Key5 皇帝の都

  王都へ入る門を前にして、バジルは目を丸くしていた。
  想像を越えた光景に、言葉も無く、ただ唖然としている。

 目の前には、夕日を受けて黄金に輝く、巨大な外壁がある。
 どんなに長い梯子を用意しても、登る事が出来ないような高さ。
 右を見ても左を見ても、その端を知る事が出来ない。
 その外壁には、森から侵食した植物の蔦が絡まっていたが、どんなに上を目指したとしても、その壁を越える事は出来ないようだった。
 その外壁を貫き、王都に進入する為には、門を潜らなければならない。
 その門の大きさと言ったら、バジルが寝泊りしていた小屋が、5、6個位は横に並ぶのでは無いかと思われる程。
 そもそも、人の手によって、この門の開閉が出来るのかさえ疑われる。

 「・・・・これ・・・誰が作ったの?」
 門の頂点を眺めようとしてか、顔を上に向け、口をポカンと開けながらバジルが呟く。
 その様子を眺めながら、コーセルは軽く微笑んだ。
 「誰だと思う?」
 「・・・王様?」
 「正解・・・と言いたい所だけど、王様だけじゃ作れないよね。」
 これを聞いたバジルは、その意図を飲み込むのに暫く掛かった。
 まだ暫く、口をポカンと開けながら上を眺めていたが、意図を理解した途端、少しムッとしながらコーセルを睨み付ける。
 「分かってるよ! 作ったのは大工さんでしょ。」
 「正解」
 コーセルは、バジルの顔を見てニヤリと笑う。

 「−おい、ボーっとしてないで、そろそろ行くぞ−」
 足元でウロウロしていたロボウが、いつまで経っても前進しない二人に向かって吠えた。

 ロボウの呼びかけに応え、コーセルは門の方へと近付いて行く。
 コーセルは、巨大な門の前に立つと、大きく三度、拳をもって叩いた。
 腹に響くような大きな金属音が響く。

 「・・・王都の門前に立ち、これを三度叩く者は何者か?」
 響き渡る低い声に、バジルはギョッとした。
 門を叩いた時と同じような低い金属音で、なんと、門自身が語り出したのだ。
 バジルは驚いてロボウの顔に視線を移すが、ロボウは平然とした顔で門を眺めている。
 再びコーセルの方へ視線を移すと、コーセルもいつもの様子で、バジルに「こっちにおいで」と手招きをしていた。
 バジルは、恐る恐ると言った感じで、コーセルの方へと近付く。
 すると再び、
 「王都の門前に立ち、これを三度叩く者は何者か? 名を名乗れ。」
 と門が響いた。


 「私の名前はコーセル」
 「コーセルよ。汝の生業は?」
 「魔術師だ」
 「魔術師の、コーセルよ。この王都には何用か?」
 「皇帝にお会いしたい」
 「皇帝に謁見を求める、魔術師の、コーセルよ。我が主に会わんとするは、何故か?」
 「この都市を初めて訪れる旅人を紹介する為だ。」
 「初めて王都を訪れる旅人を紹介せんが為、皇帝に謁見を求める、魔術師の、コーセルよ。その旅人とは何者か?」

 低い金属音で問いかける門は、コーセルの答えを一々復唱しながら話を進めた。
 まるで、【その言葉は、その言葉通りの拘束力を持ち、一切の逸脱を許さない】とでも言うかのようだ。

 「−相変らず、面倒臭い門だなぁ・・−」
 門とコーセルのやり取りを聞いていたロボウが、うんざりとした顔でボソリと呟く。
 それを聞いたコーセルは、「仕方ない」と言った顔で軽く笑う。
 それから、バジルの方に視線を移すと、
 「自分で名乗ってごらん」
 とバジルを促した。


 「えっと・・・バジルです」
 「バジルよ。汝の生業は?」
 「え?」


 バジルは、故郷の町において、町人達の仕事を色々と手伝ったりはしていたが、特定の仕事に就いている訳では無かった。
 生業と言われても、答えられるモノは無い。
 バジルは困ってコーセルの方を見る。
 「旅人で大丈夫だよ。」
 「た・・旅人です!」
 「旅人の、バジルよ。この王都には何用か?」
 「えっと・・・別に用事は無いんだけど・・・」
 「・・・」
 「・・・」
 「旅人の、バジルよ。王都に用事無くば、立ち去るが良い」
 これを聞いていたコーセルとロボウは、思わず噴き出して笑いだす。
 帰れと言われた当のバジルは、慌てて答える。
 「い・・色々なモノを見に来ました!」

 
 暫くの沈黙が有った。
 バジルは、自分の答えがダメだったのかと思い、ちょっと顔が青くなる。
 笑っていたコーセルとロボウも、真剣な顔を取り戻し、門の答えを持った。

 思慮深く、何事かを考えるかのような空白の時間の後、門はゆっくりと語りだした。

 「・・・・よかろう。王都へ見聞を広めに来た、旅人の、バジルよ。初めて王都を訪れる旅人を紹介せんが為、皇帝に謁見を求める、魔術師の、コーセルと共に、この門を通過する事を認める。一度この門を潜れば、そこは我が主の治める都。何者であろうとも、主の定めたる法に従わねばならぬ。王都に足を踏み入れる者は驚愕せよ。我が主の成し遂げるすべての事業が、如何に偉大なるかを知れ。」


 一通り語り終えると、甲高く軋む金属音と共に、門はゆっくりと開き始めた。
 コーセルはホッとした顔で歩き出し、その後ろを、少し緊張した面持ちのバジルが付いて行く。
 すると、バジルの後ろで座っていたロボウが、門に向って声を張り上げた。

 「−王都へ見聞を広めに来た旅人のバジルの道連れである、モノ言う犬のロボウも、この門を潜るぞ!−」
 コーセルとバジルは振り返る。
 ロボウは、門前に座ったまま、門の回答を待っていた。
 しばらくの間が有った後、金属音を響かせながら、大義そうに門が答えた。
 「・・・・・イヌには、問うておらん」
 「−!−」

 ちょっとしたトラブルは有ったが、バジル達は、無事に王都に入る事が出来た。

 
 王都は、見るからに洗練された都市だった。
 故郷を旅立った後、バジルは、幾つもの都市を訪れていたが、どれも王都には敵わない。
 整然とした街並みは勿論の事、行き交う人の多さ、賑わう商店の数。
 人々の表情は皆充実しており、活力に満ちていた。
 いずれも、バジルがこれまで見て来たモノの中で一番であり、改めて、この世界が常に自分の想像の一つ上を行く事を思い知らされた感じだ。
 中央の大路の遥か向こうには、巨大なお城が見える。
 そこが今回の目的地。
 この国を治め、この都市を治める【皇帝】の住まいだ。
 コーセルはバジルの前を行き、足元をくっついてくるロボウと何か話をしている。
 どうやら、門前での出来事が甚だ不服らしく、ロボウはコーセルに愚痴っているようだ。
 バジルは、この広大な都市の中で、何とか迷子にならぬよう、コーセルの後をついて行く。
 とは言え、全く初めての、しかも洗練された最先端の都市。
 バジルの気を惹くモノが多く、目移りをしている間に、コーセルと距離が離れてしまう事もしばしば。
 その度に、距離が離れてしまった事に気付いたバジルが、急いでコーセルを追いかけるか。或いは、後ろをついて来ないバジルに気付き、コーセルとロボウが引き返して来るか。
 チグハグとしたスピードで、大路を進むのであった。

 お城まで半分位の距離に至った時。
 バジルは、大声を張り上げながら、大路のど真ん中を行進する集団を見かけた。
 その集団に属する何人かは、文字や絵の描かれた木版を手にして、大声に合わせて掲げている。
 その集団の様子には、鬼気迫るモノがあり、バジルはギョッとして道の端っこに身を引いた。
 落ち着いて周囲を見回してみると、他の人々も複雑な表情で、その集団を遠巻きに眺めている。

 
 「戦争反対!!」
 「皇帝は、侵略を止めろ!」
 「暴君は退陣すべし!」
 「若者を戦地へ送るな!」


 集団は、大声でそんな事を叫び、大路の真ん中を行進して行く。
 その集団の少し離れた後ろには、これまた集団になった兵士達が、大人しく、しかし注意深く、先行する集団を監視するかのように歩いていた。
 バジルは、これらの兵士が、集団を止めようとしているのかと思ったが、その様子は見られず、どうやら、ただ後ろについて、監視しているだけのようだった。

 バジルは、集団が通り過ぎるのを眺めながら、体が固くなる感覚を覚えた。

 若しかしたら、これから会いに行く王様は、とても怖い人なのかも知れない。
 物語に出て来るような、悪い王様なのかも知れない。

 「バジル?」
 背後から声を掛けられ、バジルはビクっとする。
 「どうしたんだい?」
 振り返ると、そこにはコーセルが立っていた。
 バジルは、少しホッとしたが、それでも複雑な表情のまま、過ぎ去った集団の方に目をやった。
 「コーセル・・・あの人達は、王様に対して怒っているんだよね?」
 コーセルは、既に遠くなった掛け声の方に目線をやると、少し表情を曇らせた。
 「どうやら、戦争が近いようだね・・・。全てでは無いにせよ、一部の人間は怒るよ。戦争を望む人なんて、多くは無いだろうから・・・」
 そう言うと、コーセルはバジルの背中に手を添え、進路への歩みを促した。
 促されて、バジルは歩き出す。
 しかし、先程のように、軽快な足取りにはなれない。不安な表情をしながら、コーセルに訪ねた。
 「これから会う王様は、怖い人なのかなぁ?」
 「怖い? う〜ん・・・確かに、怖いかもね。」
 「怖いの!?」
 バジルは足を止めてしまう。
 「怖いと言うか、厳しい人だよ。何事にも妥協を許さない。だから、怖いとも言える。でも、ちゃんとしていれば認めてくれるし、流されはしないけど、情も深い。だから、優しいとも言える。」
 コーセルは、バジルの背中を押して、再び歩みを促す。
 「何だか怖いな・・・」
 コーセルは、バジルの不安そうな表情を見て、困ったように表情を曇らせた。
 すると、足元からロボウが口を出した。
 「−怖がる必要は無い。あいつも、お前と同じ人間だ。何も、お前を取って食ったりはしないだろ。何かあれば、俺が噛み付いてやる―」
 バジルは、驚いて足元のロボウに目をやった。
 王様の事を【あいつ】呼ばわりする尊大さ。
 しかも、いざとなったら助けてくれると言う。
 いつになく力強いロボウの言葉に、バジルはジーンとするものがこみ上げるのを感じる。
 ロボウは、バジルのその様子を横目で眺めると、少しニヤリとして言葉を続ける。
 「−まあ・・・多少なり叱られた方が、お前の場合は良いと思うがな!−」

 その後暫くして、バジル達は皇帝の住まう城まで到着した。
 この短時間の間に、バジルの足には噛み傷が三つ増え、ロボウにはタンコブが二つ増えた。恐らく、コーセルには白髪が二、三本増えたのでは無いだろうか。

 コーセルが城門の前に立つ兵士に声を掛け、訪問の要件を伝えると、間も無くして門が開き、文官の一人がバジル達を中に誘う。
 城内は広く荘厳で、その重々しい厳粛な雰囲気だけでも、充分にバジルを圧倒した。
 緊張した面持ちのバジルと、普段通りのコーセル。そして、自分の家かのように寛いだ雰囲気のロボウは、文官に誘われながら、大きな回廊を進んで行く。
 幾つかの階段を上り、幾つかの部屋を通り、途中で書類に名前を記入して、最後に一際豪奢な紋様が施された扉の前まで来る。
 王様の居る部屋らしい。
 文官が扉をノックすると、コーセルもロボウも居住まいを正した。
 それを見たバジルは、自分もそれに習って姿勢を正し、扉が開くのを待つのだった。

 扉がゆっくりと開いた。
 その瞬間・・・
 「馬鹿者!!」
 鋭く鬼気迫る怒声が、部屋の内側から飛んで来た。
 突然の事に、バジルの体がビクッとなる。
 「いつまでそんな事を言っている!! 北は防衛の要だぞ! 一刻の猶予もならん!! 直ぐに土地を均し、要塞を整えろ!」
 「しかし! 住民の理解を得られてはおりません! 何代も前から土地に住む者達は、土地を離れる事を拒んでいます!」
 「その地を敵に奪われれば同じ事だ! その上、陣を築かれれば、そのまま都に攻め上がられるぞ! 一部の民の為に、より多くの民の命を危険にさらす訳にはいかん!」
 「では、住民達は何処へ行けと言うのですか!」
 「新しい地を拓くのだ!」
 「そんな簡単な話では有りません! 先祖伝来の地を捨て、一から村を興せと言うのですか! そんなの無理だ!」
 「その先祖は、自らその地を拓いたのだ! 先人に習うなら、自ら新しい地を切り拓け。過去に甘んじるな!」
 「しかし!!」


 部屋の中では、文官らしき青年と、赤いマントを羽織り、如何にも高貴な身なりをした初老の男性との、大声での応酬がなされていた。
 お互いに一歩も譲る様子は無く、顔を真っ赤にしながら言い合っている。
 穏やかならぬその雰囲気に、バジルは居心地の悪さを感じ、顔を俯けた。
 すると、隣に立っていたコーセルが、部屋の中へと歩み始めた。
 バジルは驚きながら、コーセルを目線で追う。
 コーセルは言い合いをしている二人に近付き、二人に負けぬ程の大声で、しかし努めて冷静に割って入る。
 「何よりもまず、その村の住民に、現在差し迫っている危険を説明しましょう。どの様な危険が有り、どの様な理由で、その地に要塞を建てるのか。建てぬ場合には、どのような事が起こり得るのか。そして、新しい地へ移動する事を勧める。より具体的な計画を、丁寧に提案すべきです。」
 突然割って入った言葉に驚き、言い合っていた二人は、一瞬沈黙する。
 土地の移動に反対していた文官らしき青年は、コーセルの顔をマジマジと眺めた後、一息付き、それから冷静を心掛けて口を開いた。
 「計画を提示するにしても、容易で無い事には変わりが有りません。」
 コーセルは、すかさず応じた。
 「そこをフォローするのが、貴方達公職の役目でしょう。極力無理の無い計画を立て、足りない部分は、国庫を以て補うべきです。」
 「国の資産は、そんな簡単に出せるモノではありません!」
 「事は、国家の存立に関わります。使うべき所には使う。要塞の建設費用に、村の移設費用を上乗せすべきでしょう。」
 文官は言葉に窮し、言い争っていた、赤いマントを羽織った相手の方に目をやった。
 初老の男性は、ゆっくりと話だす。
 「よかろう。国防の費用に、村の移設費用を上乗せさせる。・・・しかし、それで民が納得しなかったらどうする?」
 「事は、国家の存立に関わるのです。どうしても納得を得られなければ、強制的に排除する以外に、方法は有りません。」
 「何という事を!」
 文官が、再び顔を真っ赤にして、叫ぶように反論する。
 「民は国家の礎。国家の財宝です! 民の怒りを買っても良いのですか!」
 「では、余がその怒りを全て買ってくれよう! 決まりだ! 直ぐに取り掛かれ!」
 「しかし!」
 「これ以上の問題は無用だ!」
 最後の一言は、一切の反論を許さぬと言った風で、文官も暫く口をモゴモゴとして居たが、間も無く、憤然とした様子で部屋を出て行った。
 バジルは、この緊迫したやり取りを、ほぼ直立不動のまま、背中に汗を滲ませながら聞いていた。

 ひと騒動を終え、初老の男性は、大きくため息を吐くと、石の玉座にドカッと座った。
 それから改めてコーセルの方に目をやる。
 その目線を感じ取ったコーセルは、再び居住まいを正すと、深々と頭を下げた。
 「お久しぶりで御座います、皇帝陛下。ご機嫌麗しゅう・・」
 「ご機嫌麗しく見えるのか?」
 コーセルは顔を上げると、困ったような顔をして、バジルの方を振り返った。


 バジルは、早く帰りたいと思った。
 先程まで、顔を真っ赤にしながら怒鳴っていた【皇帝】に、頭のてっぺんから足の先まで、値踏みされるように見つめられている。
 居心地が悪い。
 視線の置き所に困る。
 コーセルに助けを求めたいが、コーセルは部屋の端っこにある机に向かい、必死な顔をして、何やら図面のようなモノをひいている。
 コーセルが【皇帝】に挨拶をした後、論争の助成をした事にお褒めの言葉が有るかと思いきや、いきなりお小言が始まった。
 曰く、コーセルは数年前、皇帝に依頼された仕事を放り出して、いきなり旅に出てしまったらしい。
 怒鳴りあげられはしなかったが、まるで滲み出るかのような怒気に圧倒され、顔が真っ青になって行くコーセルの様子は、バジルが見ていてもゾッとした。
 それでコーセルは、皇帝に指示され、やり残した仕事に取り掛かっていると言う訳だ。
 こんな状況の中、平然とした顔をしているのは、足元に寛いで座っているロボウだけだった。
 「バジルと言ったか?」
 皇帝がバジルに声を掛ける。
 「は・・・はい。」
 緊張の為か、声が少し震えている。
 皇帝は、その様子に初めて気付いた風で、少し表情を緩めた。
 「緊張せんでも良いぞ。どうやら、怖い思いをさせてしまったようだ。すまなかったな。」
 ごく柔らかい声で、皇帝は話しかけた。
 バジルは、相変らず緊張して居たが、ただ怖いだけでは無いと感じ、少し気が楽になった。
 「コーセルと共に、旅をしているのだったな? 見聞を広める為だとか。どうだ、我が国は。何か、余に聞きたい事は無いか?」
 バジルは、少し考える。
 それから、この都市に来てから感じた幾つかの疑問をぶつけてみる事にした。
 「王様は、これから戦争をするのですか?」
 皇帝は、少し意外そうな顔をして、バジルを眺める。
 「戦争に興味があるのか?」
 「ち・・違います!」
 「ん?」
 「ただ・・・ここに来る途中で、戦争を嫌がっている人達と擦れ違いました。」
 「ああ・・・デモか。・・・どんな様子だった?」
 「みんな、とても怒っているみたいでした。」
 「・・・ふむ」
 「あ・・でも。周りで見ている人達は、ちょっと不安そうな顔をしてたけど、特に気にしていない人達もいました。」
 「そうか」
 「・・・」
 「・・・」
 「戦争・・・するんですか?」

 皇帝は、バジルの目を見据えた。
 それからゆっくり立ち上がると、窓辺の方へ歩いて行き、外を眺める。
 遠い目をしながら、暫く外を眺めると、バジルの方に振り返る、「こっちに来なさい」と手招きをした。
 バジルは、皇帝の近くまで行き、窓の外を眺める。
 眼下には、兵士の訓練場と思しき場所が見られ、そこでは、多くの兵士達が、実践さながらの訓練に励んでいた。
 「お前の言う通り、戦争が近付いている。彼らは、それに備えて、訓練を行っているのだ。先程の文官とのやり取りも、それに関わっている。北方の国が、我が国の領土と資源を欲しがっているのだ。今は、外交官達が必死になって交渉をしているが、交渉が上手く行かねば、戦争になる事だろう。余とて、戦争などしたくは無いが、国や民を守る為には、戦わねばならん。勿論、民も戦争を望んだりはすまい。・・・いや、一部は望む者も居るがな・・・」
 バジルは、訓練場から目を離し、皇帝の目を見つめた。
 皇帝は、その視線に込められた思いを察し、言葉を続ける。
 「人は様々だ。多くの民が戦争を嫌がるが、戦争を望む者も居る。平和を愛好する者も居れば、戦争に臨み、国家の威信を高めたいと言う者も居る。戦争を避ける為、強く抵抗する者も居れば、致し方無いと諦め、或いは受け入れる者も居る。」
 皇帝は、窓の外に目を遣り、遠くを指差した。
 バジルは、その方向に目線を走らせる。
 指差された方には、建築途中の大きな建物が見えた。
 また、その付近には大きな公園が有り、子供達が楽しそうに遊んでいる。
 「我が国は、まだまだ発展するぞ。至る所で、新しいモノが作られ、それは民を豊かにするだろう。子供達は、不安も無く、公園で遊ぶ事が出来る。しかしな・・・」
 皇帝は再び、訓練場を指差した。
 「その発展と平和は、彼らの努力と犠牲の下に成り立っているのだ。」

 「少なくとも、今、我が国は平和だ。しかし、その平和は無条件に得られたモノでは無い。先人達の少なく無い労苦。多くの血と汗と涙の上に、今の平和は築かれている。我らの平和の為に、誰かが犠牲になったのだ。そして、未来の世代達に平和を残す為には、今の時代での労苦を惜しんではならない。これは、今の世代を生きる者達の務めであり、使命だ。勿論、それで少なく無い民達は苦労を強いられ、時に怒り、時に悲しみ、時に恨むだろう。私は、この国の王として、その怒りを一身に背負わなければならない。その悲しみを一身に背負わなければならない。国の為ならば、民達の恨みを一身に受けなければならない。その覚悟で、私はここに居るのだ。必要ならば、戦争もしよう。戦争をすれば、多くの未来ある若者達を死に至らしめるだろう。その為、伴侶を失い、父を失い、友を失う者が現れるだろう。私は、ただ一人、私の責任として、その死を受け入れ、その怒りと悲しみと、そして恨みを受けよう。」

 バジルは言葉も無く、ただ、皇帝の淡々とした語りを聞いていた。
 言葉は淡々として居たが、その中に、強い意志を感じられた。
 それだけでは無い。
 言いようの無い孤独さと、悲痛な叫びを感じた気がした。
 それは、余りにも重たい言葉だった。
 自分の思うままに、正に自由に生きて来たバジルとは、対極に位置するような生き方だ。
 「辛くは無いんですか?」
 バジルの問いに、皇帝は一瞬表情を曇らせた。
 それから、物憂げに顔を逸らすと、ゆっくりと石の玉座に戻って行く。
 「・・・確かに、辛いと思う時も有る。しかし、それに見合う意義有る生き方をしているつもりだ。」
 バジルは窓際から動く事無く、目だけで皇帝の行方を追った。
 皇帝は玉座に座ると、目の前の机の上を見て、フッと表情を緩ませる。
 机上には、大きな建築物の図面らしきものが広がっていた。
 「何も、戦争の事ばかりで頭を悩ませている訳では無いからな。国を創り、民を豊かにして行く為に、色々な事業を行うのは、案外楽しいものだぞ。臣下達と大喧嘩する事も有るが、それもまた、なかなか有意義だ!」
 皇帝は、先程の物憂げな表情を消し去り、明るい誇らしげな顔をして、図面をバジルに向けて広げて見せる。
 「見よ! どうだ、これは? バジルはどう思う?」
 バジルは、足早に近寄って、それを眺める。
 それは、幾つかの建物が寄り集まった施設の図面で、実に細やかな線が引かれ、後書きと思われるアイデアの書き込みが幾つもなされていた。
 【老人たちが集まって談話出来る場所】【子供たちの遊べる公園】【談話室から公園が見て取れる】【公園は、学問所の近くに】【建物の段差は極力少なく】【商業ギルドと工業ギルドを併設する】【役人の駐在所を設置し、ギルドとの連携を密にする】【教会を併設し、若手神職を多めに投入する→子供たちの面倒を見させる→教える】
 それらアイデアの筆跡は、それぞれ異なっており、色々な人達が書き込んだ事が解る。
 描かれた建物とアイデアが、幾つもの線で結ばれており、実に賑やかな図面になっていた。
 王都に来てから緊張し放題だったバジルは、ここに来て初めて、自分のペースを取り戻したように感じた。
 好奇心がうずく。
 ニコっと笑うと、期待に目を輝かせて、皇帝に視線を向けた。
 「この建物は何に使うんですか? ここにも、子供達が遊べる場所が有ると、きっと面白いですよ。」
 「ここには、図書館を創るつもりだ。勿論、子供達も楽しめるような本を置くつもりだ。子供の為の本はまだ少ないが、色々な国に役人を派遣して、探させている。子供向けの本を創る作家も探している。」
 「それじゃあ、色々な国の本が読めるの?・・・読めるんですか?」
 「よいぞバジル。敬語はいらん。そう、世界は広い。子供のうちから、世界の知識に触れておくのは良い事だ。それ、見てみろ。ここだ。図書館の横には、美術館を創る。工房も幾つか創って、ここで作品を創れるようにしようと考えている。この工房は誰でも使えるぞ・・・それから、ここだ! ここはな・・・」

 それから暫くの間、皇帝とバジルは、机に広げた図面を見つめながら、色々なアイデアを話し合った。それぞれにペンを取り、図面にアイデアを書き込みながら、それを線で結んで行く。時には、意見の相違があり、軽く言い合う事もあったが、それを別のアイデアで融和させ、或いは、分解しながら、熱心に組み上げて行く。
 ロボウも途中から机の上まで来て、その話に参加したが、いつの間にか眠ってしまった。
 コーセルは、部屋の隅にある机で仕事をしていたが、楽しげに図面をいじくる二人を見て羨ましくなり、さり気なく近付いては話に参加しようとした。
 しかし、直ぐに皇帝にバレてしまい、スゴスゴと席に戻る羽目となる。
 バジルと皇帝の対話は、日の暮れるまで続いた。

 日が暮れ切った頃、一人の文官が執務室を訪れ、皇帝に夕食を促した。
 バジルと皇帝は、自分達がそんな時間まで話し込んでいた事に驚いた。
 コーセルの方も仕事は終わったようで、疲れた風で机に突っ伏している。
 皇帝は、バジル達に食事を共にするよう誘ったが、バジルもコーセルも、それを辞退した。
 多少なり緊張は解けたものの、皇帝と一緒に食事をするとなると、また改めて緊張させられてしまう。これ以上は無理だと、バジルは考えた。
 コーセルも、これ以上皇帝と一緒に居たら、いつ新しい仕事を命じられるか気が気で無く、一刻も早く城を出たいと思っていたようだ。
 二人は、名残惜しげな皇帝に丁寧に別れを告げ、城を後にする。


 夜の街は、明るかった。
 至る所で明かりが灯され、人の動きも衰えてはいない。
 街自体が、全く眠らぬつもりであるかのようだ。
 バジル達は、一夜を過ごす宿を探した。

 宿を見つけた時、その壁に打ち付けられた二つの看板を目にして、バジルは身を強張らせた。

 一つにはこう書いてあった。
 「公布 隣国から我が国を守る戦いに備え、次の事を告知する。
一、 各家族は、後継ぎでは無い18歳から27歳の男児一人、を軍務に就かさねばならない。
二、 各家族の年税負担を、金15枚から30枚に増額する。
三、 特別な許しが無い限り、異国の者が、我が国に入る事を制限する。」

 もう一つには、こう書いてあった。

 「圧政を敷く暴君を、国民の手で打ち取らねば、この国に未来は無い!」

 バジルは、確かに皇帝の事を厳しく、怖い人間だと感じた。
 しかし同時に、自らの身を犠牲にしてでも国家の為に尽くす姿を見たし、人々が安全に、豊かに、そして幸せに暮らせるよう、知恵を尽くしている姿も見た。
 皇帝の言う通り、人々の暮らしは、誰かの犠牲の上に成り立っているのだろう。
 しかし、国民はそれを知らない。
 国民からすれば、生活に負担を強いるだけの暴君に見えるのだろう。
 確かに、そうも感じる。
 誰が悪いのか。どうすれば良いのか・・・・
 バジルは寝苦しい夜を過ごした。

 翌日バジル達は、悩んだ末に、王都を観光する事も無く、直ぐに出発するのだった。



 悩みに悩んだ一章です。(--;

 実は、前章の【女帝の庭園】を書いてからから、二年近く経っている訳ですが、全く筆がのらず、かなり苦労しました。

 戦争に関わる部分が強調されてしまったように思いますが、本当にお示ししたい部分は、【王とは、国家の生贄である】と言う点。
 政教の分離していない時代において、【王】とは、同時に【祭司】でも有りました。
 その存在は、神の憑代であり、国家の支柱であり、そして最大の人柱であった訳です。
 特別な地位に就き、多くの顕現を持ち、時に贅沢が出来る立場を与えられる代わりに、国家の全ての責任を負い、国家の危機においては、その命を捧げる。他の人が嫌がる事を、正に率先して行う存在とも言えます。

 例えば、日本における天皇陛下の存在は、それに近いですね。
 日本が、第二次世界大戦で敗戦した折、昭和天皇は、GHQ司令官ダグラス・マッカーサーの下へ赴き、「戦争の責任は、全て私に有る。私の命も、皇室の持つ全ての資産も差し上げよう。その代わり、国民には一切手出しをしないで頂きたい。」と述べたと言うのは、余りにも有名なエピソード。
 そもそも、昭和天皇は戦争をする事にずっと反対しており、強硬派の軍部を何とか思い止まらせようと尽力した側でした。
 しかし、天皇とは言え、時代の流れには逆らえないのでしょう。
 戦争は始まってしまいましたし、その戦争行為の全ては、【天皇の名の下に・・・】と言う事になりました。
 そして、今の時代ですら、反戦派の人達は、かつての戦争は、全て天皇が悪いと主張したりしているのです。

 何とも理不尽な話ですが、しかし、それが【王の定め】とも言えます。
 全ての責任を負う立場。
 国民の責任を肩代わりする立場とも言えますし、国民が便利に責任を擦り付けられる存在とも言えます。

 事は国家に限らず。例えば会社の社長や、一家の主人も同じような立場。
 【組織の主】として、どのような姿勢であるべきか。
 そんな事を示すカードですね。

 さて、バジル君なのですが、皇帝の領域に入って、急に萎縮し始めました。
 皇帝からは、本格的に物質の領域。
 純粋なる魂、自由の精神であるバジル君にとっては、かなり居心地の悪い領域なのです。

 さて、次は法王の領域。

 続きがいつ書き上がるか少々不安ですが、気長にお待ちください。(^^)