’85年春、生垣の松の根元にビニールテープで縛り付けられて、黒い子犬が捨てられていました。左の画像はその時のものです。一緒に写っている犬はシェルティーで当時、我が家で番犬をしていました。
ある程度大きくなっていたので、しばらくはどこかで飼われていたようです。生後3ヶ月程度でしょうか。飼えなくなって、犬を飼っている私の家の前に縛っていったようです。一匹飼うのも二匹飼うのも一緒と思い、うちの一員にすることにしました。
縛ってあった青いビニールテープは捨てた者に対する私の抗議の意思をこめて、しばらく松につけたままにしておきました。
当時飼っていたシェルティーがチャックと言う名前だったので、この子犬はライナスと名付けました。この名前の付け方は解る人には解ると思います。
それほど大きな犬ではありませんが、ご覧のようにかなり野性味が強く、ものすごい力をしており、革製の首輪や鉄の鎖を引きちぎって脱走することもしばしばでした。
夏の暑い時は土に穴を掘ってその中ですごし、冬の寒い時も雪の中で平然と寝ていました。寒いだろうと小屋に毛布などを入れてやっても即座に放り出し、余計なものを入れるな、と言いたげでした。
右にある古い小屋はもうボロボロです。チャックのお古の小屋を使っていたライナスですが、’95年には新しく小屋を作ってやりました。
ライナスは番犬として最高の犬でした。近所の家が軒並み空き巣にやられた時があったのですが、うちはライナスのおかげで大丈夫でした。裏の戸のガラスが破られたり、窓を開けられそうになったことがありましたが、いずれも未遂で被害はありませんでした。家の回りで少しでも妙な物音がしたら、すごい勢いで吠え立てるので、空き巣も入れなかったようです。
私が裏の物置に何かを取りに行ってもワンワンと吠え立てるのには閉口しましたが・・・・。
そんな元気者でしたが、やはり歳には勝てません。12歳(’97年)の冬に突然倒れました。動物病院に連れて行くと低体温症とのこと・・・・。若いうちは平気だった寒さにやられたのです。
次の春からはなるべく栄養価の高いものを与え、冬に耐えられる体力をつけさせるようにしました。また、全面に断熱材を入れ、出入り口を小さくした冬用の小屋を作ってやりました。この小屋の底面に動物用のヒーターを入れて低体温症にならないように配慮してやりました。
落ち葉の頃にこちらの小屋に移し、餌もなるべく好きなものをやるようにしました。鶏肉が好きなので茹でてやり、豚肉や時には牛肉も与えました。しかし、だんだん食が細くなり、毎年冬を越せるか心配でした。
何とか二冬を越した2000年の7月31日、朝見ると目が回ったようにライナスの首が右に右にと動いています。頭の中のどこかの血管が破れたようです。顔を抑えて口元に餌を持っていくと食べられるので、何とか体力は維持できます。しかし、これはもう危ないと思ったので、玄関に入れてやりました。
半分諦めていたのですが、なんと8月の中頃には首が動かなくなり、外に出たがります。再び外で暮らすことが出来るとは思いませんでした。
しかし、9月終わり頃には餌を全く食べなくなったので、再び玄関に入れて流動食を与えました。ウィダーインゼリー、ハチミツ、ポカリスウェットを注射器の針をはずして、口の中に入れて飲ませてやりました。
こんなもので、長く持つはずはありません。ところがライナスはこの状態でなんと1ヶ月以上も生き続けました。体中の筋肉はなくなってしまい、骨格標本に皮を張り付けただけという状態でしたが、2000年11月2日まで頑張りました。
翌3日文化の日、人が踏んだり、猫の通り道になっていない庭のある所に、一家で埋めてあげました。ここは春になると周りにイカリソウ、クリンソウ、クロユリなどが咲くきれいな所です。15年間、人生の1/3以上を一緒に過ごしたライナスにふさわしい所でしょう。
2000年11月10日UP
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花鳥魚月 |
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