甘い言葉

  一般人の日常生活に、本来『占い』と言うものはそれほど必要ではありません。
 未来と言うものは、過去から現在にかけて作り出した要因が、時間を経て結果をもたらしたものであり、それを考えれば、常に自分の言動に注意を払い、そしてその影響力を正確に分析できるのであれば、未来を推測することは容易いことなのです。
 しかし当然ながら、日常の言動への注意や、未来分析など、そんなことを一々やっていては日常生活がままなりません。そこで、その方面の専門技術者として占い師達が居るわけです。
 占い師達の仕事とは、『現状から考えて最も可能性のある未来を予測し、その未来が悪いものであれば、クライアントに対して改善策を提案する』と言うのが一つ、『クライアントの自己決断や、問題整理の手伝いをする』と言うのがもう一つ。
 これはクライアントが求めなくとも、占い師の基本的な業務なのです。

 さて、本題へ。
 占い師として、何人かのクライアントに接していれば分かることですが、彼らは占い師に『何か』を求めてやってきます。そしてそれは、占い師がその気になりさえすれば、直ぐにでも提供できるものなのです。
 それは『甘い言葉』。良い方向性を意味する占いの結果。自分が抱えている問題から救われる答え。
 つまり自分に都合の良い答えが、占い師の口から出てくることを求めているのです。勿論心のうちでは、占いの結果が必ずしも良いことばかりではないと分かっています。しかし分かっていても、良い答えを言って欲しいと願ってしまう。
 参ったことに、占い師にはこの心の声が良く聞こえるのです。表情の変化や声の調子。占い師の一声一声に対する微妙な反応。
 正直、クライアントを喜ばせて帰すというのは、占い師達にとって余りにも簡単なことなのです。相手が言って欲しいと思っていることを感じ取り、それを言葉にしてあげれば良いのですから。しかし占い師は、『未来を予測する技術』を持つ職人です。であれば、クライアントの今のにわか喜びを提供するのではなく、未来の成功の鍵を提供するのが本来のはずなのです。

 とある占い師さんのサイトへ訪れた時、占い師にとってはある意味耳の痛い文章を拝見しました。元々認識してはいたものの、改めて考える良い機会となりました。占い師の皆さんは、是非ともご一読下さい。

占い師RYUU氏のサイト 『占いの宿』(TOP)
RYUUの主張!『第1回』(参照文章へ)
注・占い師RYUU氏には、リンクの了承を得ています。

 ぶっちゃけて言いますと・・・常葉の樽の中も『甘い蜜(言葉)』で一杯です。汲めども尽きぬこの甘露。そしてその蜜は、どれだけ舐めても満足することはないのです。
 占断を行うにあたり、恐らくこの『甘い言葉』さえ囁いていれば、クライアントは喜んで帰っていくことでしょう。そして日常生活に疲れ、またその蜜を求め、占い師の所へ訪れるはずです。リピート率が上がるのだから占い屋は大儲け。しかし、その『甘い言葉』が偽りであれば、現実を見つめた時のクライアントはただ空しいだけなのです。
 それを知っておきながら、『甘い蜜(言葉)』を配り続ける占い師が、この業界には居るのです。勿論全てではありません。しかし、確実に居るのです。意識的か、無意識的かまでは分かりませんが、確実に・・・

 常葉はどうか? どの部類か?

 正直申しましょう。常葉は『甘い蜜』を配る部類です。しかもかなり上質な蜜です。常葉がクライアントを占うにあたり、樽から蜜を汲み取らぬことは殆どありません。
 占いの結果、どんなに絶望的に悪い結果が出ても『悪い』『最悪だ』『絶望的だ』と言う言葉は、常葉の口から出てきません。悪い結果が出た時、大体『あまり良くない』『悪くはない』と、否定形の言葉を使います。『悪くない』イコール『良い』では無い所がミソ。嗚呼、何と姑息な言い回しでしょうか。


 悪い結果が出ても正直にそれを教えず、一歩間違えれば偽りにもなり得る『甘い言葉』を配る常葉は、正に『悪い占い師』そのものではないでしょうか!
 ここで話が終わったら、身も蓋もないですよね。

 常葉は、『言葉の扱い方』に信念を持っていますし、『言葉の扱い方』に自信も持っています。『甘い言葉』も姑息な言い回しも、その信念と自信の下に扱っているのです。
 皆さん。アロエを生で食べたことはありますか? ヨーグルトとかジュースに入っているのではなく、生えているアロエを折り、皮を剥いた生のアロエです。とても健康に良く、風邪をひいたときなどに食べますが、これが苦いこと苦いこと。まず子供は嫌がって食べません。そこで、アロエの果肉をスプーンですくい、砂糖をまぶして食べさせます。
 にがーい粉状の薬は、オブラートと言われる、溶ける紙のような物に包んで飲みこみます。子供の風邪薬はイチゴ味?のシロップになっていたりもしますね。

 私は確かに『甘い蜜』を配りますが、それには目的があるのです。私はその蜜の中に、巧妙に苦い薬を溶けこませているのです。
 私が多くのクライアントを占って実感したのは、『厳しい現実をつきつけても、それに向き合える人は少ない』と言うことでした。
まだ占い師としてクライアントに向かい合って間も無い頃は、『悪いことが出ても正直に言ってください』と言われれば、本当に身も蓋も無いほどにストレートに言っていました。しかし、『正直に言ってください』と言っておきながら、問題を全身で受け止め、向き合う姿勢を保った人は殆ど居なかったのです。大体はショックを受け、呆然と帰るか、自嘲気味に『ついてないなぁ』と呟いて帰るか、『占いなんて信じてないから』とわざわざ自分を納得させてから帰るかです。
 しばらく、多くのクライアントに接して分かったことは、相談に来る人の中には、悩み疲れ、問題を全身で受け止めるだけの気力が無い人も居る、と言うことでした。また、人間はいつでも問題と向き合える準備が出来ているわけではない、と言うことにも気が付きました。
 しかし、占いの結果と言うものは、クライアントの気力が回復した時に、またクライアントの準備が出来た時に知らせに行けるというものではありません。
 そこで、向き合うべき問題をオブラートで包み、飲み込んだ時は苦くなく、然るべき後に効果を発するように工夫することを考えたのです。

 占断の一例を載せましょう。
 質問内容は恋愛についてです。クライアントは女性。彼女はある男性に片思いをしています。スプレッドはスリーカードを使いましょう。
 過去のポジションに『カップのページ』。現在に『ソードのクイーン』。未来に『カップの2・リバース』です。
 
 『過去貴方は、恋愛対象とするのに魅力的な男性と出会った。彼は可愛げのある同年代または年下の男性で、貴方は彼の魅力にとても惹かれている。しかし貴方は、恋愛に対して奥手であり、また不信感を持っている。相手を好きである、という感情はあるが、上手いコミュニケーションを取ることが出来ず、恋愛に関して消極的でもある。そしてその性質を自分で変えることが出来ない。自分からのアプローチが出来ないこともあり、相手に気持ちを伝えることも出来ず、恋愛関係成立させることは極めて困難であろう』

 オブラートに包まなければこのような結果になります。確かに要点を突いていて、占いとしては上等の部類ではありますが、クライアントはこの結果を受け止めて、問題に向き合うことが出来るのでしょうか? 意外とショックを与える内容です。
 では、常葉の樽から甘い蜜を加えてみましょう。

 『貴方は、性質として恋愛に奥手な女性です。恋愛に不信感を持っているのかもしれません。しかし過去、そんな貴方でも恋愛対象として魅力を感じることの出来る男性と出会いました。彼は可愛げのある、同年代か年下の男性です。誠実・勤勉・純粋で、正に恋をするに相応しい相手です。しかし、貴方はコミュニケーションが苦手なので、相手になかなか上手く気持ちを伝えることが出来ません。このまま気持ちを伝えることが出来ないと、恋愛は進展することが出来ないのです。しかし恐がることはありません。相手は疑うには及ばない男性ですし、貴方には多少近寄りがたさはありますが、女性として充分魅力的です。後は、もっと自分を積極的に変化させ、怖れずに相手に近寄っていくことです。相手と気持ちを交し合うことが出来れば、彼は貴方に興味を持つでしょう。それがまず、恋愛への第一歩なのです。』

 常葉の甘い蜜を加えた時、方向性は必ずクライアントが求めている結果に向かいます。上記の場合、クライアントの好きな男性といずれ付き合い始めるだろうことを前提に話していきます。
 占い結果そのものの問題点は、現在の位置にある『ソードのクイーン』です。キャリア・ウーマン的に独立した女性ですが、コミュニケーションに関して消極的・懐疑的であり、孤立しています。クライアントが向き合うべきは、自分自信の性質であり、その性質が『カップの2・リバース』の意味する、気持ちが伝わらない、恋愛関係が成立しない、と言う結果をもたらすのです。しかし、それをダイレクトに述べて、クライアントは問題を受け止め、向き合うことが出来るのでしょうか? 出来ます。恐らく出来ますが・・・しかし、容易ではありません。『クライアントの性質が悪いから、恋愛が上手く行かない』と本人の性質を否定してしまうのですから。
 甘い蜜を加え、オブラートに包んだ場合、クライアントはこの恋愛に前向きに取り組むことが出来ます。しかし、ある時期になって壁にぶつかることになるでしょう。その時となって始めて、自分の消極的な性質に向き合う必要性を自覚するのです。そして自分を変える(成長させる)と言う作業は、自分が取り組んできた恋愛を成就するための手段であって、決してそれまでの自分の性質を否定するものにはなりません。
 どちらの占断内容も噛み砕けば同じ結果を言っているのですが、甘い言葉を適量加えるだけで、これほど巧妙な効果を期待できるのです。

 占い師は、クライアントと向き合い、クライアントの問題を占っている時点で、多くの障害を発見します。それはクライアント本人の精神的な未熟さや、クライアントの置かれている環境、そして予測される将来の暗い影。全てにおいて恵まれたクライアントは殆どいませんし、恵まれている人物は占い師のもとには訪れないでしょう。
 その意味で、占いを行った結果必ず何らかの問題が浮かび上がるはずなのです。そしてそれは、遅かれ早かれ、クライアント自身いずれ向かい合わなければならないものなのです。占い師はその問題を知ったとき、特別なことが無い限り必ず伝えなければなりません。勿論それには工夫が必要ですが。
 その事実を述べるのは、占い師の『苦い言葉』と言えるでしょう。

 『甘い言葉』と『苦い言葉』
 どちらも使い方によっては、クライアントを破滅に追いやる『劇薬』となります。また逆に、上手な使い方をすることによって、どんな難病をも癒し得る『万能薬』ともなるでしょう。
 我々占い師は、クライアントの症状に応じて、『甘い言葉』と『苦い言葉』を上手い具合に調合しなければなりません。『甘い言葉』ばかりを囁いていればクライアントは喜ぶでしょうが、時に中毒となり、やはり身を滅ぼします。『苦い言葉』は、その苦さによっては一撃必殺で相手をノックアウトしてくれます。疲れたとき、体を癒す程度の『甘い言葉』の摂取は良いと思いますし、だらけた生活に気付けとして『苦い言葉』を聞いても良いと思います。しかし、その適切な分量を測るには、占い師としてもかなりの力量が要求されるのです。

 占い師RYUU氏の主張を読んだとき、改めて自分の言葉の処方が、本当に適切に成されているのかを考えました。考えて、どうやら近頃『甘い言葉』の分量がやや多目であることにも気が付きました。さっそく分量調整。占い師としての自分を省みるのに、とても良い機会になったのです。
 『甘い言葉』はある意味『麻薬』みたいなものです。クライアントも占い師自身も、気を抜けばすぐに中毒になってしまいます。扱い方にはやはり、充分な注意が必要なのです。

 さて、つらつらと書いてきましたが、最後に私がこの文章を書く切っ掛けになったRYUU氏の主張から、最も心に残った文章をここに引用させて頂きます。

『占いや占い師なんて、いかがわしいから、心だけは 正しくしておかないと本当に堕落してしまう。』
 私は、過去の自分に こう言い聞かせる。
 そしてさらに言う。
 俺は こんな人生哲学モドキがあみ出せるくらいタフになった、と。

 占い師は、クライアントの前で特別な仮面を被らなければいけません。占い師という仮面。しかしその仮面の下には、悩みを相談に来るクライアントと同じ、個人と言う人格が潜んでいるのです。しかし、クライアントには占い師は占い師にしか見えないでしょうし、勿論占い師であることを望みます。
 収入も安定しているとは言えませんし、いやはや何ともキツイ職業です。
 それでも占い師として生きようと思ったとき、私も自分に語りかけます。

 『お前は人間が好きなんだな。』

  心だけは正しく。
 技法は、場合によっては二の次でも良いかもしれません。そもそも心が正しければ、技法の修得にも力が入ると思います。
 信念を持って参りましょう。

結局、俺は何が言いたかったんだろう・・・? ・・・ま、いっか・・・

文章を書くにあたり、サイトへのリンク、文章の引用を快く承諾して下さったRYUU氏に感謝致します。
 また、多くの占い師の方々にエールを。