Key4 庭園

 ソフィアの神殿を出発し、バジル達は北東へと進んだ。
 神殿から北東の方向は、暫く荒れ果てた荒野ではあるものの、しかし王都と神殿との往来も盛んであるからか、それなりに道は整備されていた。
 その先には、この大陸で一番大きな都市がある。そこは、この大陸で最も力を持つ王が支配する王都で、そこに近付くにつれて、大きな街が並び、道を行き交う人々もしだいに増えていった。
 三人は正に、風の向くまま気の向くまま、あちらこちらに寄り道を繰り返し、ノンビリとした歩調で旅を続けている。

 王都に向けて歩き始め、暫くたったある日。
 彼らは滞在していた町から出て、少し行った所にある高台に登った。バジルがその高台の上から見た光景は・・・
 「・・・うわぁ・・・海みたいだねー」
 「うん・・・森だけどね」
 「海みたいに大きな森だね」
 「海みたいに溺れそうになる場所もあるよ」
 「へー・・・・」
 なんともチグハグな会話である。
 バジルが見た光景は、ほとんど180度開けたパノラマを埋め尽くす、深い緑に覆われた広大な森だった。それはまるで海の広がりのようであり、バジルの表現は、実に相応しいものだった。
 「王都へは、この森を進むの?」
 バジルは、その広い森の奥に目を凝らしながら言った。
 「ああ、そうだよ」
 コーセルは、バジルの質問に答えながら、自分の鞄の中から望遠鏡を取り出し、森の遠くを覗いた。暫く何かを探すようにレンズをずらして行く。見えるはずも無いのだが、バジルもその先を追ってみた。
 コーセルの望遠鏡をずらす手がおさまると、次に方位磁針を取りだし、方角を確認している。恐らくは、進路を計算しているのだろう。
 バジルは、望遠鏡が止まった方向に、必至で目を凝らしてみた。その先には、白い小さな点が見える。尚、必至に目を凝らしていると、コーセルはその様子を察し、バジルに望遠鏡を手渡しながら言った。
 「遠くに白い建物が見えるはずだよ。少ししか見えないけど、そこが王都だ」
 バジルが望遠鏡を覗くと、そこには白く高い建物が見えた。とても立派な作りで、正確な大きさまでは分からないまでも、随分と大きな建物なのだろう。
 「あれはお城かな」
 「そうだよ。この大陸で一番強い王様のお城さ。この森もね、王様のものなんだ。正確に言うと、王様がお妃様にプレゼントしたものなんだよ」
 「この森をプレゼント?」
 バジルは目から望遠鏡をどかし、驚いたような、呆れたような顔をして見せた。
 「こんなに大きなものを貰っても、大き過ぎて、どうすれば良いのか分からなくなるよ」
 「はは、全くだね。でも、お妃さまは、凄く喜んでたよ」
 「ふーん・・・」
 バジルには、そのお妃さまの価値観がどうにも分からないようで、やはり暫く呆れた顔をしていた。
 コーセルは、進むべき方向を見定め、何がしかをノートにメモすると、早速森に向かって歩き出した。バジルもあとを付いていく。

 「・・・コーセル?」
 「なんだい?」
 「コーセルって、お妃さまに会ったことがあるの?」
 「あるよ」
 「・・・」
 「それに、これから会いに行くけど」
 「あ・・・会いに行くの?」
 「バジルは会いたく無いの?」
 「いや・・・会えるの?」
 「待ってると思うけど」
 「・・・待ってるんだ・・・へー・・・」

 バジルとコーセル。そしてロボウの三人は、早速森の中に入って行った。
 やはり想像していた通り、森は深く、鬱蒼としていた。
それなりに、道と思しきものはあるのだが、何故か幾つかに分岐する所があり、ややもすると、直ぐにでも迷ってしまいそうである。
 コーセルは、分岐路に立つ度に方位磁針を確認し、ノートに何かをメモして進んでいく。バジルとロボウは、はぐれることの無いように、少し足早に追っていった。

 森の中を歩いていくと、さまざまな生き物が目についた。リスやイタチ、ウサギや狐、梟やキツツキ。名前も知らぬ昆虫や、鮮やかな草花。
 それらは、人間の作った街とは異なる、また別世界の生命の集落だった。あらゆる自然が折り合い、お互いがお互いを補う。この森に住む生き物達にとって、全く整えられた空間である。
 バジルは、この森に住む動物達が、生きる為に必要と思われるものを色々と想像しては、それが何処にあるのか視線を巡らせた。それらは、大体見つけることが出来た。昆虫に必要な樹液や花の蜜は至る所に見出せたし、小動物達に必要な木の実や果実も、森の木々からぶら下っている。鳥達が食べるであろう昆虫なども、見つけるのに苦労はしなかった。
 森全体が一つの纏まりを持っている。バジルはそう感じた。
 コーセルの後を付いて行き、暫く進んでいくと、バジルの目の前を、小さなウサギが横切って行った。ウサギはバジルの前で一旦止まり、バジルの顔を見上げると、また直ぐに森の茂みに消えていった。
 その直後である。先ほどウサギが消えていった茂みがザワザワと揺れ、そして『キィキィー!』と言う鳴き声が聞こえた。
 バジルは急いで茂みに近付き、鳴き声の方に目をやった。見ると、一匹の狼が、先ほどバジルの目の前を通り過ぎたウサギに噛みついている。既にウサギの体からは血が流れ出ており、狼の牙は深く食い込んでいた。
 バジルは驚いて、ウサギを助けようと乗り出した。しかし、何者かに背後から体をがっしりと捉まえられ、それ以上前に進むことが出来ない。
 「コーセル!」
 バジルを捉まえたのはコーセルだった。がっしりと両脇を抱えると、少し強引に道へと引きずり出す。
 「何するんだよ! 早く助けないと、ウサギが死んじゃうだろ!」
 「手を出しちゃ駄目だ、バジル」
 「何で!」
 バジルは、コーセルの手から逃れようと必至に暴れたが、なかなか抜け出すことが出来ない。
 「この森のバランスを崩してしまう。今、あのウサギを助けることは、してはいけないことなんだ」
 この時バジルには、コーセルの言っている意味が分からなかった。暫く暴れていると、拘束の力が弱まったので、必至のことで抜け出し、軽くコーセルに蹴りを食らわすと、急いで茂みの中へと入っていった。
 しかし、遅かった。
 狼は力尽きたウサギを咥え、悠然と住みかへ帰る所だったのだ。
 バジルは暫く、その場に呆然と立ち尽くしていた。

 バジルが道に戻ると、コーセルは気まずそうな顔をしながら立っていた。バジルは非常に腹を立てていた。その顔には、あからさまな怒りが伺え、コーセルの目をキッと睨み付けている。
 バジルはコーセルに近付くと、もう一度軽く蹴りを食らわせた。それからフンと顔を背け、歩き出す。
 「・・・バジル。道はそっちじゃない」
 コーセルが、普段と殆ど変わり無い声でバジルを呼んだ。バジルは更に腹が煮え繰り返った。

 暫く二人は無言で歩き続けた。以前よりも、バジルとコーセルの距離感は離れ、その間を埋めるかのように、ロボウがその中間を歩いていた。ピリピリと緊張感の走る時間である。
 無言の時間は随分と長く続いた。徐々にバジルも、その無言が辛くなってきた。怒りも少しずつおさまり、冷静さも出てきた。
 しかし、やはりコーセルの言った意味が分からない。何故、弱いものを、危機に瀕しているものを助けてはいけないのだろう。
 沈黙が一時間程続いた頃、コーセルが分岐路でも無いのに足を止めた。バジルも釣られて足を止める。まだ、沈黙が続く。コーセルは足を止めたまま動こうとしない。何かを見つめているようである。
 バジルは不審に思い、コーセルの近くまで寄った。
 「どうしたの?」
 コーセルに話しかけるバジルの声は、やはり少し棘があった。
 コーセルは返事をせずに、前方のある場所を指差した。バジルは更に近寄って、コーセルの指差す方向に目線を移す。そこでは、一匹のリスが、小さなりんごの果実を齧っていた。
 「・・・? あれがどうかした?」
 「あのリスから、りんごを取り上げてみようか?」
 バジルは眉をひそめた。コーセルの言っていることがますます分からなくなったような気がした。
 また少し腹が立ってきた。
 何て意地の悪いことを言うのだろう。
 「何言ってるんだよ。そんなことをしたら、リスが可哀想そうだろ」
 「そうかな?」
 コーセルは、やっとバジルの顔を見て言った。いつもの優しい顔である。
 「でも、あのりんごが可哀相じゃない? リスに齧られて、痛いと思うよ」
 「りんごは、齧られても痛いなんて言わないよ!」
 バジルは少し声を荒げて言った。
 「バジルは、りんごの気持ちを聞いたことがあるかい? 彼らにだって、意志はある。僕達が動物と見なしているものは、確かに動き、痛みを鳴き声で表現するけど、でも、声を持たなくても、植物だって意志を持っているんだ。だからこそ、彼らも大きく成長していく」
 コーセルはそう言うと、また歩き出した。
 「バジル。自然はね、こんな形をしているんだ」
 コーセルは、自分の目の前に、指で円を描いて見せた。それは光の跡となり、空中に留まる。
 バジルもコーセルの後を追い、歩き出す。コーセルの描いた円を見る為に、殆ど直ぐ横を歩いている。
 「自然はね、こうやって円を描いている。それぞれの生命を持つもの達が、この円の中で生きているんだ。植物の葉や種を、昆虫や小動物達が食べる。その昆虫や小動物達を、鳥や肉食動物達が食べる。鳥や肉食動物達が死ぬと、大地に帰り、そして植物達の栄養となる。生命はね、こうやって回転しているんだよ。全てが回転して始めて、森の生命達は生きて行くことが出来る。さっきの事もそうだよ。ウサギが殺されるのは確かに可哀想そうだ。しかし、あそこでウサギを助けてしまったら、狼達は食べ物を失い、死んでしまうかも知れない」
 コーセルは、前を見ながら、独り言のように話した。バジルは、まだ多少の腹立ちはあったものの、コーセルの説明にしっかりと耳を傾けた。
 「もしあそこでバジルがウサギを助けてしまったら、この円を・・・森全体の生命の環を断ち切ってしまうことになったんだ」
 コーセルはそう言いながら、目の前の光の円を断ち切った。切られた光の円は、ゆっくりと消えていく。
 「だから、それはしてはいけないことなんだよ」
 バジルは最後まで返事をしなかった。返事をしなかったが、コーセルの言いたい事はしっかりと理解していた。
 また暫くの沈黙が続いた。そして
 「あそこで、ボクがウサギを助けようとしたのは、いけない事だったのかな・・・」
 と、やっとバジルが口を開いた。
 コーセルはバジルの顔を見ると、軽く微笑む。
 「いや、助けようと思うことは悪いことではないよ。とても優しい心だ。ただ、森の中では、その優しさが残酷なことにもなるんだ」
 バジルは軽く頷いた。
 「・・・悪いことではないんだ。だからさ・・・・もう、機嫌を直してくれないかなぁ・・?」
 コーセルは、バツが悪そうに苦笑いをしながら言った。
 バジルはそれを聞いて、ちょっと可笑しくなった。ちょっと笑ってから、また軽く頷いて、
 「いいよ」
 と返事をした。
 コーセルは、ほっと胸を撫で下ろした。

 森の中では、木々の葉が天井を覆い、太陽の光はあまり届かなかった。どこまで行っても少し薄暗く、いま太陽がどのくらいの高さを飛んでいるのかさえ分からない。
 森に入ってから、もう何時間も経っていた。休み無しに歩き続けたせいもあって、二人とも、少し疲れの色が見えてきた。ロボウに関しては、まだまだ元気と言った風に歩いている。
 前方に、少し光の差す場所が見えてきた。そこに辿りつくと、そこには河が流れており、天井を覆っていた木々の葉も、そこには及んでいなかった。
 やっと一休み出来ると思ったバジルは、その周囲を見渡すと、気の抜けないような違和感を覚えた。
 人が居る。
 確かにこの森は、王都へ行く為に通過しなければいけない道なので、人影があってもおかしくは無い。しかし、その人影は、明らかに違和感を発していた。
 「コーセル・・・・」
 「ん?」
 バジルはその人影を指差した。コーセルはその先に目をやる。
 「ああ・・・驚いたなぁ。こんな場所にも来ているんだ」
 「知り合い?」
 「うん」
 その人影は女性である。彼女はゆったりとした、高価なローブを身に付け、そして葦の葉で織ったような椅子の上に座っているのだった。
 「この森の持ち主だよ。さっき話していた、お妃さまだ」
 「こんな所に居るわけないよ」
 「でも、居るんだよ。そこに」
 コーセルは、その女性の傍に近寄って行った。女性は目を閉じて、寝ているかの様だったが、コーセルが声を掛けると、ゆっくりと目を開けて、優しく微笑んだ。
 バジルも、コーセルの近くへと寄って行く。女性はバジルに気が付くと、また軽く微笑んだ。
 「ごきげんよう。貴方がコーセルのお友達ね。お待ちしていたのよ。さあ、近くにいらっしゃい」
 「こんにちは・・・」
 バジルは、少し緊張した感じで挨拶をした。見た感じではそうは見えない物の、コーセルの言う事が本当ならば、この人は偉い王様の奥さんである。
 心なしかバジルの姿勢もキチッとしており、その様子を見ているコーセルは、可笑しくて仕方が無いようだった。
 「あらあら、そんなに緊張してしまって。良いのよ。気を楽になさいな」
 「あ・・はい・・・」
 バジルは少し態勢を崩したが、それでもまだ体が強張って見えた。
 「貴方のお名前をお聞きしても宜しいかしら?」
 「あ・・バジルって言います」
 「そう、良い名前ね。私はデメーテル。この森の主人。皇帝の后でもあるわ」
 デメーテルと名乗る女性は、柔らかい優しい声でバジルに語りかけた。
 その声の柔らかさにバジルも少し安心したのか、緊張が解けてきたようである。
 「ここまで歩いて来て、随分と疲れたでしょう? ゆっくりと休んでいきなさい」
 デメーテルはそう言うと、右手を天に向けて軽く上げた。暫くすると、数羽の鳥達が、幾つかの小さな林檎を持って、デメーテルの傍へ飛んできた。
 「さあ、お食べなさい」
 デメーテルはその林檎を手に取ると、バジルに手渡した。
 受け取ったバジルは、暫く沈黙してその林檎と睨めっこをしていた。
 「どうしました?」
 「ボクが、この林檎を食べても良いのでしょうか? ボクはこの森の住人ではありません。この森の環を壊してしまう事にはなりませんか?」
 バジルの言葉に、デメーテルは少し驚いた顔をした。それからコーセルの顔を見ると、何かを悟ったかのような顔をして、それからゆっくりと語り始めた。
 「なるほど。確かに貴方は、この森の住人ではありませんね。貴方が、この森の生命の循環に介入することは、環を壊すことになってしまうかもしれません。でもね、バジル。この森も、もっと大きな環の一部に過ぎないのよ。大地の全てを覆う自然の、極一部でしかないの。コーセルに、この森の環のことを聞いたのね?」
 バジルは林檎を手に持ったまま、無言で頷いた。
 「そう・・・コーセル、貴方は何事においても詰めが甘いですね。教えるなら、最後まで教えてあげなさい。この森に至ったのであれば、それは秘することでは無いわ」
 「・・・申し訳ありません」
 コーセルは、軽く丁寧に頭を下げて言った。
 「さあ、バジル。その林檎をお食べなさい。貴方にはその資格があるわ」
 バジルは無言で頷くと、素直に林檎を齧り始めた。
 デメーテルはその様子を見ると、コーセルにも林檎を渡して食べるように促した。それからデメーテル自身も、林檎を手に取り、食べ始めた。林檎を食べている間は、皆静かだった。

 バジル達は林檎を食べ終わり、暫く他愛も無い会話をした後、今度はデメーテルの案内で王都に向けて歩き出した。
 デメーテルと共に歩く森の中は、それまでと違った緊張感に満ちているように思えた。道を横切ろうとする動物達は、デメーテルの姿を見ると、直ぐに引き返し、道の脇に控えて待っていた。また道端に落ちている木の葉達は、デメーテルが通ろうとすると、風が吹き、必ず何処かへ飛んでいってしまう。何処と無く、この森の全てが、彼女に気を使い、全てが彼女を中心に動いているかのようだった。
 森の全ては、彼女を慕い、同時に恐れているかのようだ。
 周囲は緊張に満ちているにも関わらず、バジル達に話しかけるデメーテルの声は、柔らかく穏やかだった。

 デメーテルと共に森の中を歩き始めてから、数時間が経った頃、とうとう目の前に大きなお城の姿が見えてきた。森の木々も少なくなっており、どちらかと言うと、人の手の加わった庭園の様子を成している。事実近くには、綺麗に整えられた、幾つかのハーブが植えられていた。
 「さあ、ここまで来れば、後は大丈夫でしょう? 私はもう暫く、庭のお手入れをするわ。あの人にあったら、日が暮れるまでには帰ると伝えておいて頂戴」
 「かしこまりました」
 コーセルが礼儀正しく返事をした。
 「バジル。こちらへいらっしゃい。貴方にプレゼントを差し上げましょう」
 デメーテルは、バジルに軽く微笑んで手招きをし、そして近くにあったハーブの群れに近付いた。バジルもそれに近付く。
 デメーテルはハーブの前で屈む。それに習ってバジルも屈んだ。目の前には、自分の名付けの元となったバジルの葉が茂っていた。
 「御覧なさい。これらのハーブは私が育てたものです。ほら、バジルもありますね。それにジャスミン。ラベンダー。カモミール。レモングラス。いずれも人の手の加わったものと言えるでしょう。しかし、これらも自然に変わりありません。何故だか分かりますか?」
 「・・・ボク達も自然だからですか?」
 「そう、そのとおり。一見、自然と切り離されたように見える人間も、自然の中に生きる生命なのです。人間も、これらの環に組み込まれて生きているのです。確かに少し特異ではありますけどね」
 そう言ってデメーテルは、バジルの葉に手を触れた。その瞬間、葉は水気を失せ、見る見るうちに乾燥していった。
 バジルはそれを見た瞬間、何故だか背筋に冷たいものを感じた。
 デメーテルは、乾燥し切ったバジルの葉を何枚か摘むと、懐から小さな袋を取り出しその中に入れた。それからまた他のハーブにも触れていく。どのハーブも、デメーテルが振れた瞬間に水気を失せ、乾燥していった。それらを摘み、また袋の中に入れていく。
 バジルは、その様子を多少ぞっとした気持ちで見ていた。
 「さあ、これを差し上げます。お茶にして飲むと良いでしょう」
 デメーテルがハーブの袋を渡そうとした瞬間、思わずバジルは身が引けて、屈んだまま後ろに倒れてしまった。
 バジルは、自分がとても失礼なことをしたと思って、直ぐに起き上がり、謝ろうとした。
 「ごめんなさい!」
 デメーテルは全く気にした様子では無く、逆にそれが可笑しかったのか、小さな声で笑っていた。
 「大丈夫よ、バジル。触ったりしないから」
 バジルは、顔を紅潮させた。自分が何故転んだのか、デメーテルには分かっているようだった。
 バジルは急いで立ち上がって、そして、袋を受け取った。それから何かを言おうとしたが、しかし、上手く言葉が出てこない。
 「あ・・・あの・・」
 「さあ、もうお行きなさい。遅くなると、皇帝には謁見出来ませんよ」

 バジル達はデメーテルと別れ、王都に向かって歩きだした。
 緊張が解けたのか、バジルもコーセルも、少し足取りがおぼつかない感じである。
 バジルは、そんな足取りの中でも、必至に考えていた。デメーテルに対して感じた、あの恐れが一体何だったのか。
 王都まではあと少しである。

 バジルが一つの答えを出したのは、王都に入る門の直前だった。
 「ああ、そうか・・・ボクも輪の中に居るからだ・・・」


解説 常葉 了

 【さて、どうしたものか・・】と悩んだシナリオです。
 あまり長い文章にする訳にはいかないので、内容としても色々な部分で駆け足になってしまいました。もっとコーセルやデメーテルに言わせたい言葉があったのですが、しかし、説教臭くなると物語自体が面白くなくなります。
 迷った挙句、この形に納まりました。

 【女帝】のカードのメインテーマは、【大母】【自然】【環】の三つでしょうか。また、外してはならないのが、それらが持つ【恐ろしい側面】です。
 【明るく豊穣なる大地】 そして 【黒き不毛なる大地】 これはいずれも【女帝】に相応しい表現です。
 彼女は【生成】であると同時に、【死】や【腐敗】【枯死】を意味する存在でもあります。それらは必ず円を結び、前後が常に連結しています。
 彼女は、自分が生んだ子供を、自ら飲み込む【母】なのです。
 バジルが、デメーテルを恐れた理由の一つですね。
 自然とは、実に偉大なものです。
 【母親にとって、子供は何歳になっても子供である】 確かにその通り。
 人間も同じです。どんなに進化しても、自然との関係では、常に子供でしかありません。どんなに支配しようとしても、関係性が変わることがあっても、いつまでも子供です。
 さて、親離れは出来るのだろうか・・・(^^;