key1 旅立ちの場所

大陸の端っこ。
海に面した小さな町。
穏やかで、静かな町。
故郷。旅立ちの地。そして帰るべき場所。
そこから始まる物語。そこで終わる物語。

 その町の高台に登ると、360度開けた視野が広がる。東を望むと、広大な草原が見える。太陽の美しい光が降り注ぎ、緑の輝きが反射する。爽やかな風が吹いてくる。新緑の香りが町に運ばれてくる。色々なものが、その向こうから運ばれてくる。様々なことを知らせてくれる。
 南を望むと、遠くに荒い大地が見える。太陽は南天に輝き、灼熱の炎をその大地に下している。夏は南から来る。灼熱の大気は、いつも南から押し寄せ、町を包み込んだ。夏になると、町の夜は賑やかになる。夜に火を灯し、人々の熱気が祭りの様相を作り上げる。
 西を望むと、そこには広大な海。果ては見えず、ただ青一色。青い空と、海との境界線も見えないほどに、真っ青に輝いている。太陽が西に沈む時、海は真っ赤に燃えたようになる。一日の終わりを告げて、太陽は海に身を帰していく。港から、漁に出て行く船が見える。船乗りは、海の下には隠された王国があると語る。町の子供達は、その王国を見てみたいといつも願っていた。
 北を望むと、実り豊かな田園が見える。町の農夫達が、ゆっくりと育まれる植物を世話するため、ゆっくりと働いている。田園には、様々の色が渦巻いて見えた。緑の葉に隠れ、色とりどりの花が咲いている。田園は、四季の流れを一番鮮明に語ってくれる。田園の遠く向こうには、険しい山脈も見える。大地の王が山脈に座り、田園を見守っていると、農夫達は語る。

 町に一人の少年(17歳位だろうか)が居た。彼は孤児で、産みの母と父の顔を知らない。しかし彼は、この町に育まれ、健やかに成長していった。小さな町だから、誰と言わずに彼を助け、生きる術を教え、学ばせ、働かせて、育んでいった。なので彼にとっては、この町こそが父であり、母でもあった。また、彼はこの町にとって、共通の子供でもあった。子供達は全て彼の兄弟であり、大人達は誰でも彼の父であり、母であった。
 しかし、そんな彼は、この町にとっての問題児でもある。
 彼はある時、船乗りに海の下の王国について話を聞いた。大小様々な魚が行き交う中で、広大な都市があり、そこには腰から下が魚の体である人魚が住んでいると言う。その都市は水の王が治め、王は荘厳な宮殿に住まい、水の全てを司っている。船乗り達は、その水の王と契約を交わし、海の上と海の下での仕事をすることを許されている。
 彼は、町の他の子供達と同様、海の下の世界に想いを馳せた。
 しかし彼はただ想いを馳せただけではなく、実際にその王国へ行こうとした。船乗りから話を聞いた次の日、彼は海辺へ行き、服を着たままで海へ潜っていった。
 そもそも、彼は泳げない。しかしその時の彼は、海の下の王国のことで頭が一杯だったのか、自分が泳げないことも忘れて、海へと身を投じていた。
案の定、彼は溺れてしまったが、近くを通りがかった大人に救出され、大事には至らなかった。
 また、こんなこともあった。
 農夫達は、北の山脈には大地の王が住んでいると子供達に語る。それにより、田園は実り豊かであり、秋の収穫には感謝を込めて、作物の一部を献上するのだと言う。
 彼はまたしても、大地の王に会うべく、単身で北の山脈を目指した。
町から山脈までは、大人の足でもゆうに三日は掛かる。
 町の大人達は慌てて山の方角を探したが、なかなか見つからず、捜索は三日に及んだ。三日目、彼を見つけた時、彼は山の麓まで来ていた。どうやら昼夜問わずに、山を目指し歩きつづけたようである。呆れたことに、彼を見つけた大人が聞いた第一声は『お腹が空いた』であったと言う。

 彼が今の歳になるまで、そんな問題を起こしたのは数知れず。穏やかな町が、そんなハプニングに巻き込まれるのは、大体は彼が原因だった。いつしか町人が『大変だー!』と騒ぐと、周囲の人間は必ず『バジルが何かしたか?』と聞く慣わしになっていた。
 そう。その少年の名前は『バジル』と言う。彼は赤児の時、町のハーブ園のバジルの傍で拾われた。当時は命名方が安易に思われたが、今となってはこれ以上無い的確な名前に思われる。

 彼の起こした様々な事件を思い起こし、それについて談笑するのは、この町の娯楽の一つになった。また、『バジルは次に何をする?』と賭けをするのも楽しみの一つである。更に彼の行為は、この町独特の教訓も生んだ。
『子供に海の話をしたら、次の日は家に縛りつけておけ』

 彼は好奇心の塊と言っても良いだろう。町の人は長い時間から、充分それを分かっていた。そして、いずれこの小さな町では飽き足らなくなるであろうことも分かっていた。

 ある時、東から旅人が来た。彼は東の果てにある町から、西へと目指し、この町に辿り着いたのだという。彼は背負った鞄に、旅の最中に得たものを詰め込み、その一部を次の町で売り、また新たなものを得ていると言う。
 町は旅人が訪れたと言うことで賑わいだ。この小さな町では、旅人の来訪、そしてその話を聞くのはこの上ない娯楽なのだ。
 夜。彼の宿には多くの町人が集まった。老若男女問わず、旅人の話を聞くための、狭い部屋に駆け込んだ。勿論その中には、『バジル』も混じっていた。

 旅人は、多くの町人を前にして、ゆっくりと旅の記憶を語り始めた。長く険しい山道を登り、頂上に辿りついた時、その視界には雲の海が見えたと言う話。深い森を突き進んだ時、狼に囲まれあわやという時に、森の精霊に助けられたと言う話。大きな魔法の都市を訪れ、不可思議な術を沢山見せられたと言う話。大道芸の一座と暫く道を一緒にし、剣を飲み込む芸をする芸人が、剣を吐け出せなくなり、医者に運ばれたと言う話。
 旅人の口から語られる様々な話の中には、到底信じられないようなことも混じっていたが、しかし鮮明で、町人全ての心を掴んで離さなかった。
 旅人の話は夜更けまで続いた。一人一人と町人が帰っていく中で、最後に残ったのはバジルだけだった。

 旅人はバジルに話しかけた。
『君は不思議な目をしているね。未知への憧れに溢れた目だ。』
『ボクも旅をしたいな』
旅人は暫く考えると、自分の鞄に手を伸ばし、中を探り始めた。
『君は幾つだい?』
『エート、17歳だったかな?』
『何だ。自分の歳なのにいい加減だな』
『そうかな? ・・・17歳だよ、きっと』
 旅人は、バジルの適当だがキッパリとした答えに軽く笑いながら、鞄の中から一組の古ぼけたカードを取り出した。
『2枚ほど欠けているが・・・これを君にあげよう。旅に出る時に持っていくと、きっと役に立つだろう』
『これは何?』
『旅人のカードだ。君が旅をする時に出会う、様々な出来事や人物が描かれている』
『じゃあ、旅の予定表かな?』
『地図でもある』
『地図?』
『鍵かも知れない』
『え、鍵?』
『紹介状かな?』
『・・・・え、このカードは何?』
 旅人はバジルと不可思議な問答をして、バジルが戸惑うのを楽しむように笑っていた。
 バジルは真剣にカードを眺め、それが何であるかを考えている。彼の興味はそのカードに注がれていた。
『だからね。旅人のカードだよ』
『・・・わからないや』
『旅をすれば分かる。それさえ持っていれば、旅には困らない』
『え、じゃあ食料は?』
『持っていきなさい。』
 バジルの頭には疑問符が浮かぶ。
『じゃあ・・・お金とか』
『行った町で働いて、稼ぎなさい』
『・・・困るじゃん!』
『ハハハ・・』
 旅人は、バジルの素直で単純な反応に大声で笑い始めた。とうのバジルは、バカにされたと思ったのだろうか、急に不機嫌な顔になった。
『なんだよ。からかってるの?』
『君はまだ何も知らないだけだ。でもそれは、これから色々なことを知ることが出来る証拠だよ。旅をすれば色々と分かる。今教えてしまったら、つまらないだろう?』
『・・・そうかな? ・・・そうかも』
 バジルは、まだ少し釈然としていないようだが、取り敢えず納得したようである。
 さて、夜はとっぷりと更けていた。
『さて、そろそろ私も寝させてもらおうかな。明日にはこの町を出なければ行けない。君もゆっくりと寝なくちゃね』
『うん、分かった。お休み。』

 次の日。
 旅人は、朝早く起きて旅立った。彼は、この西の最果て町から更に海に乗り出し、旅を続けるのだと言う。多くの町人達が港に赴いて、旅人を見送った。
 その時にはまだ、町の人々は気が付いていなかった。普段なら、誰よりも早く起きて見送りに来るであろうはずのバジルが、その場に居ないのである。
 町人が港から帰って暫くすると、誰かの大きな声が小さな町中を響いた。
『大変だー!』
 町人の注目が、叫んだ人物へと集中する。
『バジルが何かしたか?』
 町人の一人が切り返した。
『居なくなった!』
『今度は何処へ行った』
『山か?』
『海か?』
『荒原の方か?』
 町人はそれぞれ、思うが侭に口にする。
『違う違う! 東だ!』
『東? ・・・草原の方か? それなら別に危険は無いだろう?』
『帰ってこない! バジルが旅に出てったー!』

 町人達は、バジルが寝泊りしている小屋まで足を運んだ。中に入ってみると、いつもと変わらぬ様子である。しかし机の上に紙が一枚置いてあった。
 『東の方へ旅に出ます。来年か再来年の収穫祭までには帰ります。』
 旅に出るにはあまりにも適当な文章に思えたが、しかし町人はそれほど驚くことも無かった。彼が好奇心の塊であることは、最早周知のことだったからだ。しかし、まさか旅人が来た次の日に出るとは思わなかった。挨拶も無いとは思わなかった。
 この文章からは、あたかも散歩に出るような、気軽な感じが見える。
『・・・やれやれ・・・』
 町人は、バジルを追うつもりは無かった。いつかこうなるだろうことが分かっていたのだ。彼にとって、この町は余りにも小さすぎる。時期が来れば、誰とも無くバジルを旅に出す計画も持ち上がっていた。
『しかし・・・本当に唐突なやつだ・・・』

 無論、新しい教訓が町に生まれた。
 『旅人が訪れた次の日は、子供を家に縛りつけておけ』

 この旅立ちから、バジルの物語が始まる。
 町を旅立ったバジルは、ちょうど町から離れた岩山を登っていた。どう見ても旅人の装いには見えない軽装であり、ラフな淡い水色の上下に、緑の二股帽。そして背に鞄を背負い、杖を持って歩いていた。鞄の中には小量のお金、水を飲むためのコップ、万能ナイフ、そして旅人から貰った一組のカードだけである。
 暫く歩くと岩山の頂上に着いた。そこからは、自分が旅立った町を見下ろすことが出来る。バジルは町を眺めた。全く気の向くままに町を後にしたが、今になって少し寂しく思えてきたようである。彼の青い目が、故郷を懐かしんで見える。暫く眺めてみてから、彼は顔を上げ、大空を見た。太陽が燦燦と輝いている。彼は手を差し伸べ、その太陽に触れようとした。
 彼は幼い頃から、何度も太陽を手にしようと努力してきた。出来るだけ高い場所へ登り、手を差し伸べる。町の大木に登り、落ちて大怪我をしたこともあった。町で一番高い家の屋根に登り、屋根を突き破ったこともあった。毎日顔を出し、いつも空にあるのに、絶対に手に入れられない。それが悔しくて、泣いたこともあった。
 バジルは暫く手を差し伸べたが、やはり太陽には届かなかった。
 バジルの視界に、遠くを飛ぶ鳥の姿が映った。
 『・・・空を飛べれば、太陽に届くかな? ・・・・飛べるかなぁ・・』
 バジルは手を広げ、目を閉じて足を踏み出そうとした。
 危ない! その先は崖だ!
 バジルはそれに気が付いていないのか、ゆっくりと空を飛ぼうとしている。
 次の瞬間、バジルの左足に痛みが走った。
『イタイ!』
 キャンキャン!
 バジルは目を開けて、痛みの走った左足を抱えた。見てみると、服にくっきりと歯型のようなものが映っている。
 その傍には、キャンキャンと煩く吼える、白い子犬がいた。
『なにするんだ! 痛いじゃないか!』
『− 落ちるところだったじゃないか! 危ないぞ! −』
『もう少しで飛べるところだったんだ!』
『− 飛べるものか! −』
『鳥は飛べるじゃないか!』
『− 君には羽が無い! だから飛べない −』
『羽が無くても、飛べる!』
『− 飛べない! 羽も無いのに飛んだら、鳥に失礼だ! −』
 バジルは、痛みの走る左足をさすりながら、その子犬を睨み付けた。如何にバジルとは言え、犬に説教をされるのは始めてだった。
『犬の癖に生意気だな!』
『− 生意気なガキだ! −』
『が・・・ガキだとっ!』
 バジルは、カンカンに怒って立ち上がった。それからズンズンと東に向かって歩いていった。しかし何故か、バジルに噛み付いた子犬も足元を付いて行く。
『何でついて来るんだよ!』
『− 何処へ行くんだ。 −』
『旅だよ。東に行くんだ』
『− ガキが旅だと? −』
『がっ・・・ガキって言うな!』
『− 何を仕出かすか分かったもんじゃない。着いていく。 −』
『着いて来るな!』
『− イヤ、着いて行く! −』
 バジルと子犬は、言い争いをしながら、徐々に町から離れていった。
旅立ち早々に、小うるさい道連れを得たバジルの旅は、多少なりとも寂しさから逃れたのではないだろうか?
 こうして、バジルの旅は始まったのである。

旅人への祝福
『世には元より道は無く、歩んだ軌跡が道となる。
 世には元より未知があり、我らの歩む大地となる。
 足の向くまま、気の向くまま、それ以外に旅はなし。
 例え困難が立ち塞がろうとも、世界への興味が失われないように』


解説 常葉 了

 タロットを学ぶ上で、タロットを一つの世界観として捉えるのは、この上なく重要なことだと言える。そしてその世界観は、各タロッターによって異なるものであり、各タロッターの中で生き生きと動くもので無ければならない。
 トキワにとって、『フール』の世界観は上の物語のようなものである。
 例えば、パスワーキングと言われるような手法を用いると、上記のような描写がなされる。
 彼は私に『バジル・セシル』と名乗ってくれた。
 彼が物語りの登場人物として生き生きと動くことにより、そこから彼の性質を伺うことが出来、タロッターが望むのであれば、彼と会話をすることも可能になる。これには特殊が手法を用いるのだが、それについてはまた別の機会をもってご説明したい。まずは、TOPICSのチャズ@氏によるパスワーキングのレポートに目を通されて頂きたい。

 タロットを学び始め、ある程度カードの意味に慣れ始めたら、是非とも物語りを作っていただきたい。そうすることで、タロットの魂と触れ合い、多くのことを知ることが出来るようになる。
 常葉 了が推奨する学習法の一つである。