 存分に恋愛を楽しむ為には、自分の聖杯。つまり魂の修繕をしなければならないのですから。

 【彼は本当に私のことを愛しているのでしょうか?】
 【それはまあそれとして、貴方は愛を受け支えるに充分な器をお持ちですか?】

聖杯はフルに使え

 私はマグカップでウーロン茶を飲みます。マグカップでお酒を飲んで、マグカップでコーンスープを飲みます。ハーブティーも飲みます。
 邪道ですかね(^^;
 でも、良いじゃないですか。飲めるんだから。それだけ使えるんですから。
 一つの器で、幾つもの種類の飲み物が飲める。素晴らしいじゃありませんか。
 皆さん。聖杯の使い渋りはいけませんよ。勿体無い。
 何だって入れられるのに。
 勿論、たまには舌に好ましく無い飲み物も飲むはめになります。
 私もマグカップで青汁を飲んだりするんです。

 皆さんがお持ちの聖杯は、どんな愛でも受け支えます。
 自分自身の愛。家族の愛。友人の愛。恋人の愛。その他諸々の諸愛を。
 
 器の使い方に通暁していなければ、器を満たす水に通暁することは出来ません。
 魂の使い方に通暁していなければ、魂を満たす愛に通暁することは出来ません。
 全く、愛の前に前提として取り組むべき事がある訳ですね。

 聖杯はフルに活用しましょう。それは聖杯と鍛えることに繋がります。

一つのまとめ

 皆さん、流石に読み疲れた頃と思われます。(^^;

 皆さん、確認して下さいね。
 【愛】には形はありませんよ。魂には形があります。しかも、それは時の変遷と共に、変わったりするものです。
 簡単に【愛】と言う言葉で治めるのは結構。しかし、それは一様では無いと知らなければ。
 本当に色々ですよ。
 【ストーカー】だって、それは【愛】だったりします。充分有り得る【愛】の一つの姿です。大抵嫌がられますが。
 【浮気・不倫】皆さん、勘違いしないで下さい。【愛】は、一時に一つだけとは限りません。同時に二つの【愛】が涌き出る事があるのです。社会的な通念で制限されるほど、【愛】は単純でも無いですし、やわでもありません。それは魔法に掛かったように涌き出るんです。不倫に悩む諸氏。好きな方が複数居て悩む諸氏。貴方は異常ではありません。ただ時に決断が要されると言うだけの事。
 【愛】を求める方は、これらの【愛】をも受けとめる覚悟が必要なんです。
 そう、何かを愛するには覚悟が必要です。
 生半可な覚悟で悩まれる時程、占い師が困り、苛立つことはありません。

 【彼との恋愛は上手く行きますか?】
 【それはまあそれとして、貴方は彼を愛する覚悟をお持ちですか?】
 【・・・】
 【・・・】
 【持っています】
 【愛すると言う意味をご存知で?】


 冒頭に引用した聖書の言葉を再度ご参照下さい。
 そこに書かれた内容が【愛】の全てだとは言いません。しかし、多くの真実を含んでいます。
 その意味を知り、覚悟出来る方は多く無いでしょう。しかし、望み近付こうとされる方は素晴らしい!
 それら方に祝福がありますように(^^)


 【ああ! この言い知れぬ気持ち。胸から溢れ出しそうなこの気持ち。君にこの気持ちの素晴らしさが分かるかい!】
 【さあね・・・】
 【気持ちが一向に治まらないよ! 一体どうしたら良いのだろう!】
 【勿体無いから、溢れそうな分、彼女に分けてくれば】

 お粗末(^^;